| 中学時代は器械体操で東京オリンピックの強化選手に選ばれる(指導者不在のため友人達と独力で体操を研究する) |
小学生の頃は演劇でラジオ放送劇に 中学3年の頃からベンチャーズやビートルズに憧れギター少年
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| 親や教師が決める進路に疑問を持ち、自分探しで職業を転々とする17才にスナックを開業 18才2店目を開業 |
音楽(ギター)で身を立てようとジャズバンドに入るが譜面を読めないので挫折
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| 19才店を売り払いバンドボーイでジャズドラムに挑戦、音楽は世界共通語と悟り音楽で世界を目指す |
ドラムのパワーをつける為に不動禅少林寺拳法を習う(武道に対する子供の頃からの関心もあり)
それに飽き足らず友人たちと、中国拳法や様々な道場に
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スタジオやクラブ、ショービジネスの仕事をする傍ら、既成のジャズに疑問を持ち、京大西部講堂を中心にフリージャズの世界で活躍(故阿部薫・故吉沢元治、山下洋輔・坂田明をはじめ前衛的ジャズミュージシャン、詩人吉増剛造やアンダーグラウンド演劇、舞踏とジョイントや共演)の後、武道の世界へ |
日本に古くからある「柔よく剛を制す」という言葉が道場には存在するのか、と空手や中国拳法などの道場を訪ね歩くが、机上の空論的現実に気づき個人的に探求に入る。
27才の時ディスコの音楽監督件マネージャー、
28才カレー専門店経営、
29才ジャズ喫茶経営・音楽スタジオ経営、凛道(糸東流宗家・摩文仁賢和師に師事されていた廣川弘師が主宰)を友人の紹介で知り学ぶ、フランスで武者修行
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30才の時、武道に本格的に取り組むための実験道場を大阪に開設(急所攻め専門の究極のアルティメット方式で男女別なし)
この間、人間同士の生体反応や身体の無意識的反射などを発見、と同時に治癒の方法を発見、しばらくは治癒を通して身体を探求
探求の中で、重要なのは「身体そのもの生体感応」だということを発見
そういったところから、これらを含んだ「合理的な身体の使い方」が、歴史に残る達人であることを確信、日野理論の基礎が出来る。
探求が深まるにつれ稽古が過酷になり、生徒の数が減る。より追究するため現道場のある和歌山県熊野に移る
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道場内部 |
 朝日放送ラジオで自分のコーナーを持つ |
企業の研修 |
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身体の動きに的を絞ったとき、武術の世界よりバレエや舞踊の世界に動きの核心があることに着目。故ジョルジュ・ドンや井上八千代等の動きや意識を研究
内弟子達6人で道場建設に着工
合気道養神館故塩田宗家の演武に触れ、無意識的な反射や体重移動の研究結果が間違っていなかったことを確認
武神館初見宗家のビデオを知り、私が探している日本伝統武術の真髄がここにあったことに狂喜乱舞、いつの日か初見宗家にお会いできることを目指す
雑誌「格闘技通信」誌上で「日野理論」を3カ月に渡って発表
丸太を使ったゴルフ場の橋などの建設業をはじめる
10年後道場完成(六角形・百坪・高さ12メートル50)
住友精密をはじめ多くの企業や団体の依頼で講演や経営者研修・社員研修等を手掛ける
1996年、著書「常識を打ち破れ!行動を起こせ!」日新報道より出版される
1996年、雑誌「秘伝」で連載が始まる
1997年、著書「迷ったら原則に戻れ!」日新報道より出版
BABジャパンからビデオ「影伝1〜3」「武学1」発売
念願通り武神館初見宗家とお会いすることが出来、初見宗家から「まるで自分の影とやっているようです、日野さんは一流の殺し屋になれますよ」と言っていただく。
ラジオ朝日で日野晃のコーナーが始まる
1998年、著書「武術革命」BABジャパンより出版
1999年、著書「武学入門」BABジャパンより出版・ビデオ「武学2」発売
2000年 知的障害者の作業所と関わる。伊藤式体操の伊藤昇先生と交流させて頂く
ビデオ「武学3」BABジャパンより発売
2002年 著書「こころの象(かたち)」ストークより出版、初見先生の紹介で、
英語・ スペイン語に翻訳されて諸外国でも出版
2004年 著書「古武道入門」彩流社より出版 単独ムック本「達人主義」ベースボールマガジン社から出版。
2005年 コンテンポラリー・ダンス界の巨匠、ウイリアム・フォーサイス氏に招かれワークショップを開く 「ウイリアム・フォーサイス、武道家日野晃に出会う」白水社より、押切伸一氏と共著 7月28日出版
2006年 再びドイツへ。ウイリアム・フォーサイスカンパニーでワークショップを開く。
2007年 ドイツへ。大阪で春・秋ダンスワークショップ、夏東京でWS
2008年 イタリアでワールドダンスミーティングの講師として招聘される。 |