2013-3European Tour

3-22

飛行機に乗ると、とりあえず寝るというのが身に付いた。ウイスキーのロックを飲み、とりあえず寝る。
今回もそうした。しかし、ロックを一気に飲むときつい。
日頃から飲み慣れていたら別だろうが、私は普段は飲まないので、かなりきつく寝るどころでは無くなる。
が、無理をして寝ることにしている。

カウンターで、「意外と空いています」と係りの人に言われ、一寸ホッとした。
隣に大きな人が座ったら、それだけで圧迫感があり、ゆっくり出来なくなるからだ。
パリの空港に着いた時、大方がツアーだから、全員が集まるまで動かない。
だから、入国審査場はスッといけた。
到着。
今、現地時間の 8 時過ぎだ。
レオさんが携帯を見ながら、待っていてくれた。
ホテルは、よく泊まるアメリカンなホテルだった。
レオさんにパン屋さんを教えて貰い、クロワッサンを買った。
スーパーでジュースとヨーグルト。
今日はこれで寝る。

明日は何と 8 時 30 分に、クリスチャンさんが迎えに来ると言う。
それから、どうするのだろう。
市内観光など、もう飽きてしまった。
もしかしたら…
面白い事を体験させてくれるのかも。
彼は、フランス警察の射撃の教授だ。
だから…。
明日の朝は、時差ぼけだから 6 時には目が覚める筈。
だから、8時30分は大丈夫だろう。

3-22

やはり、時差ぼけとの戦いをするしかなかった。
夜 10 時過ぎに寝て、 2 時 30 分に目覚め、そこから約 1 時間おきに目が覚める。
5 時、仕方がないので起き出す。
6 時 30 分、ホテルを出て、寒いパリを散歩。
外国へ来た初日の朝は、毎回このパターンになる。
やっぱり、走っている人がいる。
多分、温度は氷点下くらいだろう。
短パンにタンクトップだ。
病気だろう。
しかし、これだけ身体を動かすのが好きな人達に、農耕民族は真正面からはぶつかれないと、何時も思う。
そこで生まれた知恵は、大事にしなければ直ぐに失われていく。

今日は朝からクリスチャンが迎えに来ると言っていたので、ロビーで待っていた。
時差ボケで時間を間違って聞いたかな、と思いつつ、 8 時 30 分から 9 時過ぎになった。
9 時 30 分だったかな、と 9 時 30 分を回るまで待った。
眠気も襲ってくるので、ダレタ状態に拍車がかかった。
こらあかん、部屋で寝て待とう、と部屋に帰ったのが 10 時過ぎだ。
ベッドに横になって、目を閉じたらフロントから電話が掛かった。
「ヒノセンセイ、遅れてしまいました」

迎えに来てくれたのは、やはり常連のエルビスだった。
悪気の欠片も、申し訳ないの欠片も無いところが可愛い。
メトロに乗り、オペラ座駅へ向かう。
オペラ座正面の階段を上がると、クリスチャンが車に乗って待っていてくれた。
そうか、忘れていた。
彼の顔を見て思い出した。
「ヒノ、次パリに来た時は、射撃をしよう」
だった。
フランス人らしく、ボロの車だ。
助手席に乗り込むと、床に何かが転がっていた。

コンコルド広場を抜け、射撃場へ。
といっても、ここが?というくらい、ここがどこなのか分からない。
ただ、レンガ作りの高架下にある、何かの物置か、壊れた事務所という感じだ。
しかし、セキュリティはしっかりしている。
カメラが何台も設置されているし、鍵も二重になっている。
中に入ると、洞窟のようなカビの匂いが鼻についた。
壁には色々な銃が掛けてあり、日本刀まであった。
レンガ作りの高架の中をくり抜いた建物で、そこが射撃練習場だった。

クリスチャンが持っていたアタッシュケースには、機関銃が2丁。
リュックには拳銃2丁と無造作に実弾が沢山。
こんな武器を普通に携帯しているのに、一寸ドキッとした。
警官のする訓練を、そのまま教えて貰えることになった。
拳銃での射撃は、 10 年ほど前にイギリスの特殊部隊の武術教官からも、訓練に参加させてもらい、レクチャーを受けたから、何となく理解出来る。
…エキサイティングと言うしかない体験だった。
様々なスタイルでの射撃。
号令に合わせての射撃。
的に近づいたり、遠のいたり。
次は、機関銃だ。
「とにかく打ってみろ」ということで、引き金を引いてみた。
予想しない反動が襲った。
銃口は完全に上を向いていた。
大笑いだ!
「ヒノ、周りの人が何人倒れた?」
難しすぎる。

もう一つ飛んでも無いオプションがあった。

ヴァンドーム広場にある、ナポレオンが持ち帰った戦利品の大砲や、様々な武器を溶かして作ったという青銅色の塔。
別にその塔には観光の為と、中に入れるのではない。
どういうコネか、どういうシステムかは知らないが、その塔に登らせてもらった。
しかし、中に入ったのはいいが、急勾配の螺旋階段の幅が約 50 cmくらいだろうか。
目の前には壁が迫り、「一寸これは無理」という感じになった。
圧迫感と螺旋で頭がおかしくなってきた。
176 段くらいの階段を登りきった時には、完全に目が回って気分が悪くなっていた。
サクラダファミリアも登ったが、それよりも閉鎖感があった。
「あっちがモンマルトルの丘で…」
と色々説明してくれるが、「どうでもええ、気分が悪いんや」まあ、一生に一度の体験だから。
昼は特大のピザだ。
射撃場の近くにあったイタリアンの店に入った。
これはこたえた。
「あかん」これは晩飯抜きにしてやろうと、その晩は食べなかった。
昼食後、彼らと別れホテルへ帰った。

パリの初日は、ホテルの近くにある、何時もの少し狭い道場だ。
道場に近づくと、顔なじみの人達が、声をかけてくれる。
その道場に 50 人以上は、異常に熱気がこもり、蒸し風呂状態になっていた。
外は氷点下にも関らず、皆汗まみれだ。
初めて受講する人も沢山いたので、とりあえず一番基本の体重の移動から始めた。
常連の人達は、復習の意味もあるから、熱心に取り組んでくれていた。
片手持ちからの移動。
相手の力がこちらに伝わってからの移動。
突きに対しての移動。
人は、次に何をするのかを知っているから、次のことをうまくやる為に最初の事をする。
それでは稽古にならない。
そのクセに何時気付けるのか。
そこが身体の世界に入るのか、自分の欲望だけの世界で終わるのかの、分かれ道になる。
もちろん、日本でも同じだ。

 

2 日目は、何時もの郊外の体育館だ。
いつも通り 7 , 80 人はいるだろうか。
前回参加してくれていた、柔道 5 段の巨漢もいた。 190cm 以上、 120kg 以上だろう。
今回も投げ飛ばしてやろう。
しかし、打撃系を絡めた練習になると、体術関係の人はまるでどうにもならないのが参った。
それでも、皆熱心に真摯に取り組んでくれていた。
相手に対しての立つ位置は難しい。
つまり、身体そのものをどう動かすのか、という問題があるからだ。
そして、足が先に動いてしまうこともあるからだ。
胸骨がリードして動く。
そのバリエーションを練習した。

今日も晩飯は抜き。昼食は特大のクレープだったので超満腹。
だから夜はバナナだけで良いだろう。
稽古が終わり、数人の空手の先生方と、カフェでコーヒーブレイク。
「毎回新鮮で驚くばかりだ」と嬉しそうに話してくれる。
「自分の習った事と、全く違うアプローチだから戸惑うが、こっちの方が正しいと思えるようになった」とも。明日はパリ最後。
終わったらその足で、フランス最西部の街、ブレストまで飛行機だ。

3-25

パリ終了。

何時もの事ながらパリからは、相当遠方からの人が多い。最後の稽古は、投げから入った。
「気持ち良く投げられてください」
余りにも寒いから、それをウオームアップ代わりにした。
もちろん、投げられるのが苦手な人もいる。
しかし、投げられなければ、次に続かない。
常連で体格は私の倍以上で、一番力の強い彼を相手に投げられ役に回った。
案の定、腰の位置が高いから、垂直に落下するようだ。で、その彼に投げ飛ばされないように、という稽古に進む。
これも立つ稽古だ。
絶対に足に力みが出てはいけない。
もちろん、身体全部なのだが、特に足は無意識的に力むので要注意だ。
デビットの仲間たちは、彼にチャレンジするがことごとく投げ飛ばされる。
私が組んで、彼が投げようとするが、投げられない。
皆は目が点になっている。
「何をしている、早く投げ飛ばせ」
という声援もかかる。
私の身体は浮くが、残念ながら投げられない。
デビットは困った顔をしながら、私を何とか投げようと身体を動かし回る。
私の身体が浮いた瞬間に、体重の位置を若干変えた。
デビットは、後ろにもんどりうって倒れる。
全員目が点。
どちらかというと呆れた、という表情をしている。
そんな皆の顔を見たいから、あえて「もしかしたら、やられるかも」と思うような事を試してみる。
もちろん、私自身日本ではそんな稽古を一度もした事は無い。
だから即興だ。
そんなこんなで、和気あいあいの中でパリでの春の稽古は終わった。
最後の質問で、「相手を感じ取るということは、どうなっているのか」があった。「あなたが出来るようになったら分かるよ」というと全員爆笑。
そう、常連の人は皆、私の答えを分かっているのだ。
そして、それが当たり前だと分かっているのだ。
「もちろん、全部説明して上げられるが、それは私が体験して発見した言葉であって、あなたの言葉ではないでしょう。だから理解出来る筈はありませんよ。ということもじっくり考えてみてください。あなた達は、言葉文化の国なのだから」

常連の人達は、名残を惜しんでくれる。
でも、「じゃあ、マルセイユで」と追いかけて稽古に来てくれる人も数人いる。
「バレンシアで」という人達もいる。
逆に、次にいくブリュッセルの人が、パリにも来てくれたりもしていた。

3-26

ブレストに着いたのは、午後 11 時前だった。
飛行機が遅れたからだ。
小さな街と聞いていたが、飛行場は立派なものだ。
小さな街、小さな飛行場ということで、白浜空港位を想像していた。
主催者の若者が迎えに来てくれていた。
自動車に乗り込み自宅兼道場へ。何と自宅は、元レストランだったらしく、厨房も何もかも備わっている。
一階の客席、二階の客席、それぞれ12,3坪が道場だ。
結構部屋数も有る。主は現在 28 歳、そこを買ってしまったそうだ。
主催者も喫煙者なので助かった。
コーヒーを飲み、シャワーを浴びて寝る。
しかし、寒い。ヒーターが余り効かない。
少し着込んで寝た。
朝はやはり 6 時過ぎから目が覚めた。
二度寝だ。
それでも 9 時に目が覚めた。
朝食のパンを食べて、ゆったりとした時間が過ぎる。
一寸観光をしようか、と港の方に行った。
5分ほど歩いたが、余りの寒さに「帰ろ」と道場へ。
この港には、核を装備した潜水艦が停泊しているという。
フランスだ。日本ではなく、外国なのだ。

そうこうする内に、今日のお昼のワークショップ。
小さな街だが、30数人受講者がいた。
役者やダンサーも混じっていた。
パリからも数名来てくれていた。
何でも、受講者を集める為に、昼は理論的な事をする、と宣伝したそうだ。
だから、武道、武術関係者よりも、主婦や何もしていない人が大半だった。
おばちゃん達の扱いは慣れているから、思い切り和気あいあいの中、昼のクラスは終わった。

正座からの上半身の上げ方、正座のままで腕を上に伸ばすストレッチ等々。
初心者の定番メニューだ。
今から、少し休憩して夜 7 時から夜の部だ。

ブレストの夜は、40人を超えていたかも。
それだけで暑い。
「今、やっているのは稽古です。分かりますね。道場で相手を困らせたり、殴ったり、投げたりして面白いですか。何回も言いますよ、稽古をしているのですよ」ややこしい人は必ずいる。
何度も何度も、それで稽古を中断する。
それでなくても狭い道場だから、勝手に暴れる人は迷惑千万なのだ。
突き系の稽古は、やはり難しい。
5 万人程度の小さな街に、ボルドーや、やはり遠方から受講しに来てくれている人も沢山いた。
「日野の教えている事と、私の先生が教えている事は同じだ」「そう、それは良かったね(そんなわけないやろ、何を考えとんじゃ)」ニコニコ笑い合う。
「やっていることが相手に伝わらなくても良いんですよ。相手が悪い場合がありますから、気にしない気にしない」
「駄目駄目、いくら頭で考えても出来ないよ。よし、じゃあ、歌でも歌ってやってごらん」
「あのね。リラックスというのは身体の事ではありませんよ。頭をリラックスさせるということですよ。頭がリラックスすれば、当然身体もリラックスするのです。身体をブラブラにさせても頭がリラックスしていなければ、身体は本当の意味で自由には動かないのですよ」
何時ものフレーズがどんどん飛び出す。
そうか、歌も口ずさめないのだ。
こういった老人のような頭の硬さは、もしかしたら万国共通なのかもしれない。
もちろん、直ぐにやれる人もわずかだがいる。
その割合が同じなのかもしれないと、別の興味が湧いた。

とにかく汗を一杯かいて、無事終了した。
夜は地元の魚を食べさせるレストランだ。
マンボウのひらきのようなものを食べた。
薄味(何も味がしないー当たり前)だから、塩をタップリ、胡椒をタップリかけて、やっと普通。ワインで乾杯をし、次の機会を。寒いベッドに潜り込む。
朝食を食べ、お昼に飛行機に乗りパリへ。
空港から列車でブリュッセル。
夜 7 時から稽古が待っている。
また、力持ちのおっさんがいるのかな。

3-27

ブリュッセル駅から道場へ直行。
自動車が混んでいて 20 分遅れた。
さっさと着替えて道場をのぞくと、クリスチャンとデビットの姿があった。
デビットはスーツ姿だ。
パリでの仕事を終え、車を 2 時間飛ばして来たそうだ。
本当に嬉しくなる。
反面「お前は何をしに来たんや」というのまで。
「今やっているのは稽古ですよ。分かっていますね」どうも、この言葉を一度言うと、せきを切ったように言葉が続いてしまう。
そうだ。この道場経営の一人は、最近心筋梗塞で倒れたそうだ。
手術も手術の経過も良く、 3 カ月も入院しておけばいい、と言われた。
3カ月な我慢できないので、1ヶ月で手を打ったという。
しかし、実際には、 4 日目から道場で稽古を始めたという、もちろん、今日も皆と稽古をし、ビールを飲んで、稽古が終われば、ユッケをたらふく食べていた。

サクラ道場での稽古を終えホテルへ。
シャワーを浴び、身体を拭いていると「一寸待て、ここはブリュッセルやった筈やろ」一瞬記憶が飛んだ。
テレビから「つがるかいきょう〜ふゆげしき」と流れていたのだ。
画面を見ると、「なにがやねん」ぶっさいくなおばはんの正面からのカットだけ。
「なんじゃ、これ?」外国のセンスはわからん寝よ。

3-28

うっとうおしい、という感覚は外国の人でも持ち合わせているようだ。
自分勝手に勝手に暴れている連中が 4 人。
皆がその人達を相手にしなくなり、最後はその 4 人と他の人とは、完全に空間が出来てしまっていた。
相手にされていない人達は、それが全く分からないようだ。
日本の先生に習っていてこれだ。
きっと、その先生もそんな人なのだろう。
しかし、その相手にされない連中の中に、コンテンポラリーのダンサーも混じっているのだから、訳が分からない。

肘の使い方を徹底的にやり、腕回しなどの基本的な稽古も紹介した。
全てはここからの積み上げだという説明に、目が点になっていた。
「クセを取る」そのことが稽古だ。
色々な組型を通して、自分を知って行く。
それが稽古だ。
そんな話を初めて聞いたようだ。
力を抜く事が大事なのではなく、力が入っている自分を知ることが大事なのだ。
力が入っているということではなく、力を入れてしまうのは何故か?そこに突っ込んでいくことが稽古だ。
結構荒っぽいジャンルや流派の人達もいたが、無視された 4 人よりも、余程真剣に取り組んでいた。
年配のおばさんは、ある意味でその 4 人と同じなのだが、皆はやさしいから、相手をやっていた。

サクラ道場の主催者は、恐ろしい程力が強い。
それは、眼鏡の修理という、かなり細かい作業を日常的に行っているからだ。
細かい作業と力とは結びつかないように思うが、実際には自分の指の微妙なところを管理出来なければ作業は出来ない。
管理できるから、そこに集中しようとしたら、一点に相当の力が集まる。
それが強烈な力になる。
私と組むのを何時も楽しみにしてくれている。
今回も、何度も何度も試してきた。
その度に床に転げたり、飛んだりするので、受講者には大受けだった。
もう一人は、100 キロを超す身体だ。この人も転ぶ。
「ね、頭のリラックスが大事でしょう」

久しぶりにフィンランドの武田さんの声を聞けた。
徐々にフィンランドで知名度が上がって来ていて、自分が企画した芝居にも助成金が付きだしたそうだ。
その地道な作業が「マクベス」をフィンランドへ持っていく為の基礎になる。
その内、ひっくり返そう、と誓い合った。

3-29

ホテルを出て、クソ寒い街を散歩すると、どうもここはブランド街のようだった。
後で聞くと、ベルギーのシャンレリゼ通りらしい。
そんなことはどうでもいい。
今泊っている THE HOTEL は、そのシャンレリゼにある。一寸高級なビジネスホテルのようだ。
結構おしゃれという感じだ。
しかし、驚いたことがある。まず朝食を食べていると、横でフロアマネージャーのようなおっさんが、掃除機をかけている。
アホか、今朝食を食べているのが見えないか。
バタバタ動き回ってうっとおしい。
テキパキするのと、バタバタするのは違う。
教育がまだ行き届いていない感じだ。
そして昼食。
学食のようなバイキングだ。
ベタベタで、なんじゃこれ?というスパゲッティ。
他、そんなに食べられるものは無い。
後で分かったのは、それで 40ユーロだと言う。
エエエエ〜〜〜〜!舐めトンか!だ。
だから今日の昼は、イタリア料理屋へ行った。
カッコイイ年配のおっちゃんが沢山おり、料理も今回の旅で一番だった。

さて、午後4時30分、サクラ道場のステファンさんが迎えに来てくれた。
車に乗り、フランス国境に近い Pariseul へ約2時間。
殆ど田舎。
いや、完全な田舎だ。
主催者の方は、ブリュッセルにもパリにもバレンシアへも来てくれている。
5歳から柔術や空手等をやる先生だ。
車から降りると、牧場のような草原に馬を何頭も買っていた。
放し飼いのようだ。
とにかく広いから、何でもええ、という感じだ。
そんなところだから、ポツンポツンとしか民家が無い。
高速道路を走っていると何度も雪が舞っていた。
大丈夫かな。
と心細くなる。
小さな村の中学校が会場になっていた。
入ると、なんと 50 人以上いたので驚いた。
約3時間のワークは直ぐに終わってしまった。
私の理論の基本中の基本、胸骨操作と体重移動を繰り返し、簡単な多人数掛けまでやった。
皆満足していたようだ。

最後に、「次は何時来てくれるのですか」と質問。
笑顔を返して終わり。
案の定、帰りは雪が舞っていた。
主催者のご夫婦の家で御馳走になり、深夜3時ホテルに到着。
明日は、パリに戻り列車でマドリッドだ。

3-31

今日から、夏時間だそうだ。
1時間時計を進める。
パリからマルセイユまで、列車で約 3 時間。静香さんが列車まで送ってくれた。
確かノンストップだったような…。
寝ていたので、もしかしたら、どこかに止まったのかも知らないが、その間見渡す限りずっと農地だ。
だから、車窓の楽しみは何もない。
マルセイユに7時30頃到着、マルセイユ・バレエの木下佳子さんと、ファリドさんが迎えに来てくれていた。
木下さんとは久しぶりだ。
お互いの元気な姿に喜ぶ。
ファリドは自分の道場も持っていなくて、人を呼ぶというようなことを企画した事も無い。
ただただ、私をマルセイユに呼びたい、その情熱だけで呼んでくれた。
ただ、そんな人が主催者だから、一抹の不安がある。
果たして何人参加するのだろう。
赤字にならないことだけを祈る。

ファリドの家に行き、手作りの食事で歓待された。
ベランダに出ると、マルセイユのノートルダムが見えるという。
それがマルセイユ市民の憧れだそうだ。
信仰心が篤いのだ。
食事を終え、ホテルにチェックイン。街中が人だらけだ。
この3日はプチバカンスで、それこそ帰郷ラッシュだそうだ。
おかげで、ホテルも超満員で、スカイプも繋がらない。
ここに来て携帯がおかしい。
バカみたいに再起動を繰り返している。

朝 9 時過ぎ、ファリドが迎えに来てくれ、トラムで会場へ。
トラムの中に、日本人ダンサーが乗っていた。
以前、パリに受講しに来てくれていたので、よく覚えている。
木下さんと同じカンパニーだ。
今回も一日だけだが、受講してくれる。
幸先の良いスタートかもしれない。
会場に到着すると、思いのほか人が集まっていた。
「あれ、悠ちゃん!」
福岡のワークショップに来てくれている、スイスのカンパニーで踊っている悠ちゃん。
リヨンで公演があり、私がマルセイユにいるのを見付け、急遽参加してくれたそうだ。
今年は福岡には帰れないからと、男性ダンサーと二人で来てくれた。
日本のワークショップで見慣れた顔が、外国の地で会うとかなり嬉しい!
マルセイユ・バレエのダンサー達も、復活祭で殆どが国へ帰ってしまったそうだ。
でも、数人が参加してくれており、賑やかにワークを始められた。
ただ、会場が体育館でコンクリートの床なので、一寸難しい。

結局 60 数人が参加してくれ、初めてで、また、マルセイユという土地柄で、よく集まったほうらしい。
とにかく大成功だ。
パリに何時も来てくれるアジズさんや、クリスチャン、そういった面々もいたので、相手には事かかなかった。

ダンサー達を相手に、ワークをダンスに活かす方法を実際として沢山見せた。
コンタクトインプロの本物バージョンを展開したら、目を丸くして喜んでいた。
全員怪我も無く、ワークを終えマルセイユの港でコーヒーブレイク。
ただ、港なので寒い。身体を震わせながらのコーヒー。
煙草を吸いたいから仕方が無い。
木下さんがセッティングしてくれた、日本食レストランで、久しぶりのご飯を食べて、「腹一杯や」。

4-01

終わった!最後は質問が沢山あり、まだかいな、という感じだった。
怪我をする人もなく、無事に終わった事が何よりだ。

昨日の食事会では、武禅の話になった。
木下さんが水を向けたからだ。
リアルコンタクトを説明し、色々と食いついて来た。
「ヨーロッパではそのセミナーは無いのか」と聞かれ、「言葉が不自由だから無理だ」と断ったが、木下さんの同僚のダンサーは興味津々だった。
しまいには泣くかもしれないで、というと、余計に食い付いてくる。
自分を否定することが出来るのか?と聞くと、難しいかも、だ。
しかし、もしかしたらヨーロッパでも「武禅」が出来るかもしれない、とは思った。
武道や禅という言葉が好きな人種だから。
木下さんの同僚のダンサー、カティアというドイツ人に「ハローと私に言ってごらん」と水を向けた。
もちろん、抵抗無く「ハロー」という。
「それは私に言っているのではない」と言うと、何度か試したが???だ。
私が彼女に「じゃあ、一般的なハローをあなたに言うよう」と普通のハロー。
ウンウン、というリアクション。
「じゃあ、本当にあなたに言うよ」と、ハローをカティアに届けた。
しばらくの沈黙があり、カティアの目から涙がこぼれた。
「私のこころの一番深いところに届いた。生まれて初めてだ」と。

日曜日は、昨日よりも人数が少なかった。
名前を聞き忘れたが、マルセイユの近所の都市の、世界的に有名なバレエ団のダンサーが参加してくれていた。
木下さんが、「あのバレエ団は、世界各国で公演をしている、超有名なバレエ団だ」と紹介してくれた。
疲れがたまってきたのか、余り頭が回らない。
いや、終わりだと思っているから、気が緩んでいるのだろう。
悠ちゃんは彼と、電車に乗り遅れるからと、急いでマルセイユを離れた。
フランスに住む芝田君やアジズ等と最後の食事。

次はバルセロナで。
パリやブリュッセル、アムステルダムでの定例の場所ではなく、違う場所でのワークショップの集客は上々だった。
ということは、今後新しい場所も定例になるかもしれない。
嬉しい悲鳴を上げそうだ。
明日は、朝ファリドが迎えに来てくれ空港へ。
9時35分マルセイユを飛び発ち、成田には、明くる日の 8 時過ぎに着く。

4-2

とにかく無事成田到着。やっぱり眠い。マルセイユからパリへの乗り継ぎが手間取って、土産は何も買えなかった。
2時間も乗り継ぎ時間がありながらだ。
乗り継ぎの時、係員にゲート聞いたのが間違いだった。教えて貰った出入国ゲートを出ると、KとLゲートへの指示しか無かった。
もっと奥にあるのかなと思い歩くが見当たらない。
しかし、日本人がチラホラいたので、ここかなと半ば安心したが、いやまてよと思い、目の前にあった手荷物検査場の人にたずねた。
フランス語は全く分からないが、とにかく一度外に出て空港内のトラムで移動しなければいけないらしい。
トラムの乗り場で、年の為に航空会社の人にたずねると、このトラムで間違い無かった。
無事 M ゲートに着いた。
すると、搭乗誘導まで 10 分を切っていた。
広い飛行場。
不親切な係り員。
まあ、フランスはこんなものだが。

ファリドが復活祭の夜だからと連れて行ってくれたのは、船の上のレストランだった。
初めてまともなフランス料理を堪能した。
きっと高いのだろうな、と思わせる食器や店内だった。
1 時近くまでレストランで談笑し、こじゃれたバーへ移動。
ずっと武道の話に華が咲いた。
芝田君と木下さんがいたので、フランス語で理解出来たようだ。
9月にまたパリに行くが、その時にマルセイユに回ってくれないか、と。
そうか、そうなるだろうな、だ。
ダンサー達も 1 週間もワークをやった感じだ。と中身の濃さに充実していた。


 

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