2005年 夏合宿

恒例の夏合宿は、8月12日から16日まで行った。
今回は、この前に横浜でのダンスワークショップがあったかげんで、東京のダンサーたちが多数参加した。
そういった事で、いつもは女性が少数なのだが、今回は約半数が女性だった。
ワークショップではFeel&Connectをテーマに展開したが、これは武道の基本的な要素であり、武道の全てを括る実際的技術でもある。
いつもは、そのFeel&Connectをピックアップしないで、身体操作を主に稽古するのだが、ワークショップの流れからFeel&Connectをテーマとして行った。
腕を使い、武器を使い、身体を使いFeel&Connectする。武道として。

「相手を感じる」という言葉は簡単だ。
しかし、そこに含まれている中身は多種多様である。
まず相手に対する「目的」がある、そして「相手の何を」があり、それを「どう」で成立する。
つまり、「何を」の実際、「どう」の実際を、自分自身の身体の感覚を通して認知しなければならない。
しかし、認知しても仕方がないのだ。
認知することで、こちらにとって有利な身体運動が起こらなければ意味がないからだ。



会話で言えば、相手の話を聞くだけでは意味がない。
その相手の話を相手の意図に沿って理解することに意味がある。
しかし、その理解も意味がない。
理解した事に対して自分の考えを伝えてこそ、相互の関係が成立したということだ。

であるから、こちらに何もない人、つまり、相手に対して何の目的も意図も持たない人、色々なことに自分の意見の確立されていない人は、人の話や人を理解することなどあり得ないのだ。
そもそも最初から、人や何かと関係していくという事をしていないのだからだ。
それと同じで、「相手の何を」も「どう」も、実は当たり前のこと、当然誰でも潜在的に理解している範疇なのだが、実際はそうではない。
先ほどの、積極的な人との関係の結び方を知らない人、希薄な人が多いからだ。

武道においての「相手の何を」はすこぶる単純だ。
まず「力の量と方向」だ。
その力を出す目的は、こちらを倒す、あるいは殴る・斬ると決まっている。
であれば、「何時相手が」が分かればよいということだ。
何時その力をこちらに向けるのかだ。
それは相手がそれを何時意識するかにかかる。
であるから、相手が「意識した刹那」を認知するということが、「相手の何を」になる。そして具体的な「力の量と方向」だ。
それらを手を通して、あるいは腕を通して、刀を通してという具合に稽古をすすめる。
そして、それらを認知出来ても意味がない。
つまり、認知しても殴られている、倒されている、斬られている、になってしまうから意味がないのだ。
で、具体的な「力の量と方向」を察知し、それと「対立しない方向と力の量を持ち動く」になる。
これが武道でいうFeel&Connectの実際だ。
棒や刀という道具は、ある意味直接腕や身体で接触するよりも微妙な事を認知出来る。
つまり、意識の変化や力の変化を認知しやすいのだ。
そして道具は、自分の手足のようには操りにくい。
だから、道具をどう使えばよいのか、という点で身体の智慧が無意識的に成長するという側面もあるのだ。

アンデルが合流し、少し複雑な組稽古に発展した。
というのは、アンデルはダンサーだ。
つまり、動きの形式認識がすこぶる早いのだ。
それは、子供の頃からクラシックバレエという型、振り付けという型を使った本番という舞台をさんざん消化してきているからだ。
しかも一流であるからそこには厳密に、という但し書きが付く。

角度を変えれば、様々な型を消化しているからこそ、様々な身体運動を理解し取り組む事が出来るといえる。
それが少なければ、自分のクセでしか身体を動かせないのだ。
このあたりの人の身体運動の仕組みを分かっていなければ、武道での成長もダンスでの成長もあり得ないのだ。
つまり、永久に自分のクセの中であり、それを自分勝手といい、そこから抜け出すことなど出来ないのだ。

「型」とは、自分の狭い世界観やクセから抜け出せる為の唯一の道具なのである。
武道の生徒達が試行錯誤している最中には、アンデルは完全に形を憶えている。
そこには歴然とした差があった。
もちろん、アンデル自身は子供の頃から、その世界の優等生で活躍していたという背景をもっているからだが。
しかし、それを差し引いたとしても武道を何年も習っている者よりも、武道としての物覚えがよいのはどういうことだ?

合宿の日程の残りが少なくなるほど、参加者の目が鋭くなっていった。
もちろん「真剣向かい合い」を自分自身のテーマとして持っている人だけだが。
そして、「何を」「どう」に対する取り組みが自分のものとして定着しつつあるからだ。
つまり、テーマに対しての意志が芽生えて来たということだ。
もちろん、そうではない人もいる。
そこの垣根は「思い込み」の世界の住人か、「現実」の世界の住人かの違いだ。
Feel&Connectとは、まさしく現実の住人ならではのもの、現実に生きているからこそのものである。

今回の合宿は、例年のように「ひたすら汗をする」ではなく、「ひたすら心に汗をかく」だった。
「感じる」という実際。
そして、その実際と実際の作業とテーマ。
それらを一致させるという稽古だ。
ここが無ければ、実際は何も成立しない。
もちろん、道場内では成立する。
そして特定の個人とは成立するが、それでは何の意味もない。
「道場だけでしか通用しない人間になりたいの?」そんなバカな話はないとは思っているだろうが、それは取り組み方次第であって、その「もの」があるのではない。
それすらも分からない人が多いのだが。

アンデルはカンパニーに帰る。
おみやげに「肘打ちの型」を教えた。
腕は肘の動きと比例する。
肘は型の動き、胸の動きと比例する。
つまり、腕の操作には絶対にかかせない基本的な動きであり、定規だ。
型の順番は二回通しで憶えてしまった。
後はその要素だ。
これは一朝一夕では獲得出来ない。
「わけの分からないウオーミングアップやストレッチをするくらいなら、この型をすればいいよ」
その言葉に「そうだと思う。今までの身体に対する認識は全部間違っていると感じた」と答えた。

先乗り込みし、先に東京に帰ったマーツ。
彼女は刀の基本的な操作を二回で憶えた。
しかも美しい。
思わず「どうして出来るの?」と聞きたくなった。
というよりも、二回は無理としても数回で憶えて当たり前の単純な運動だ。
そんな単純な運動に何日も費やさなければならないとは、どんな自分なのか。
と問題を自分に転嫁しない人が沢山いる。
それでは、永久に出来ることはない。
例え、単純な運動であってもだ。
マーツの身体は素晴らしく感度が良い。
しかし、全身は繋がっていない。
マーツ自身その事に気付いている。
それは私のドイツでのワークショップの最終日に「どうして日野の身体は繋がっているのに、私の身体は繋がっていないのか。繋げる方法を教えて欲しい」と言っていた。

身体を繋げる一番の実際的ヒント(どうしてヒントなのか。残念ながら実際に自分の身体を繋げるのは運動を媒介とし、自分自身の感覚と意識で行わなければならない。だから、こちらが教えることが出来ないのだ。だから『ヒント』ということになるのだ)は、胸骨の引き上げの姿勢からの体重移動だ。
これを徹底的に行った。
結果、身体の根幹部分は繋がったとマーツ自身自覚した。
その事によって、マーツの何かが変化した。
内的な何かが確実に変わった。
それは使える何かを掴んだからだ。
目の深さが増したのだ。

今回の合宿ほど、人の変化を見られた合宿はなかった。
日野武道研究所に集う人たちの何かが確実に熟成されてきているのだろう。
来年はもっと大きな変化があるに違いない。
但し変化する人にとってはだが……。

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