2009Forsythecompany Workshop

無事にフランクフルト空港に到着。
ゴールデンウイーク真ん中だから機中は満員。
今回は、京都の佐藤健大郎と一緒だ。
昨秋ヤニスと意気投合し、ヨーロッパに行くことを約束したからだ。
しかし、空港に到着しても肝心のヤニスと連絡が取れず、とりあえず私の宿泊するホテルにバッグを置いておくことにした。
佐藤健大郎はフランクフルトへ初めて来たので、とりあえず観光客よろしくユーロタワーの前で記念撮影。
その後、センター駅周辺を散歩し、安い食堂やスーパーを教える。
お茶を飲み、ホテルで待とうということなり、ホテルに向かう。
フォーサイスカンパニーのスタジオの前で、誰かが手を振っている。
偶然、ヤニスたちがそこを通りかかっていたのだ。
「おおおお〜!!」
「何で電話が繋がらなかったのだ?」
ファブリーズとも再会。
ヤニスの可愛い彼女と挨拶。
彼女もゲストでフォーサイスカンパニーで踊っている。
皆でカフェへ。
しかし、肝心の通訳のマリコさんとは連絡が取れていない。
「どの部屋?」きちんとしたホテルは部屋は教えてくれない。
取り合えずこちらの部屋を伝言しておいてくれ、とフロントに頼む。
そんなこんなで、時差ボケのままビールを飲んで寝る。
しかし、朝、 5 時 30 分やはり目が覚めた。
早いモーニングを食べ、安藤洋子さんと待ち合わせ。
五つ星のホテルは、スモーキングルームまで重厚だ。
何でも、 1800 年代からあるホテルだそうだ。しかし

 

通訳をしてくれるマリコさんと近くのスーパーに水を買いに行く。
余りにも見慣れた風景に、ここはどこ?全くピンとこない。
フォーサイスカンパニーのスタジオへ。
1 年ぶりの懐かしい匂い。
スタジオに着くと、ピアノの音が流れて、クラシックバレエのレッスンが行われていた。
これも、何時もの時間だ。エイミーも来ていた。
スタジオの外では、これは全く見慣れない光景があった。
マネージャーやシリルが…???筋トレ???
シリルは身体が一回りも大きくなった感じだ。
何でやねん?
よっしゃ、それなら筋肉とは全く関係ない練習をさせてやろう。
むしろ筋肉が邪魔になるようなことをしよう。
大阪でのワークショップでさんざんやった、「意識に乗る」をしよう。
少々緊張気味の佐藤。
もちろん、緊張するだろう。
しかし、その緊張感ではなく、それを一回転させ、ワクワクする緊張感に変換しなければ面白くないのだが。
「よろしくお願いします」挨拶の後、胸骨トレーニングへ。
もちろん精密度を高く設定する。
当然、駄目出しの連続。
スタジオは心地よい緊張感に包まれ、小さな物音すら出せないような感じになっていった。
良い感じだ。
この集中力が何時間持つか。 1 時間ほど駄目出しを続けると、みんな途方にくれだす。
「よっしゃ、それなら一寸遊ぼう」「意識に乗る」をしよう。
見本を見せると、直ぐにそれらしく出来てしまう。
この辺りが、能力の高さだ。
「ちゃう、ちゃう、それは段取りやんけ、ほんまのコネクトやで、もっと身体の奥深く感じよう」
昼食の時間をとり、続ける。
殆ど煮詰まって来る。
初日はそんなものやろ。
佐藤もみんなと馴染んで来た。
今日は、リハーサルがあり、安藤洋子さんが見て欲しいという。
時差ボケで頭の芯が痛いが、まあそのうちに慣れるだろう。
ワーク終了後は、ヤニスとファブリーズが自分達のプロジェクトの為のリハーサル。
「じゃあ、明日」

昨日は、ブリュッセル公演のリハーサルだった。
フォーサイスと抱き合った時、やたらと腕が太くなっているのに驚いた。
筋トレだ。
どうして????と聞くと、身体のあちこちが痛いので続けているという。
おかげで痛みがなくなったそうだ…。
身体が老化していっているので、それを補う為だとも。
約 2 時間、リハーサルが続いた。
島地君が相当良くなっている。
彼には行く度に「しっかりせえよ!」とハッパをかけたり、蹴飛ばしたりしていた。
ここにきて、何か吹っ切れたような感じだ。
今週中に後 2 回リハーサルがあるらしい。
リハーサルを終えフォーサイスが
「何時ものリハーサルは、何だかダラダラとして進行も悪いが、今日は日野が見ているからダンサー達もしまっており、非常に良かった。次のリハーサルも立ち会ってくれ」
とのこと。
何でも事務所も住居も移転したそうだ。
体育館並みの広さを持つスタジオを建てたそうだ。
そこに畳の道場も作るから、私のヨーロッパでの起点にすれば良い、とフォーサイス。
来年は、新居に招待してくれるそうだ。
1 時間の食事休憩を挟んでワーク開始。
昨日の続きから入った。
胸骨を動かすエネルギーを感じ、それに乗りサポートする。
リアルコンタクトだ。
少し休憩を挟んで、首切り脱出に進む。
意識そのものの運動停止。
そこから一挙に刀から逃れる。
私が見本を観せる度に、強烈な沈黙が起こる。
もちろん、私が誰かと向かい合い、意識を相手に合わせると、スタジオの空気が変わる。
皆もそれを感じるから声が出ない。
ダンサー達は、リアルコンタクトそのものを体験していることになる。
そこから予備動作なしで一挙に動くので、私の動きが見えないのだ。
タメ息。
アスリートのスピードと表現としてのスピードは全く違う。
表現としてのスピードは常に相対的なものだ。
つまり、完全停止があれば、少々の遅い動きでも速く見える。
ただ完全停止がなければ、どれだけ速くてもダラダラとしか見えないのだ。
角度を変えればメリハリが必要ということだ。
そこに絶対必要なものは、意識を完全停止させられることだ。
みんなは、スポーツ的タイミングでしか出来ない。
どうして?
それは「間」という概念を持っていないからだ。
つまり、文化の違いなのだ。
きっとこの溝を埋めることは出来ないだろう。
もちろん、日本人だからといっても、相当の訓練と考え方を理解出来なければ出来ないが。
ワークショップの終了間際、フォーサイスから連絡が入った。
「明日のリハーサルは中止、今日のリハーサルが良かったから」
ということだ。
みんな「明日は日野のワークだけだ!」と大歓声!そして大拍手!

 

昨日の復習。相手の流れに乗る。
そして、本当にコンタクトする。
「リアルコンタクト」だ。
この「本当に」が付くと当たり前のことだが途端に難しくなる。
というよりも、本当は難しいということだ。
ダンサー達には、暗黙の了解、同意というようなものがあり、習慣的に片側の合図で動くようになっている。
だから、簡単に動く。それは、本当のコンタクトではないし、相手との関係性を築き上げたのでもない。
ただの「約束」だ。
私はそれを「くさい」という。
そのことは、誰よりもダンサー達がよく分っている。
つまり、その「約束の動き」に飽き飽きしているから、本当の動きをもとめているのだ。
そこからの応用となると、また難しい。
もちろん、誰にも出来ない。
自分自身の為のとっかかりになるポイントを見つけるため、練習の熱の帯び方が変わっていく。
途中から、フォーサイスの息子も参加。
初めて意識の切り替えをすることになった。
最後に「面白かった、明日も参加するから」と、ワークを楽しんでいたようだ。
佐藤は、ヤニスたちに交じってクラシックバレエのクラスで汗を流している。
こんな状況など日本にいては絶対に有り得ない。
そういった意味でも、佐藤の今回の渡独は大正解だった。
連日、ヤニスはファブリーズとベルギー公演のリハーサルを重ねているが、作品を作る過程を見るだけでも勉強になる。安藤洋子さんは、日本公演の為の新作を練り上げている。
イメージが出来ていっても、それを具現化するのは難しい。
そのイメージが深ければ深いほど、象徴的であれば有るほど難しくなる。
そして、それはそれぞれの人生体験や、思考の深さとも関わってくる。
もちろん、身体操作をする「意識の細やかさ」とも関わる。
本当のコンタクト、ということで、相手の力の方向と量を、身体で的確に感じ、尚且つ相手にそれらを変更したと感じ取られないように動く。
という武道独特の関係性を改めて見せた。
そのことで、 5 年間私のワークを受けている人達は、本当のコンタクト・コネクトの難しさを知るとともに、そこに無限の可能性を見出していった。
しかし、質問になると、どうしてこう自分の話ばかりになり、つまり、意見になり質問にならないのか。
それが、彼等の教育背景だからだろうが、何を言っているのかサッパリ分らなくなる。
通訳のマリコさんも、
「それって質問なの」と聞き返すことがしばしばだ。

 

「 Right left Right left Right left 」
「日野、英語の発音は最高だ」
「じゃあ、どんな時でも Right left というよ」
そんな軽いノリを見せなければ、みんなは煮詰まってしまう。
イタリア人のフランチェスカが、もうすぐフォーサイスカンパニーを辞め別のカンパニーで振り付け家として働く。
そこのカンパニーでもワークショップを開いて欲しいといってくれている。
ベニスのビエンナーレでも教師をしているので、そこでもセミナーを開いて欲しいという。
そうすればダンサー達がもう一つ上のランクに成長できるから、とも。
もちろん、これらはどうなるかは分らないが、有りがたいリクエストだ。
ワークが終わって質問の時間を持った。
今日で通訳のマリコさんは日本に帰ってしまうから、難しい質問は今日まで、ということにした。
沈黙。正座で円座になり沈黙。
「何か無い?」
しかし、沈黙が続く。
息が出来ないほどの沈黙がスタジオを覆う。
ファブリーズが、
「日野の教えていることは全部クリアだから、質問も無いし後はやるだけだ」
とポツリ。
その後、また沈黙。ダンサー達が場と私たちと関係しあっている、最も美しい時間だ。
誰もが、この瞬間を壊したくないと感じている。
雲母のようにもろくキラキラした時間がスタジオを満たし、それこそなにか荘厳なセレモニーの最中のようだ。
「じゃあ、明日。
ありがとうございました!」後 2 日。

 

安藤さんが家で春野菜のパーティを開いてくれた。
もちろん、ホワイトアスパラだ。
この時期にドイツに行くと、毎年これを食べる。塩茹でだけで美味しい。
もちろん、バター炒めも美味しい。
きちんと味のある野菜は、ヨーロッパならではだ。
しかし、どうして日本で旬の野菜が少なくなったのだろう。
旬だから食べられる、ではなく、何時も食べられるに変わってしまったからだ。
あっという間に時間は午後 11 時を回る。
地下鉄の最終を気にしながら、ダンスの話に花が咲く。
フランクフルトの路線にもよるが、まだ地下鉄の治安が悪くないのが救われる。
しかし、シリルとそんな話をしていたら、僕の目の前で拳銃で撃たれた人がおり、それには目を丸くしたと言っていた。
外国だった。

 

「ねじれからや!」一番基本のねじれの連動。
もちろん、全てのダンサーにとってその動きは、 5 年前からやっているので簡単なものだ。
しかし、そこに大きな落とし穴がある。
「運動ではなく、自分の腕を認知するんだよ」
もちろん、誰でも言葉では理解している。
しかし、自分が自分の身体に目を向けているとしているのは、殆どがただの錯覚や思い込みだ。
それは、フォーサイスカンパニーのダンサーとて同じなのだ。
しかし、それ自身を検証したことがないから、誰も錯覚だとは思っていない。
だから、そこで組み稽古になり、強烈なストレスをかける。
すると出来ない。
それは出来ないのではなく、全く自分の身体を認知していなかった、ということなのだ。
だから、認知出来ている人と、出来ていると思っている人とは、歴然とした差が付いている。
5 年も時間が経っているのだから仕方が無い。
つまり、自分の身体を意図的に使ったことがないということなのだ。
雰囲気で動いているだけ、あるいは、形式にそって動いているだけで、本当に身体を動かしているのか、といえば「ノー」なのだ。
「一体自分は何をしてきたのだ?」
何度も何度も頭を抱える。
「じゃあ、そのねじれの認知を使って次のことをやろう」
ねじれの線がないところに、身体に認知されたものだけを頼りに動きを作り出す。
最高級のトレーニングだ。
どんどん煮詰まってくる。
スタジオの空気が熱く重苦しくなっていく。
「よっしゃー、食事休憩!」
残り時間が少ないので、武道での本当のコンタクトを佐藤を相手に少し見せる。
毎回のことだが沈黙、大歓声の繰り返しになる。
この素直な反応が一流の資質だ。
ワーク終了後パーティへ。
どうしてアマンシオやヨネといったスペイン人は、人を楽しませるのが上手なのだろう。
彼等と一緒にいると何時も思う。
佐藤は、シリルなど若いダンサー達と、完全に打ち解け合って大声で笑い転げている。
アマンシオやヨネといった、ベテラン組みにも可愛がってもらっているので、今後の展開が楽しみだ。
深夜 12 時 30 分、地下鉄の駅へ。
最終電車は 1 分違いで発車。
エイミーは、自分が現役の時、この理論を知っていたら、もっと長く楽しく踊れていたのに、と。
アンデルは、フォーサイス作品を指導に行くが、その時に「感じる」という日野の理論を避けて通れないし、それがなければ作品が成立しない、とも。
だから、次の世代には絶対に教えておいていこうと思うと。というような話しが、しみじみと進むパーティになった。
まだ明日 1 日ある。
というよりも、 1 日しかないが。

 

ブリュッセルでの公演の最後のリハーサル。
終わってからフォーサイスが、
「日野のメソッドは、カンパニーのみんなや私もワークショップの時に使っている。バレエダンサーには特に良い結果が出ている」と。
となると、本当に早く日野理論を書き上げなければ無茶苦茶になる。
ワークは、手を合わせての身体の連動から。
シリルが佐藤に「昨年よりも段違いに難しい」とこぼしていたそうだ。
当たり前だ、 5 年もやっているのだから、質を上げていかなければこちらも教えていて面白くない。
「意識」というもの、そして「感じる」という実際。今回は、それらを本当に使えなければ出来ないことばかりをやった。
厳密にジャッジした。
ただ時間が経てばそれなりに出来ている、というようなものではない。
いくら時間が経っても、思考を一つ間違えていればそれは絶対に出来ない。
つまり、身体を操るというのは肉体トレーニングの結果ではない、ということに気付いて欲しいというところだ。
今回のワークには、イスラエルからもわざわざ飛んできたダンサーもいる。
そうかと思えば、色々な理由をつけてワークに参加しないダンサーもいる。
それはそのダンサーが選んでいることなので、私には関係ないことだ。
皆はリハーサルで疲れているので、少しずつ休憩を取りながら進めた。
「最後にやりたいワークはあるか?」
残すところ 1 時間だ。
リクエストは
「正面向かい合い」だった。
円陣を組んで一人ずつ正面を取る。
それである程度感覚が出来たら、後ろから正面を取る。
みんな真剣に向かい合う。
結果、あちこちで抱きしめ合いが起こっていた。
「やっとカンパニーが一つになったね」
ヨネが最後にポツリ。
夜 7 時、「よっしゃー終り、 1 週間お疲れ様でした」

 

早朝 5 時起床。
14 日にブリュッセルでのフォーサイスカンパニー公演までミラノ・ベニス旅行だ。
しかし、一つ気がかりなのは、その切符がホテルに届いていないことだ。
もちろん、パリまでの切符も。
フランクフルトから約 1 時間でミラノ。
飛行機に乗り込んですぐに睡魔が襲ってきた。
何か気配が変わったので目を開けたら、私のバッグを取り出している
「何しやがんねん、こら!」
自分のバッグを入れる場所が無いから、私のバッグを別のところに置き、自分のをそこに入れようとしていたようだ。
私の剣幕に驚き、それらを説明した。
バッグをパクルような奴には見えなかったので、そのまま寝る。
ミラノ空港でバッグを取り、外に出るとトモコちゃんとお父さんが出迎えてくれた。
眠気眼のまま、お父さんに案内されバスでミラノ中央駅へ。
駅ではお母さんも出迎えてくれた。
嬉しいことに、おむすびを電車の中で食べるようにと、沢山作ってくれていた。
お母さんが可愛くてまた良い。
電車の時間までカフェでカプチーノ。
「中央駅近辺は泥棒が多く、日本人が一番狙われやすいのですよ」
とお父さん。
バッグを転がし電車に向かう時、お父さんが
「後ろの二人は泥棒だよ、気をつけて。日本人なので狙われているよ」
とアドバイス。
なるほど人相が悪い。
連中を見ていると連携プレイのようだ。
電車のステップが高く、バッグを持ち上げるのが一苦労。電車の中にいる若者が、それを手伝ってくれた。
実はその若者も仲間だ。
私たちが席に着くと、泥棒だという二人が別々に私達の席の前後に座り、携帯で話をしている。
もちろん、それはフリだ。
「こいつら舐めとんな」
どういう事をするのか興味があり、連中を観察することにした。
3 人は、私たちの周りを離れずに、携帯で話をするフリをしてこちらを伺っている。
一人が、通路を行き来する。
お父さん達は、電車を下りて見送ってくれながら、トモコちゃんに携帯で
「連中は電車から降りていないから気をつけて」
と最後のアドバイス。
「そうか、降りていないのなら次の駅までに勝負をかけてくるのかな」
と思い警戒体制を維持。
電車が出発してしばらくすると、若者が通路を通り私たちの前に来る。
私たちの前で、ポケットをさぐりなにやら探しているフリ。
一時、すると何かが入っていなかったフリをして、通路を戻った。
しばらくして、今度は素通りし、多分別の車両へいったのだろう。
今度はビール缶を抱えて通り過ぎる。
諦めが悪いというか、根気が良いというか。プロなのだろう。
私達は、お母さんが作ってくれたおにぎりをお腹一杯いただく。そしてベネチア。

 

磯の香り、海の香り。湿気、水の音、それらが身体に嬉しく響く。
朝のベニスは、朝もやが運河の上に立ち込め、時代を錯覚させる。
観光客の喧騒はあるが、鳥のさえずりが聞こえる。自動車が無い世界だから響くのだろう。
ゴンドラで細い水路をゆったりと走る。
伝統を重んじる船頭さんは、モーター付きの船は、家を傷める嘆く。細い水路の交差点にさしかかると、「オッ」と声をかける。
水路から窓越しに民家の中の人と挨拶を交わす。
日本とは全く違う文化でありながら、何か懐かしい感じが身体を駆け巡る。

●ベネチア紀行

外国で起こりえること。
列車が予定通り出発しない、到着しない。
ジプシーのスリが出る。
泥棒が荷物を狙う。
乗り換えの駅が違う場合がある。
トランクが壊れる。
それらのことを、全部体験した今回の旅だ。
昨日は、ミラノからマルペンサ空港までの特急が、途中で動かなくなり、バスに乗り換えさせられた。
おかげで、泊まるホテルの送迎バス発着場所を探すのに歩き回るはめになる。
ホテルに電話をし、色々と聞き出さなければならなかった。
おかげで、英語のヒアリングがかなり良くなったのでは、という副産物まで出た。
今日は、フランクフルトからブリュッセルに向けての列車だが、途中で乗り換えなければならない。
その駅が降りた駅と、乗り換える駅が違っていた。チケットには、その駅名ケルンとしか書いていないからここだと思うしかなかった。
しかも、かなり大きな駅だから大丈夫だろうと思ったのだ。
駅員は 10 番ホームだと言ったが、どうもおかしいと感じ、他の駅員に聞いてみようと探したが見当たらない。
…それも変だ。
こんな大きな駅なのに無人?
ホームにローカルの電車が到着したので、その運転手に聞いてみると、やはりこの駅ではなかった。
運転手に「この電車に乗れば良いのか?」と聞くと早く乗れと言う。
乗り換えの駅に着いたが、乗り換えのホームが分からないので、駅を駆け回り教えてもらう。
教えられたホームに走りこんだ。
目の前で列車がゆっくりとホームを離れていった。
珍しく定刻で発車したのだ。
チケットがパーになった。
ケルンで 2 時間待ちだ。

今、ケルンで列車待ちだ。
駅前のスタバで大聖堂を見ながら時間待ち。
風が強い。
駅前には人相の悪い連中がたむろしている。
しかし、ブリュッセルに到着するのは、フォーサイスカンパニーの公演の 30 分前になる。
佐藤が出迎えてくれることになっており、とりあえずタクシーを飛ばして会場へ行こうと思っている。

 

ブリュッセル公演のチケットは、完全売り切れ。
だから裏口から入ることになった。
スタジオでのワークショップで立ち会った作品の本番だ。
安藤洋子さんも、島地君も生き生きと動いていた。
ファブリーズとヤニスの絡み、ヨネとアマンシオ、そこにからむファブリーズ、このベテラン組みの絡みは見ていて飽きない。
アマンシオ、ヨネ、フランチェスカ、ディビット、安藤洋子さんといったベテランが要所要所を固めているのが、現在のフォーサイスカンパニーのパフォーマンスを支えているのが良く分る。
公演を終え、みんなで食事。
列車の乗り違いの話や、スリの話で大盛り上がりだった。
明日は絶対に乗り遅れるなよ、アマンシオに一本釘を打たれた。
朝、起こるべくして起こったのは、目覚まし時計の遅れだった。
しかし、なんとか列車には乗れた。
佐藤が駅まで見送ってくれた。
彼はそのまま残り、ベルギーでのコンテンポラリーダンスのフェスティバルを観る。
それは、何でも世界の流行の最先端だそうだ。
そして、パリ、午前 11 時 35 分。
午後 3 時からワークショップ開始だ。

 

日本文化会館でのワークショップは、殆どが会館の客だった。
そうだろう、金曜日の午後に時間の空いている人は、いくらフランスとはいえ少ない。
ということは、時間を持て余している人が殆どだということだ。
案の定年配の日本の文化ファンの人達が多数だった。
しかし、その中には南フランスから駆けつけてくれた武道家もいた。
明日からのワークショップに参加してくれる人達だった。
嬉しいことに、南フランスでもワークショップを開いて欲しいと頼まれた。
年配の人達を相手にするのは慣れているので、皆と楽しんで終りというワークショップになった。
終わってからの打ち上げで、三度ほど一瞬寝てしまった。
眠たい。

 

翌朝 8 時 30 分、主催者の人が迎えに来てくれ会場へ。
何時ものパリ郊外の道場は借りられなく、パリ北駅に近い市内の道場だった。
道場は、何時もの半分くらいの広さしかないので、募集人数を限定したという。
それでも、約 60 名ほどの人が参加してくれていた。
レピーターも沢山いる。
その意味では、安心して指導が出来る。
あっという間に午前の 3 時間が終了。
昼食を取り、午後の部。今回で 5 回目になるワークショップだが、全回参加してくれている人は、出来ないまでも要素を理解してくれているのが嬉しい。
ある空手の先生は、今までのクセが邪魔をして、何も出来ないと嘆く。
しかし、そのクセを取っていくのも稽古だから、それを楽しんで下さい、とアドバイス。
そんな年配の方が沢山いるのも、このパリでのワークショップの魅力の一つだ。
時々、スポーツ空手の人も混じる。
今回も数人混じっていた。
その人達は、全く武道を理解していない人達だったので、子供のように暴れていた。
しかし、素晴らしいのは、他の参加者の人達の中にも空手の先生方がおられるが、その人達は相手をしないし、「可愛いね」という目をして眺めているのは印象的だった。
しかし、しかし、私が一番驚いたのは、私がキレなかったことだ。
相手をして、数回目潰し攻撃をした。
回りの人は「あっ」と息を呑んだが、当人は全く反応しない。
自分の世界に浸りきっているからだ。
スポーツ空手が良いとか悪いとかというものではなく、私の言う武道とは違う、ということなのだが。
今回は、仕事の都合でヤニスもマーツも参加できなかったのが残念だ。

 

パリ北駅。
30 数年前初めてパリを訪れた時、この界隈でも泊まった。
もちろん、それがどこかは全く記憶にない。
市場があり、そこで買ったリンゴが美味しかったのを覚えている。
駅前のカフェで、軽めの夕食をとる。
と書けば、なにやらロマンチックな香りがする。
しかし、何が悲しくて排気ガスを吸いながら食事をしなければならないのか、というところで大笑いする。
隣の席には、薬の売人、あるいは、薬中のような若者が貧乏ゆすりを絶え間なくしている。
目の前の駅前には、様々な有色人種がたむろする。
中には、そういった薬の売人達もまじっているだろう。
とにかく、人相も目つきも悪い連中がウロウロし、ロマンチックの欠片もない。
そういえば、ケルンの駅前も、相当人相の悪い連中がゴロゴロしていた。
主要駅の周辺は、治安が悪いのだろう。
何しろ、その駅は日本の主要駅ではなく、外国からの出入り口だから様々な欲望が渦巻いていて当たり前だ。
フランクフルトからミラノ、そしてベニス。
ミラノからは、フランクフルト乗り継ぎでブリュッセル。
1 泊してパリ。フランス語も、ドイツ語もイタリア語も話せないから、何ともないと言えば、何ともないが、後半の目まぐるしい変化は、少し戸惑った。
ここはどこ?という感じだ。
明日は朝 6 時 50 分パリを発ち、フランクフルトに 11 時 50 分列車の旅だ。
そして午後 2 時 50 分ルフトハンザで帰国。
関空には、午前 8 時過ぎ。
その日は火曜日、ということは大阪教室。
その翌日やっと帰宅になる。

 

パリ北駅の近くのホテルを 6 時 30 分に出る。
「間に合うのか?」
列車は、東駅から出る ICE だ。
迎えに来てくれた人はそのことを知らなかった。
最後の最後まで乗り物のトラブルは続くのか?
発車 3 分前に列車に飛び乗った。
ここらからフランクフルトまで一寝入り、と思ったのだが、同乗者のフランス人共がうるさくて寝られない。
そうこうする内に列車は発車。
約 1 時間ほど走った時、アナウンスがあった。
どうも車内がざわついている。
コーヒーを飲もうと食堂車に行く途中、車掌が「フランクフルトへ行く客だろう、じゃあ、次の駅で乗換えだぞ」と言う。
「????どうして?この列車はフランクフルト行きだろうに」
慌てて、自分の車両に戻ると、回りの席の客もバッグなどをまとめている。
「列車が変わったから、次の駅で乗換えだ」
と車掌と同じ事を乗客は言う。
駅の名前も知らないが、駅に着くと乗ってきた列車と同じ ICE が止まっていた。
乗れる車両に乗り込み席を確保する。
念のために車掌に席のことを聞くと、どこに座っても良いとの事だ。
今回は予期せぬことばかり起こる。
その後は列車は無事にフランクフルトへ。
フランクフルトの駅では、安藤洋子さんが待っていてくれた。
空港まで行き、安藤さんが作ってくれたおにぎりとおかずで昼食をすませながら、 7 月の安藤さんのソロ公演の案を練る。
安藤さんのプランの実現は相当難しい。
だから面白いのだが。
安藤さんの見送りを受けて、出国カウンターへ。
飛行機は 2 時 30 分に発つ…が、最後の最後までトラぶった。
何やら機械のトラブルで 5 時出発だという。
やっぱり!
本当に今回は最初から最後まで、乗り物でのトラブルばかりだった。
ベルギーに残っている佐藤に電話をかけると、フェスティバルは全く面白くないという。
当たり前だ。
コンテンポラリーダンスという手法はもはや限界まで来ている。
現代音楽の末路と同じ道を歩いているのだ。
手法と目的を履き違えているのだから仕方が無い。
といいつつ、やっと日本へ。
2 時間遅れで到着。
思っていたほど、検疫には時間が取られず、スムーズに入国出来た。
本当にドタバタした旅行だった。


 

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