2008−8・12〜15 夏合宿
イタリアから帰国して直ぐの夏合宿。
予定していたとはいえ少し疲れた。
一日早く、東京教室のみんなが乗り込んでくれた。
屋根の修理がはかどらないと言っていたから、気を使って修理の手伝いに来てくれたのだ。
屋根は、思いのほか傷んでいて、屋根を剥がしたとたん「こらあかん」と思った。
即刻材木屋に材料を発注。
ワークショップ後、ごそごそとやるしかない。 今回の夏合宿では、何をテーマにするかは、全く考えていなかった。
その前が余りにも忙しかったので、その余裕がなかったからだ。
しかし、 BAB ジャパンから DV を出して欲しい、と何年も前から頼まれていたのを収録することになったので、その DV のテーマである「対人関係」を稽古することに決めた。
もちろん、 DV に撮ることを稽古するのではない。
私は基本的には、常に「即興」だからだ。
相手に腕を握られる、という条件から、相手を明確に感じなければ、相手は無意識的に反応し、予期せぬ攻撃を仕掛けてくる。
したがって、絶対条件は明確に相手と接して入る部位を感じ、尚且つ、その部位を微動だにさせないこと、これが絶対条件になる。
ということは、自分勝手な動き方をすれば、絶対に駄目だということになる。
ここで曲者は「相手が接している部位を微動だにさせない」だ。
これはパントマイムの如く、具体的に動かないということではなく、もっと難しい「相手が、こちらと接している部位を、動いているように感じてはいけない」という条件だ。
こういった条件が、精密でデリケートな身体感覚、身体運動を養うのだ。
その握られた腕を通して、相手に対してこちらの体重を移動させる。
とどうなるか。
相手は無意識的な反射をすることなく、こちらの体重が相手に移動し崩れ落ちるのだ。
ほんとうに、うちの稽古は地味だ。
それは仕方が無い。
「本当に出来る」を身に付けようと思えば、ひたすら地味な稽古を繰り返すしかないからだ。
もう一つは、「何が分らなくて、何が出来ていないのか」を自分の身体で探し出すしかない。
また、組稽古が一つのメインでもある。
「相手に働きかけているのか」だ。
見た目には、自分の前に相手がいる。
そこに突き、あるいは、組技をしかける。
だから、一般的には「相手に働きかけている」ことになる。
しかし、相手に働きかけるとはそういうことではない。
それは、一つの条件、あるいは約束がそう見せているだけであって、自分自身の気持ちなり意思なりが相手に働きかけているのではない。
そこを突き詰めていくのも稽古だ。
実際問題、相手にきちんと働きかけている人は稀有だ。
だから、そこだけを取り出して稽古を積み重ねていくしかない。
そこだけを取り出しているのが「武禅」だ。
相手にひたすら声をかける。
ひたすらだ。
ただ武道の場合は、日常的な働きかけでは話しにならない。
俗にいう「鬼気迫る気迫」が必要なのだ。
つまり、旺盛な生命力を源とする本質的なものだ。
そんなことを繰り返し、あるいは、混ぜながら合宿は進行した。
また、何時もそうだが、今回も皆で考え一番良い方法を探すという作業をした。
それぞれ異なった視点、あるいは、レベル差から出てくる言葉が違う。
それを理解する。
そのことで、自分のレベルを知る、という訓練だ。
打ち上げ前日の夜、相手とコンタクトをする、相手と意識同調する、という稽古をダンサー達だけに行った。
イタリアから参加していた女性もいたので、練習方法を知っていれば帰国しても稽古が出来るだろう、と思ったからだ。
「やさしい気持ちになりました」
と飛び上がって喜んでいた。
その稽古中、何かに気付いたダンサーがいた。
「やった!」
という気持ちになった。
見ている誰もが、その男性の身体がクリアに見えると言ったからだ。
どうしてそうなったのか。
頭の中が空っぽだったからだ。
空っぽというのは、
「こうしよう、ああしよう」とか「どう見えているだろう」とか、「うまくしなければ」とか、「こんな気持ちで」といったような、最低の雑念が消えていた、ということだ。
当たり前だ。
これらの雑念があると、何が見えているかと言えば、その人の顔だけ、あるいは、頭部だけしか見えないのだ。
やっと、ダンサーが一人舞台に立てる身体を手に入れた。
もちろん、まだまだこれから本格的に「動き」をやりながら、この状態を維持できるかどうかを試したり、更新させたりしなければならないが。
しかし、コンタクトの感覚を実感したのは事実だから、何かがあればそこに戻ればよい。
しかし、そう見えているのは「私」であって、彼ではない。
一体彼は、何を感じ取り、どう自分のものにしていくのか。
そう易々とは、自分のものに出来るとは思わないが、出来るだけ早く自分のものにして貰いたいものだ。
どうして、そう易々とは出来ないのかといえば、今までの自分の考え方が、実感したことを捻じ曲げていくからだ。
考え方が間違っている、という気付きも難しい。
結局「出来た」「出来ない」というレベルでしか、頭を働かせることは出来ないのだ。
それが一番大きな壁だ。
実感したことをそのまま身体に置いておく、記憶に留めておくというのは、至難の業だ。
ということも、きっと知らないだろうから、つまり、そんな体験を山ほど積んでいないだろうから、易々とではないのだ。
結局のところ、自分の頭との勝負なのだ。
怪我人もなく、今年の合宿も無事終えた。
沖縄、イタリア、と続いての合宿は、さすがにこたえる。
この後に、 1 週間のワークショップ、そしてショーケースと続く。
来年も夏はこのスケジュールで動くのなら、合宿は無しや!身体がもてへんで! |