2011-7 Valencia WorkShop

スペインは 10 年以上前に来たことがある。
その時は、マドリッドからバルセロナに行った。
どうしてもピカソを見たかったからだ。
マドリッドでは、地元の人が行く酒場でフラメンコも堪能した。
今回はバレンシアだ。

バレンシアと言えば、バレンシアオレンジ。
緑の平原がどこまでも続き、そこにはジュースをたっぷり含んだバレンシアオレンジが実っている。
というような、貧困な想像しか出来ない自分が情けない。
バレンシアでワークショップをするということが決まった時、その程度の認識しかなかった。
主催者はホテルにスパがあり、近くに泳げるところがあるから、海水パンツを持って来ることと連絡があった。

6 月 30 日トルコ航空でイスタンブール経由でバレンシアへ飛んだ。
神戸の公演が終わった直後である。
イスタンブールは、もちろんトルコだ。
乗り継ぎの時間が 5 時間もあるから、トルコの雰囲気を味わえるかなと期待していた。

関空を飛び立って、そろそろ座っているのも、映画を見るのも飽きかけた時、飛行機はトルコ・イスタンブールにある アタテュルク国際空港 に到着した。
手荷物検査を経て乗り継ぎのフロアへ。
「何のこっちゃ」別段海外の空港と変った事はなく、どこにでもある免税店ばかりだ。
どこにでもあるブランド品、どこにでもある飲食店。
イタリアンやバーガーのファストフード店が軒を並べている。
その光景にいっぺんに疲れがでた。

疲れが出てからの待ち時間、数時間は苦痛でしかない。
カフェでダラダラと時間を過ごし、バレンシア行きに乗り継ぎ、一路スペインへ。
果たして緑豊かな平原が目の前に広がるのか。
現地時間 14 : 30 分、 1 時間遅れでバレンシア空港に着いた。
イスタンブールからバレンシアへの飛行機は、左右に 3 列シートだ。
一応革張りだが、相当古い機体だ。
これだったら国内線だろう、という感じだ。
イスタンブールの空港でも、バスで移動しタラップを歩いて上がるので、ほんと国内線扱いだ。
食事は 1 回、ランチなのだろう。
入国審査を経て外へ。
外にでると現地で世話をしてくれる人が迎えに来てくれていた。
私を見付けると直ぐに寄って来て「こんにちは」と日本語、ケースを持ち外の車へ。
スペイン人特有の人懐っこさと笑顔。
日本の大学に短期留学していたこともあり、日本語が少しできる。それを聞いて一安心。
しかし 熱い。車にはクーラーが付いていない。
彼がそれを謝る。大丈夫と窓を全開にする、空気が乾いていて気持ちがいい。

高速道路を快適に走り抜け市街地へ。
ヨーロッパの街並みという感じの細い街路を抜け、幅の広い道路、いわば新市街へ到着。
そこの一角にあるホテルにチェックインをした。

チェックインをしてから気付いたのだが、空港からホテルに着くまでに、想像していたような緑の平原もバレンシアオレンジが実った場所もなかった。
ホテルはアメリカタイプとでもいうような、近代的なホテルで、スパやトレーニングジム、大型商業施設が併設されている。
一歩外に出ると、近未来的でドイツにある方が似合いそうな、馬鹿でかい建物が並ぶ。
その建物の一つは科学博物館であったり、3 D の映画館、そして水族館他やオペラハウスだ。
しかも、それらの建物の一つは、イベントに応じて対応出来るようになっているという。
F1 レースが行われる時は、車の走る道路の一部に変化したり、テニスコートになったり、水が張られたりと、色々な競技にも対応出来るという。
いわゆる百貨店やスーパーマーケットもかなり大きいのがある。

実はバレンシアは、スペイン国内で一番元気のある街なのだそうだ。
農業も工業も。
そして、この地域は科学と芸術の街として、新規に開発されたところなのだ。
オーケストラを作り、世界で著名な指揮者達を招聘し、目指せベルリン・フィルだそうだ。
このホテルに来て一番気になったのは、街並みがヨーロッパ的ではないような感じだ。
どちらかと言えば、グァムのようにアメリカ的だ。

取り敢えずスーパーに行き、旅では定番の水やパンを買うことにした。
主催者のレオさん達は夕方に着くという。
数時間しかないが、一寸ベッドで横になろう。
ふと思えば今日は 7 月 1 日だ。死んだおふくろの誕生日だった。
命日を忘れて、誕生日を覚えているのもへんなものだ。
ベッドサイドにある電話が鳴った。
「ハロー」「もしもし今着きました」レオさん達だった。
それではと、まだ明るいが夕食を食べに外に出ることになった。

7 月 2 日

バレンシアで受講するフランス人の一人と、昨日ホテルで会った。
何でもブルターニュ地方から、 1000cc のバイクを飛ばし、ピレネー山脈を越え二日がかりでバレンシアまで来たという。  
別にどうってことないといえばそれまでだが、何か豊かさを感じる。
ゆったりしているように感じるのだ。
服も色々と持ってきているようだし。
日本の息の詰まるような時間に追いかけられる生活ではなく、自分が時間を使っている、という感じがする。
50 歳代の男性で、外人部隊に入り戦争を沢山経験している人だ。
外国では、この人のように今の日本人では、殆ど体験の無いようなことをしている人と出会える。  
それがまた、私にとっては非常に刺激になり、考え方の土台そのものを覆すことにも繋がる。  
今日、今は現地時間で午前 9 時だ。  
10 時からワークショップが始まる。  
初めての地で、どんな体験が出来るのか、それが楽しみだ。  
そういえば、昨日フォーサイスカンパニーのファブリズからメールが届いた。  
ベルギーのアントワープの劇場に招待されたそうだ。  
そこで私のワークショップをやろう、という提案だ。  
ダンスは、ダンサー達の手によって違う発展を見せている。  
年々地球を狭く感じてしまう。  
それも私にとっての一つの流れなのだろう。  
どこに向かっているのかは分からないが、流れに身を任せるしかない。  
後は野となれ山となれだ。  

7 月 3 日

朝から驚きと嬉しさが同居した。  
朝の稽古を初めてしばらくした時、道場の片隅に夫婦の姿があった。
見学をしているのだと思い、気にも留めなかった。  
見学する人達側で、稽古をしている人にアドバイスをしに行った時、その夫婦と目が合った。  
……。  
「おおおおお〜、ほんと?来てくれたの」  
「そう、道場を訪ねて辿りついたよ」  
しばらく振りだ。  
もちろん、短い時間では年に一回くらいは、初見先生の道場や、大光明祭であっているかもしれない、初見先生の高弟の方だ。
よくラテンの人の動きは特別だ、と書いているが、その本人がわざわざ遊びに来てくれたのだ。  
「道着を持ってきたらか着替えて、練習をしてもいいか」
「もちろん」  
主催者のレオさんを紹介して、皆の輪に入った。  
一緒に稽古をすると、やはり身体のセンスが良い。  
身体のセンスが良いというのは、こちらのやりたい事を、瞬時に身体で理解するということだ。  
決して頭で理解するのではなく身体で、だ。  
だから衝突しないし怪我をしない。  
無理なく難しい稽古が出来るのだ。  
こういう人との稽古は、どんどんイメージが湧いてくるので楽しい。
やはり見ていた通り受けが上手だ。
こちらの力を感じて、その方向に動く。
自分勝手に受けを取っているのではないのだ。  
その辺りに身体能力の高さとセンスの良さを感じる。
朝の稽古が終わり、彼らと別れた。  
実は、彼はすぐに日本に発つ。  
だから、今度は日本で再会を約束した。  
ランチを食べ、少し昼寝。
夕方からホテルにあるスパへ。  
これがまずかった。  
1 時間ほど、スパに書かれてある、メニューに沿って入っていたので疲れがどっと出た。  
夜は 7 時から 9 時まで稽古。  
汗だく、腹ペコ、睡魔、これらが同時に襲ってきた。
それに打ち勝ちながら、足のねじれや連動を行った。  
夜 10 時に皆と待ち合わせ食事に。  
何でもベルリンの音楽家や、世界を旅する多くの音楽家が、必ずここで食事をする、というお奨めの店だ。
味が日本的だし、小皿で色々な種類を食べることが出来る、というのも日本的だ。
海岸では花火大会が行われているのか、雷の様な音が響いている。
後から聞いた話だが、それはバカンスのシーズンに入った、という祝砲だそうだ。  
ホテルの窓から海岸方面を見ると、打ち上げ花火が舞っていた。
しかし、日本の花火の美しさと比べたら、大人と子供だ。
そんな時にも、日本の良さが目に付く。  

7 月 4 日

二日目も無事終わった。  
初日は徹底的に膝、二日目は肘の使い方だ。
時間がゆったりあると、一つの事に集中的に取り組める。
だから、皆が何かしらを気付ける。
そこがゆったりした時間のメリットだ。
受講者の一人でベルギーから参加してくれている人は、何と 5 歳から柔術をやっているそうだ。
そんな人もいるから面白い。
下手な誤魔化しは利かないのだ。
そんな人程、徹底的に稽古をする。
つまり、与えられたテーマをテーマなりに稽古をするということだ。
大方の人は、私の指示する事が、自分のジャンルに似ているものであれば、直ぐに自分のジャンルの形式に持ち込む。
今回参加している大方の人は、決してそれをしない。
テーマとして取り組んでいる。
だから、難しいということを熟知している。
結果、出来ると思って取り組まない。
そんな真摯な姿勢が嬉しい。
明日から場所が変わる。
大きな柔道場になるそうだ。
柔道場は床が畳だから、色々とやり易い。

スエーデンのクルベリバレエ団は、正式に決定しそうだ。
そうなると冬のスエーデンということになる。
想像は出来ないが、身体が倍になるほど着込むという。
どれほどの寒さかなのか。

7 月 6 日

四日目終了。  
肘の変化を沢山した。  
皆付いてこれなくて頭を抱え込んでいた。  
肘打ちが投げになり、突きに対してのバリエーションになる。  
だから、単体としての「肘打ち」という認識では、どうにもならないのだ。
肘と胸骨、さらには膝が連動しなければ、これは出来ない。
今日は思いがけないことを聞いた。  
夜の稽古が終わり、 10 時過ぎフランスの人達とでバレンシアの旧市街に食事に出た。  
そこでの雑談の中、私がフランスの南の港町セトに、 1980 年頃に教えに行った事を知っている人がいたのだ。  
私の事がフランスの武道マガジンに載っていて、それを読んで覚えていてくれたのだ。  
もしかしたら、私にとっては一番古い武道での知人かもしれない。
私はマガジンに紹介されたことは全く知らなかった。
その人は、空手を 1972 年からやり始め、今でもやっており、もちろん師範だ。  
おかげで膝を壊し、正座も出来ない有様になった、と笑っていた。
何時もビデオを撮り、熱心に取り組んでくれている。
キャリアがあるからこそ、問題点に気付く。
そこをクリアする為にはどうするか。
そんな問題意識が、私のワークでヒントを掴み、ワークの価値を認めてくれるのだ。  

今日は、現地の人が避暑地として使っているマンションに招待された。  
バレンシアから車で約 30 分。  
のどかな景色が広がる。その辺りは、 その昔カルタゴが攻めて来た時の要塞だと山の上を指差していた。  
そこの海岸で初泳ぎだ。  
地中海の果てしなく長い海岸線、どこまで遠浅なのか、いう位遠浅の温かい海で泳いだ。  
海岸に寝転び一服。  
これが無茶苦茶美味い。
それこそバレンシアの風が、身体を撫でてくれ心地よい。  
もし、こんなところに住んだら、絶対なにもしない、何も出来ない人間になるだろうと思った。  
それほど、心地よいのだ。  

現地の人のお母さんが、手料理でもてないしてくれた。  
何と言っても手料理に適う料理はない。  
良く動き、良くしゃべる、本当に典型的なお母さんだ。  
こちらがスペイン語等分かる筈も無いのに、一生懸命話してくれる。
言葉等一切分からないが、何か伝わる。  
それこそ、その時、セトに行った 30 数年前を思いだした。  
その時も、フランス人のお母さんの手料理を御馳走になり、色々な話をしてくれた。  
思えば、その時もフランス語など一切分からないし、何も分からないのに一人でパリにいた。  
今日は、 5 日目。肘打ちの続きだ。  

7 月 7 日

そういえば、昨日傑作なことがあった。  
ヨーロッパ名物(?)縦列駐車で、私達が乗っている BMW が、一寸狭いかなというところに止めようとして、車をバックさせた。  
私達は後部座席に座っていたが、運転が達者なのでさほど気にしなかった。  
しばらくバックするとゴツンと音がして、身体が前につんのめった。
もちろん、ぶつけたのだ。  
車内中大笑い。  
運転している彼は何事もなかったように、知らない顔でそのスペースに車を治めた。  
車を降りてビックリ。  
ぶつけた車には、まだ人が乗っていたのだ。  
ところが、そのぶつけられた人も何もなかったように、涼しい顔をして車に乗ったままだ。  
こちらの運転手も知らん顔をしている。  
「え〜そんなもの?これ BMW だろ?」  

7 月 8 日

残すところ、今晩の稽古と明日 1 日となった。  
朝の稽古と夜の稽古というのは、良いようで何故か疲れる。  
もちろん、このバレンシアの暑さのせいかもしれないが、昼寝を 1 時間ほどするから、それも疲れが残る一因かもしれない。  
しかし、 1 時間程寝なければ身体が持たない感じがする。  
暑いところというのは、遊びにいくところで、仕事をする場では無いと思う。  
泳いで昼寝をして、等と悠長なことを思っていたが、泳いだ後に稽古など出来ない。  
それは現地の人達も同じだった。  
残りの時間が短いので、質問がどんどん出て来る。  
それにつれて、冗談のような内容も増える。  
まあ、それも仕方が無いが。  
今日で帰国する人もいたので、皆で飲み会だった。  
有名な教会の塔が見えるカフェで乾杯!
フランスに帰国するのは 熱心に稽古する兄弟だ。  
しかし、 100 キロを優に超す体重で、力も馬鹿みたいに強い。  
だから、技などいらないだろうと思う。
パリでの再会を約束して、二人は消えた。
そういえば、今日初参加のスペインの人も、サモアの人のように自力が果てしなく強かった。  
小さくて四角な体型、首も無く腕は丸太のようだった。
私よりも少し身長があるだけで、きっと 80 キロはあるだろう。
こういう体型の人は、自力が果てしなく強い。
おかげで、私の良い練習になった。  
まともに上から グチャッと壊してやると、「どうして?」と不思議そうな顔をしていた。  
多分今までにそんな体験をしていないのだろう。  
ガチンコの力勝負だったからだ。
技術というのは、本当に面白い。  
お約束をする必要が無いのだから。  
そうだ、今日はバレンシア名所の科学博物館に行った。  
ここは行かない方が良い。  
建物を外から見る分には、面白いが中身がまるっきり無いのだから仕方が無い。  
ある意味子供だましだ。  
「で?」というものばかり。  
そのくせ入場料が高い。  
確か一人 800 円くらいだった。  
明日は、最終日だ。  
気合を入れて、皆の頭をかき回してやろう。  

7 月 9 日

終わった。  
しかし、最終日はハードだった。  
午前中の稽古が終わり、車で 30 分ほど移動し、現地の人の家で昼食。  
昨日の怪力の人の友人の家だった。
パエリアを御馳走になった。  
白ワイン、赤ワイン、シャンペンにとどめはブランデー。  
いくら夜 7 時からの稽古だといっても、真っ赤な顔が醒めるとは思えない。
「ノー!」思わず叫んで大笑い。  
そこで家にあるプールで酔い覚ましのひと泳ぎ。  
家のプールと言っても、深さは 165 センチ以上ある。  
そこで飛びこんだり、滑り台から落ちたりし、酔いを醒ました。
夜の稽古が近づいていたので、名残惜しいがお別れをした。
帰路、やはりプール付きの広い屋敷が空いているという。
「日野この家をキープしたらどうだ?安いよ」と言う。
家賃は日本円で 35.000 円だそうだ。
「ほんまかいな!何でや!」それで合点がいった。
今日、お世話になった家もその程度なのだろう。  
稽古は、リクエストを受けながら進めた。  
最後は、中華料理でお別れ会だ。  
ここの酢豚が恐ろしい程まずかった。  
まるでスイーツだ。  
焼きそばは春雨を使っているのだが、中々美味しかった。  
だから、いけるかな、と希望を持たされたが、まるで食えなかった。
一同大笑いの中華パーティだった。  
今回参加の一部の人は、 8 月に道場に来る。  
各自別れを言い合い、再会を誓っていた。  
今日の午後 1 時に列車でバルセロナに向かう。  
ピカソの絵は、どんな感じに見えるのか。  
思えば、 2001 年に初めてバルセロナに行き、ピカソを見た。  
一枚の絵に釘付けになった。  
その一枚の絵から青の時代、キュービズムと時代は流れていくのだが、そこに技法というものの考え方や、武道というものを再認識させられた。  
ある意味で、私の中の武道の一つの区切りになった絵だ。  
やっと武道の入口かな、というところだった。  
それから、 10 年時間が経った今、どんな感じを抱けるのか、それが楽しみなのだ。  

7 月 10 日

列車に揺られてバルセロナ。  
ゆっくり車窓を楽しもうと思っていたが、それは完全に夢でしかなかった。  
寝た。  
とにかく寝た。  
気が付けばバルセロナだとアナウンスがあった。  
タクシーを拾ってホテルへ。  
200 年前のお城の跡をホテルに改造したものだ。  
いそいでピカソ美術館へ。  
見覚えのある道を歩き、路地にある美術館へ入った。  
中は改装されており、見覚えはなかった。  
しかし、目指す絵はあった。  
その絵ともう一枚の力というか輝きを体感すると、他のどの絵も空々しく感じる。  
つまり、スカスカだということだ。  
老人の絵に 改めて釘付けになった。  
頭が痛くもなった。  
それと前回は気付かなかったが、凄い絵があった。  
デッサンだ。  
人物が 3 枚並んでいたが、そのデッサンは他のものと比べてものが違う。  
どちらかと言うと動きがあるのだ。  
それは、描かれて人物の意識が次に起こす行動なのか、意識ではなく既に身体は次に向かっているのかは分からないが、「おおおおおお〜凄い!」という感じだ。  
美術館を出て、波止場の方に歩いた。スペインと言えば…。  
そうコロンブスだ。  
「大発見」として学校や本で覚えたコロンブスの像が海に向かって立っている。  
指を指している方向は喜望峰なのかどうなのかは知らないが、とにかく大航海時代の英雄だ。  
航海自体は、ほんと素晴らしい。  
今日はゆっくり寝むれる。  
ビールを飲んでぐっすり寝よう。

7 月 11 日

朝から市場へ。
バルセロナに着いた時、ここへは行こうと思っていたところだ。
市場の中の屋台のようなところで朝食件昼食だ。
後一時間でバルセロナを出発。  
バス停までスーツケースを転がす。
20 分ほどで飛行場に着いた。
新しい空港は、成田のようにガランとしている。  
待合いの席で前に座っているお婆さんと目が合った。
微笑んでみた。
するといきなりお婆さんが話し出した。
私が何も分からない、というジェスチャーをするが、お構いなし。
私は日本語、お婆さんはアゼルバイジャン語。
しかし、良く聞いていると、何となくかすかに分かる、ような気がする。
そんな時間つぶしも面白い。  
もちろん、お互いに何も分からない。  
それでもめげないで話す。  
それが面白い。

7 月 12 日

今日、夕方 5 時 30 分関空に着いた。  
その足で大阪教室へ。  
真新しい教室は気持ちが良い。  
御堂筋線本町駅から 5 分とかからない。  
すぐに福岡でのワークショップが待っているので、時差ぼけを堪能している暇はない。  
しかし、スペインの人の生活姿勢の優雅さ、豊かさは一体どこから来ているのだろう。  
ほんとに考え込む。  
バレンシアの市街から車で約 30 分。  
別段大金持ちでもなく普通に会社員の人が、海岸が眼下にある広いアパートを持ち、家族がバカンスの為に使っている。  
そこのテラスで、ゆったりとした時間を過ごさせてもらった。  
そんな事はまるで夢だったかのような、生活に戻った。  
しやないな、というしかない。  

バレンシアでのワークショップを終え、ピカソを見る為に列車でバルセロナへ行った。
そこでも親切にされた。
列車の中でスーツケースを網棚に上げるのに苦戦していると、男性が直ぐに手を貸してくれた。
本当に有難かったので、思わず握手をし Gracias だ。
バルセロナに着き、降りる時は若い男性が助けてくれた。
普通の事が普通に行われているだけなのだが、普通じゃないのが日本だから有難さが身にしみる。

バルセロナではタパスという、日本の一品料理のような料理を食べた。
その中のカリカリに焼いたパンに、トマトとニンニクを擦りつけたパン・コン・トマトは秀逸だ。
無茶苦茶、無茶苦茶美味しかった。
ただ、それも店による。美味しかったのは、ガイドブックに載っていた店で、ホテルの下のレストランで食べたら、値段は倍ではなく数倍し、その上不味かった。

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