関西でのワークショップは、ダンスボックス主催で大阪・天王寺に始まり、現在では神戸の新長田で毎年行っている。
参加してくれる人達は、意外と京都の人が多い。そんなこともあり、今回初めて京都でワークショップを開くことになった。
日野武道研究所に来る、京都のダンサーが企画し、「まなびや 2010 」のプログラムとして実現したものだ。
しかし、ワークショップを開く時期のタイミングが悪かったのか、結果として京都で何らかの形で、ダンスに関わっている人達が殆ど来なかった。
残念なのか、そんなものなのかは分からない。
京都は大学が沢山あり、若い人達も多い。
そして、芸術に関するサークルや団体も多くあり、活動も見る限りでは活発に行われている。
その意味で、若いアーチスト達と会えるのを楽しみにしていたのだが。
にもかかわらず、 4 日間で延べ人数 400 人を超したのは、嬉しい限りだ。
■2010/11/11 ( 木 ) 今日から京都
京都に早く着いた。
錦市場から新京極辺りをぶらっと散歩。
錦市場は昔は市場だけだったが、今では店で食べられるようになっているところが増えている。
メニューを良く見ると高い。
決して市場で食べる値段ではない。
「何か勘違いしているんと違うんかい」思わず言いたくなる。
商魂逞しいと言えば、それまでだが、それが味とバランスしていないから恐ろしい。
ほんと、高いだけ。
15 歳の時、先斗町で働いていた。
その頃は、休みになると新京極の当たりにあった映画館によくいったものだ。
しかし、驚くのは何が良いのか悪いのか分からないが、どこが京都やねん、という建物が多いことだ。
どこの街にでもあるような店、ブティック、量販店。
修学旅行の子供たちもウロウロしているが、大半が携帯片手に、どこにでもいるような子供達ばかりだ。
今日から京都でワークショップだ。
新しい出会いがあることを期待したい。
■2010/11/12 ( 金 ) 高瀬川
京都でのワークショップの出だしは、 1 コマ 30 人平均になった。
参加実数は 80 名を超えた。
会場全体の主催者は、 40 名で大成功だと言っていたそうだ。
だから、実数を聞いた時「京都でこんなに集まるワークショップはない、奇跡だ」と言ったそうだ。
また、 11 月はダンス公演もワークショップも多い。
むろん、今回重なっている舞台もある。
京都造形大学では、以前知り合いになったピチェが公演をしている。
そんな中でのこの人数だから、大したものだ。
会場となっている「まなびや」は、昔の小学校をそのまま使っている。
そこの講堂が開場だ。
風情があって中々良い。
とはいうものの、夜になると冷え込んでくる。
でかいストーブが 2 台しかないからだ。
モダンダンスの先生や役者、俳優、ダンサー、武術、普通のお母さん、坊さん。
面白い程バラエティに富んでいる。
やり易いとかやり難いと、言っても仕方がないのだ。
2 年ぶりに見る顔。
岡山から来てくれた女性だ。
彼女の視線が良い。
きちんと、対峙しているのだ。
つまり、人と関われるということだ。
数年前の大阪でのショーケースには、それだけで舞台に上げた。
その女性が、来年の岡山で私のワークショップをしたいと言いだしている。
面白い展開だ。
京都でのワークショップは、何時ものように恙無く 8 時 30 分に終了。
平岡さん達と、食事に行き一杯飲んで、では明日。
■2010/11/13 ( 土 ) 再会
ワークショップの休憩の時、気分転換で学校を出た。
目の前の高瀬川を見ると、川に床が置いてあった。
そこで何かするのかな、と思い辺りを見渡すと、橋の上に人影がある。
そこからは学校の運動場に入れるのだが、入口には鍵がかかっている。
だから、橋の上の人影は通行人や、運動場を使う人ではない。
その人影をよく見ると見覚えのある顔だ。
「おおおお〜おお」
「アキラさん?」
握手をし、抱き合った。
そうせずにはいられなかった。
デカルコ・マリーことシミちゃんだった。
彼とは、何十年ぶりだろうか。
もしかしたら、 30 年になるかもしれない。
ドラマー現役の頃は、色々なエピソードを二人で残してきた間柄だ。
積もる話をしながら、シミちゃんはパフォーマンスの準備を続ける。
「そう言えば玉水町煙はどうしてる?」
「あれっ知らんかったん、死んだよ」
「あああ…、そうか」
「それが煙らしく、煙のように死んだんや。一杯飲んでいて、そのままソファーで横になって死んだんや」
「ほんまやな、煙らしいな」
「ところでアキラは、ドラムを叩いてないの、また一緒にしたいな」
「そうやな、いずれ機会があればな」
後ろ髪引かれる思いで、ワークショップの教室に戻った。
背中で床を感じるをやり、後ろからそれを阻止するというワークをやった。
後ろから支える人は、どれ程の力持ちでも訳もなく転げる。
「一人くらい面白くないから、 3 人で阻止しよう」
というノリで、何人おれば、阻止できるかを試した。
結局、 1 対 33 人になった。
今回初めて受講した男性が、床を感じる役をした。見事に全員がドミノ倒しのように倒れた。
全員大拍手!と大歓声!
「面白いやろ、こんな意味のないことが面白いし、そんなことが先々役に立って来るんやで。よっしゃ youtube にアップするわ」
■2010/11/14 ( 日 ) 明日は楽日
明日で京都最後。
実数で受講者が 100 人を超えた。
色々なイベントが重なっているのに、この数字は大したものだ。
朝、少し古く雰囲気のある、小さな喫茶店でモーニングを注文した。
小さい喫茶店だが、カウンターに二人、外に一人いた。
果てしなく遅い。
こちらは、時間が決まっているので、少し焦る。
トーストが出てくるまで 15 分かかった。コーヒーは火傷をするくらい熱い。
今時、それはない。
きっと手鍋で沸かし直しているのだ。
それにしても、コーヒーの温め方を知らない。
今時の子だ。
急いで食べ終わって会場へ。
外に出ると、人の多さに驚く。
ミナミでもこれほど歩いていないだろう。
それは、観光地だから仕方が無いと言えばそれまでだが。
それにしても、これほど多くの人が集まってくるのは異常だろう。
それぞれ情報誌やネットからダウンロードした情報、携帯を手にしている。
どれ程踊らされたら気が済むのだろう。
木屋町の交番所前には、制服の警官がとにかく沢山いる。
ワークショップは、何時もの流れで進んでいった。
流れに乗る、とか表現塾は手こずっている。
しかし、表現塾で唯一満点を出したのは、平岡さんペアだった。
さすがベテランの役者さんだ。
技を持っているから、観客側の人達にアピールしやすいのだ。
良い雰囲気の中で明日は楽日だ。
常連のモダンダンスの先生が、生徒さん達を連れて受講してくれることになっている。
■2010/11/15 ( 月 ) 50人のドミノ倒し
京都のワークショップは無事終了。
最終日は一コマ50数人になり、会場の講堂も熱気で窓を開けなければならない程だった。
シゲヤンも、前日の別府での本番を終え、朝一番の新幹線で乗り込んで来た。
栃木や熊本、茨城、静岡他、近畿圏以外からの参加者や一般の人の参加も多かった。また、地元の人の参加者が少なかったのが、今回の特徴だ。
特に、ダンス関連の人達が殆どいなかった。
大阪が3としたら、京都は7位の割合でダンサーがいる、と聞いていたが、それだけを言えば拍子抜けという感じだ。
また、コンタクト・インプロビゼーションの人達も、多いらしかったのだが残念でした、だった。
打ち上げで、2次会が終わったのは、午前3時前。
庭師、建築関係、ケーキ職人、格闘家、ギタリスト、主催者を除いてダンス関連の人はいなかったのは寂しい。
先日、背中で床を感じて行くで、数珠繋ぎでやった。その時よりも参加者が多かったので、もう一度やろう、ということになり、ぶっつけでやってみた。
倒す役は、小学 4 年生の女の子。
彼女が床を感じようと身体を動かす。
50数人がドミノ倒しのように転がるスピード感は、想像を超える面白さだ。
youtube にアップしましたよ。
参加してくれた皆さんありがとうございました。
次は来年2月5日から、ダンスボックスです。
■2010/11/16 ( 火 ) その場でしか出来ない
打ち上げは本当に楽しかった。
平岡さんがお隣に座ってくれたので、色々と即興で試す事が出来たからだ。
「 2 月の神戸でのワークショップの後半は、全コマ『表現塾』にし、ショーケースをするのですよ」
「それは楽しそうですね、絶対に参加しますから」「ピナバウシュがあっちの方向に行ったでしょう、あんな中途半端なことでええんやったら、と思って一寸考えていることがあるのです」
そんな話から、二人で即興で芝居を始めた。
平岡さんの隣にいる奥さんは大笑い。
「いいわ、絶対に観に行くからね」
「日野さん、ほんまは出たいんと違いまんのんか」
目の前にあったメニューを使って朗読。
じゃあ、それに伴奏を、ということでジャズギターリストにふる。
「あかん、あかん、それは只の合いの手や」
「ジャズではこんな隙間を埋めるような作業が多くて」
「伴奏はそうと違う、ちょっとやるで」
テーブルドラムで一叩き。
その場だから出来た、平岡さんや周りの人との会話。
本当の会話だ。
それこそを即興と言う。
隣のテーブルを見ると、若い参加者は自分達の話で盛り上がっているようだった。
「それをしたいのなら打ち上げに来るな!」
何時でも出来る話、自分達のレベルの話。
自分達だけしか分からない話。
それをするのは中学生、高校生のレベルだ。
現実をはっきりと認識できない時期だからだ、それは仕方がない。
だから、人の話も、自分よりも高度なレベルも、他人の話から自分の人生で役立つことを選択できないのだ。
平岡さんの奥さんが、目の前にいた若い人に
「あんたらは、幸せやね。こんな話はどこへ行っても聞けないよ」
こんな話は、書き続けているが、今回もそうだった。
例えば、ワークショップでやる事に意味があって、雑談には意味が無い、と判断している、あるいは、無自覚的に思っている。
だから、同類の者としか会話が出来ない。
いや、会話が出来ないから、同類のものと寄り合ってしまうのだ。
実際に重要な意味のあることが展開されるのは、雑談しかないのだ。
大学生に
「何か面白い話をしろ」と振った。
大学生の話が終わった
「あほか、お前の話は面白ろないわ」
と一喝。
間髪を入れず平岡さんが、大学生の話を語りだした。
ちゃんと落ちを作って。
一同爆笑。
という荒っぽいやりとりが、実際の勉強になるのだ。
勉強は構えた場所にあるのでも、構えた時間にあるのでもない。
何気ない時間に常にあるものなのだ。