2010-7/16-19福岡ワークショップ

2 年目の福岡は、痛い日差しの真夏だった。
昨日まで、集中豪雨や局地的豪雨で、日本列島に多くの被害を出していた事を忘れさせた。
新幹線が博多駅に着くとスゥエインさんが迎えに来てくれていた。
ホテルにチェックインを済ませ、昨年と同じ会場の三ノ上バレエスタジオに向かった。
会場には、見知った顔、顔、顔。
今回のワークショップには、遠くは鹿児島や岡山、広島、熊本、長崎からも参加してくれていた。
特に、バレエをはじめダンスの先生方が、 10 人以上参加してくれていたのは本当に嬉しい。
胸骨操作をはじめ、稽古の方法、表現の為の稽古法等々を、それぞれのスタジオやジャンルで活かせて貰えるのは、多くのダンサーを目指す人たちの質を上げることになるからだ。
昨年は、はじめての福岡というのもあって、参加者は途方にくれている感じがあったが、今回は、休憩時間も惜しみ非常に熱心に、そして真剣に取り組んでくれていたことが印象的だった。
車椅子の方も 2 人に増え、武道の人や邦楽、鍼灸師、介助師他、前回にも増してバラエティに富んだ顔ぶれになっていた。
見知らぬ人と人が集まり、一つのことに取り組む。もちろん、個々の目的は異なるが、喜々として取り組む姿は美しい。
また、ジャンルが違うことが、自ずと見識も異なる。
それが、相乗効果を生み、取り組みが深くなる。
バレエ等ダンスの先生方の参加から、平均年齢が引き上げられていたのも、集中度が深くなった原因だろう。

私のワークは「動けば良い」というものではない。
もちろん、指示したようには一朝一夕では、いくらダンスの先生方でも動けない。
それは、武道独特の死生観が根底にあり、そこから紡ぎ出したものだからだ。
単純には、動きそのものに力が出なければならないし、相手の力と衝突してはいけないし、相手にこちらの動きを気付かれては駄目、という基本的条件があるからだ。
だから、全ての動きは体幹からか、指先のように身体の末端から動き出すのだ。
だから、若い人達には、身体の奥を見る目が育っていないので動けない。
そういった若い人達が大半を占めたときは、諦めて、あるいは、出来たと思って、ボーッとしている人を見かけるのだが、今回はそれが無かった。
だから、かなり充実した時間になったのだろう。

例によって、1日目は胸骨操作の説明と、その意味。解剖学的運動解釈と、生きた人間の運動との違い。
そして、表現ということの難しさ。
もちろん、受講者が全員プロの表現者になろうというのではない。
しかし、そういったことを知っているのか、知らないのかで人生を生きる技術に差が出る。
というよりも、自分自身を誤解しないですむ。
それは、相手を誤解しないですむというところに繋がる。

昨年も参加してくれていたクラシックバレエの女性が
「昨年西日本のバレエのコンクールで優勝しました。感性という言葉が響きそれが良かったのだと思います」
と、嬉しい報告が聞けた。
「ほんなら、次は日本一になれよ」

日野理論でバレエを習えるのではない。
日野理論はあくまでも身体理論だ。
だから、バレエを知らない人が、出来るようになるのではない。
したがって、どこで使うのか、が明確では無い人には、無用の長物なのだ。

「アイソレーション(ジャズダンス等のテクニック)かな?」
あるダンスの先生は、1日目のワークを終えて、家に帰ってから相当悩んだという。
翌 朝、私の胸骨操作を見ながら、私の腹部と背中を触り、自分の動かし方は違うと発見した。
さすがは、ジャズダンスやバレエを教えているだけの事はある。
その試し方、つまり、仮説のたて方、失敗の仕方は、若いダンサー達の道標になると思ったので、皆に発表して貰った。
発表が終わると、自然に拍手が湧いた。
あちこちから、「さすが○○先生だ」という呟きが起こっていた。

取り組む為には、考えなければならない。
しかし、その考えるというのは、自分勝手にではない。
自分の使える知識でなければならないのだ。
つまり、考える為に当てはめられる基準を持っていなければ駄目なのだ。
それがバレエであったり、ジャズであったり、合気道等々、何でも良い。
それがあるから、違いが分かる、差異が分かるのだ。
そして、その当てはめるものの質が高ければ高いほど、その違いがより明確に理解できるということになるのだ。
だから、自分の何を変えなければならないのか、が分かり、前に進む事が出来る、成長させて行く事が出来るということになるのだ。

そんな楽しい雰囲気も、ある程度、年を重ねた人が参加してくれているおかげだ。
「よく考えたら、1日中身体中をねじっていただけですよね」バレエの先生が、笑いながら言っていた。

「どこがどう動いているのか、その どこ というのは自分で決めて下さいね」
肩を動かす、肘を動かす、膝を動かす等々、身体を動かすポイントが幾つか有る。
しかし、大方はそのポイント自身漠然としたものだ。
それは、頭の中にある言葉としての身体のパーツを、実際の身体にきちんと当てはめるという作業をしていないからだ。
もちろん、それは間違ってはいない。
それは、その程度の身体操作で良いようなこと、非常に精密な身体操作が要求されていないジャンルだからだ。
身体操作の質を上げていくことの側面の一つは、この漠然とした身体部位の名称を、どれだけ精密に身体に当てはめて行くかにかかっている。
だから、「どこを」を自分が決める必要があるのだ。
そして、その「どこ」というポイント点が、ねじれによって「どこ」まで動いたのか、を身体感覚を総動員して知るのだ。
そのことによって、点の運動や運動線を知ることができ、それを辿ることが、「動き」として見えるのだ。
したがって、決めた点は小さければ小さい程良い。
それは、精密な動きに繋がるからである。

悩む楽しさも、表現塾となればいっぺんに吹っ飛ぶ。
表現塾の基本になるワークは、正面向い合いだ。
他人と向き合う、共演者と向き合う、観客と向き合う、そして自分自身と向き合うのだ。
これも、2人組みでの稽古の間は、和気あいあいの内に進む。
しかし、しかし、本当に向い会えているのか、と客観的検証、つまり、第三者がその二人を見て、向い会えているのか否かの判定をする。
その途端、皆無口になる。
経験者が判定を誘導しつつ緊張の時間が流れる。

「目で見て判定してはいけませんよ」この言葉には、初めての人は戸惑う。
目で判定するのではなく、ピッタリ相互に向かい合えた時、何かしら胸部の辺りで感じるものがある。
それを感じ取って欲しいからだ。
これが中々難しい。やはり目で判定してしまう。
そうすると、利目によって、若干のズレが起こるからだ。
そして何よりも、向かい合えた時の「何か」を体感することが出来ないのだ。
それは、利目による判定は頭を使っているから、感覚に対してフィルターをかけているようなものになっているからだ。
つまり、頭を使っているときは、感覚系には注意が向かないのだ。

10 人位のグループに分かれ、そのグループの前で二人が向かい合って立つ。
「向かい合っている」と思い込んでいる目の人が多い。
それは、ある意味仕方が無いのだ。
というのは、改めて、人と向かい合うということをするのだから、頭に「向い会わなければ」という意識が発生する。
となると、「向い会わなければ」と「思っている」という状態になる。
つまり、向かい合えていないのだ。
そして、体感出来ることはないのだ。
それに気付くまで、そして、そこから脱出するまでには、相当の時間がかかる。
自分の頭との葛藤だ。

そんな中一人、思い込みの典型的な男性がいた。
「皆、彼の目を見て」
そうすると、口々に
「自分の世界に入っているだけ」「気持ち悪いです」等々と感想が飛ぶ。
一人の先生が「あなた、何を気取っているのか」と、彼の有り様の核心に触れた。
その男性は、途端にキレた。
当然だ。気取っている、つまり、自意識が幼いということであり、それは他人と向き合えないのだから、対抗することしか知らない。
当然キレる。
巷の事件の一因と同じだ。
しばらく様子を見ていたが、どうにも収拾がつかなくなっていく。
幼い自意識は、場の状況を分らない。
つまり、他人から見た自分、ということ、そして、それを指摘されること、そのこと自体が稽古だということ。
そのことを何一つ理解できないのだ。
つまり、自分の頭の中にある世界だけが、その幼い時意識の人の全てだからだ。
ここを一歩抜け出すのは、難しいとも言えるし、容易だとも言える。
「他人からの目」に対して、自分の事としてショックを受ければ良いだけなのだ。

そんな怖い時間も、日頃誰からも指摘されない立場にいる先生方にとっては、新鮮な時間だ。「ありがたい事です。誰も言ってくれないですから」と、一応に言ってくれる。

今回は、精神病院の介助をしている男性が参加していた。色々な介助の技術の講習会に出ているが、どれもこれも机上の空論で、実際に使えるものが無いという。その理由は簡単だ。人を知らない人が技術講習を開いているからだ。つまり、物理的な観点だけで、介助をしようとしているからだ。以前も、岡山で同じように精神病院での介助を質問された。そこで指導したことを、今回も教えて上げた。「どうして、そんなに簡単に人は動くのですか?」と不思議そうに聞く。「それは人だからですよ、つまり、物ではないから、意識に働きかければ動くのですよ」「これは簡単だから、看護師の人達に教えても良いですか」「もちろん、いくらでも使って下さい。それで、患者さんも介護や介助をする人も楽になるし、違和感が発生しないのですからね」

4日間のワークを終え、打ち上げへ。「博多は何が美味しいのかな」地元の人に聞いてみる。お酒は何が美味しい?空手の先生が二人おり、その個別の質問に、打ち上げ会場は道場に早変わりだ。「先生、特別指導料金を取らないかんよ」誰かが叫び大爆笑。深夜 12 時、「2次会は、誰が行くんや」結局、深夜3時、来年の再会を約束して解散した。

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