目次

シルビー・ギエムという芸術 
文楽 
文楽「吉田玉男」に見る芸の伝承 
名人は「普通」という事だった 
ウイリアム・フォーサイス
シルビー・ギエムという身体
産経新聞から
フジ子・ヘミング
ダンサーへ
Contemporary Dance

 ●トレーニングの仕方 ●メンタルトレーニング?  ●feel & connect

NDTの公演を観た  「型」あれこれ

 

シルビー・ギエムという芸術

4年前、大阪フェスティバルホールではじめてギエムを見た時、余りの衝撃に腰が立てませんでした。
それは、肉体を操る卓越した技術に感動したのではなく、それさえ記憶に残らないほどの「何か」が舞台にあり、その圧倒的な「何か」にノック・ダウンされたのでした。
肉体を操る技術が卓越しているのは、プロのダンサーであるなら当然のことなので、そのギエムの技術云々を評論家達が評価していること自体がおかしい事です。
肉体技術以外のことには全く触れられていない、つまり、その肉体が作られた必然、動きが作られた必然、その必然を語らないところに、芸術としてのバレエが存在するはずもないにも関わらず、触れていないのです。
ギエムの深い感性の世界を探索していないのです。
それほど世界のレベルが低いという事でしょうか。

さて、今回2年ぶりに見た「ボレロ」のギエムは、前回よりも更に成長していた、というより、更に上のステージに上がったのを見せてくれた。
それは、「表現者」として最も高いステージにギエムはいるということだ。
もちろん、それを見る私自身も「それを見極められるレベル」に成長した、と感じさせてもらった。
今回のステージを見終えた私自身が、一番最初に素直に出てきた言葉は「芸術を体験した」だった。
多分、私の人生での色々な日常体験、芸術体験、武道の追及といった中にはない、始めての体験だ。
「芸術とはこういうものなのか」これが舞台を見終えた後の言葉だった。
ギエムが上のステージに上がった、というのは、まさしく観客の目を持ちながら、観客の目や感情を、全てコントロールしていたという事だ。
分かりやすくすれば、例えば、巨匠と言われた黒澤明監督は、一コマもしくは一つのカットで、観客の目をどこへ向けるか、向けたときに観客はこう感じる、といった事を全て計算し尽くして映像を作っている。
だから、巨匠なのである。
それと、同じことをギエムはやっていた、という事になる。
もちろん、これはギエムから確認を取ったことではない。
こちらから見れば、そういう風に見えたということだ。
もしもそうであるなら、ギエムには黒澤監督以上の難問題がある。
それは、演者そのものが演出をしながら舞台で演じている、という難問題だ。
簡略化して言えば「客観的な目を持ち、自分自身をコントロールしながら踊っている」になる(しかし勘違いしないで下さい、「幼い自意識の現われである、自分自身の思い込み」というレベルではないのですから)。
だから「表現者」なのである。
二十数分間、その二重の集中で一瞬足りともスキを見せず演じきる、正に天才の天才足るところだ。

同じ舞台にいた東京バレエ団の誰一人として、こういった素晴らしい人間芸術を見せてくれた人はいない。
もちろん、それは東京バレエ団だけではなく、世界の星の数ほどいるダンサー達も見せてはくれない。
ギエムの表現はまさしく日本の武道だ。
しかし、どこが武道とくっつくのか、と皆不思議に思うだろう。
それは「観客からの目」だ。
観客からの目は、敵からの目というのと同じだ。
敵の目から自分はどう見えているのか。
ギエムはそれを熟知し舞台上にあったのだ。

「ボレロ」が終わって、挨拶の時、私は思わず立ち上がり「ありがとう」と大声で叫んでしまった。
そう言わずにはいられなかったからだ。
でも、この「ありがとう」は、4年前に投げかけた「ありがとう」ではない。
私自身も上のステージに上がっている、という事を教えて貰った「ありがとう」だった。
私の声があの時ギエムに確かに届き、ギエムが声を探し私の目をとらえ、にっこり微笑んだ。
その笑顔は、道ですれ違ったとき、カフェ・テラスで出会ったときに、友達にかける微笑みだった。
しかし、私をとらえたその視線、ギエムの意識は「その一点」に集められていて、決してブレていない、そこに「表現者」の影の重要な部分が見えた。

舞台上で「表現」だけしかしていなかったギエムが、自己を「表出」させた瞬間である。
その落差が表現者の表現者足る所以でもある。
「ボレロ」を観にいったのは、故ジョルジュ・ドンとの違いを見たかった、というのも複線としてあった。
振り付けそのものの解釈は、ものの見事にドンとは違っていた。
ジョルジュ・ドンは「内面(感情)の表現としての肉体であり、ダンスそのものが感情」という考え方が基本として存在し、だから「感情が見える」という事を主眼として、ドンの全ての作品がある。
それに対してギエムは、「振り付けに対して自分の意識は、肉体の中でどう動くのか、どう動かせばよいのか、意思の所在をどこに置くのか」を基本としてある。
当然ギエムからは「意識の躍動、意思の移動が見える」のだ。

もうすこし、違った表現をするならば、西洋的な「見えるものしか見えない」からどうするのか、がドンとするならば、ギエムは「見えないものを見せる」という、非常に日本的な感性だ。
舞台上でのギエムは、間違いなく身体の動きをしているが、それを通して見える内的なもの、精神そのものがギエムだという事だ。
又、別の角度でいえば、ドンは「舞台上のドンが全て」だが、ギエムは「ギエムが見えない」という違いです。
ドンは自我そのものが表出しているが、ギエムはそれを乗り越えてしまっているという違いになる。
例えば「ボレロ」の出だしの、“手を上げていく”ところは、ドンは、意識が先行しその後から手が上がっていく。
しかし、ギエムの場合は、意識が先行しない。
というより、そのレベルの身体操作は行っていないのだ。
ギエムの捉え方は、肉体の動きとして、意思の切り替えが行われなければいけない、という必然がある。
だから、手首から指先へと物の見事に表情が変わっている。
だから、その瞬間、つまり腕が下りる瞬間が“見えない”のだ。

舞台の上にはギエムはいなかった。
「今、何が起こっているのだろう」と、正にギエムの術にはめられた状態のまま、音楽のクライマックスまで進んだ。
この間、身じろぎをすれば、ギエムの世界から零れ落ちてしまう危機感が溢れ、息すらも出来なかった。
武道で言えば、真剣を構え正面から対峙している状態だ。
何時相手が攻めてくるか分からない状態と同じだった。
曲の最後、ギエムの手が力強く握られた時、私のこころは大きく動き、目からは涙が込み上げてきた。
ギエムはこれを見せたかったんだ!
「ボレロ」というドラマは、ここに完結した。
取りあえず昨日の感動をまとめてみた。
二十世紀から二十一世紀に掛けて存在している天才を体験できた喜びで、本当に豊かな気持ちになった。

「文楽」

 

先日、桐竹勘十郎(吉田蓑太郎改め)の襲名披露と名打った文楽公演を見に行った。
文楽公演は、子供の頃学校から見に行った記憶と、母と数回見に行った位でここ数十年忘れていた。
最近になり、テレビで昔のものから今の公演まで「文楽の楽しみ方」といった内容で放映しているので、ちょくちょく目にしていた。
中でも故人になられた名人級と言われた人の義太夫は、リズムといい間といい、客に緊張感を与え続けるのには新鮮な驚きがあった。
面白いことに、名人級の義太夫に対して人形を見ていると、単なる“あてぶり”にしか見えてこない。
しかし、その反面名人級の人形遣いの方が人形を操ると、義太夫が伴奏にもならず単なる効果音になってしまうのだ。

もちろん、こういった伴奏と主役との関係は文楽に限ったことではなく、クラシックバレエでもモダン・コンテンポラリーダンス、又、クラシック音楽でのソリストとオーケストラの関係でも同じだ。
そういった表現の場において、一流と二流の差が歴然と見えてくるところに表現の恐さや鋭さがあるから面白いのだ。

フジ子ヘミングのコンサートを見に行った時、アンコールで弦楽四重奏の伴奏をした。
フジ子のピアノは、音を出しているのかいないのかが分からないくらい、弦楽四重奏の流れに同化していたと同時に、何が鳴っているんだろう、と思わず耳を傾けてしまうくらい微妙に弦楽四重奏を包み込み、弦楽四重奏のサウンドを分厚いものにしていた。
これなどは、伴奏として超一流だという証だ。
つまり、主役をどれだけ引き立てられるか、の勝負で勝っていたという事になる。

私がジャズドラマーをしていて、ある意味で一番楽しかったのはやはり伴奏だ。
フルバンドでいかにメリハリをつけ、しかも目立たなくスイング感を出す。
ピアノトリオやコンボの場合、アドリブを取っているメイン奏者を如何に引き立たせられるか、バックの色合いを変えてスリルをもたらせるか等々、様々な工夫が出きるので取り組みがいがあった。
それは、私自身のソロパートをするよりも楽しかったくらいだ。
それ等舞台は、ある意味で勝負の場である。
客との勝負以外に伴奏者とソリストとの勝負だ。
それを体験できるライブの醍醐味は何事にも変えがたい。

この桐竹勘十郎の襲名披露では、何と人間国宝が三人も揃った超豪華版だった。
演目は「絵本太功記」で、明智光秀が織田信長を討ち、秀吉がその明智光秀を討ちに来る、という段をもじったものだ。
その演目に、吉田玉男、吉田蓑助、吉田文雀の人間国宝が揃ったのだ。
「文楽」は日本の伝統芸能だから、詳しくは知らなくても一つの人形を三人で操る、という事位は大方の人は知っているだろう。
もちろん、一人でも二人でも操るし、各地にはそういった意味では様々な形で残っている。

面白かったのは、未熟な人形使いが演じると、人形遣いや黒子が邪魔になり、義太夫に主役を奪われてしまうのだが、国宝の方達が演じると、邪魔にならないばかりか、義太夫の謡をまるでPAのコントローラーを操っているかのごとく自在なのだ。
謡を大きく聞えさしたり、小さく聞えさせたりする。
劇場で観る文楽はテレビで観るのとは違い、こういった事を身体を通してつぶさに観せてくれる。
テレビでは、人形がクローズアップされる事が多く、演者と人形との関係、黒子と人形との関係、人形と義太夫との関係がまるで見えない、つまり、相対的な実力差が見えないという事だ。
これでは、面白みも半減する。
やはり、劇場まで足を運んでライブを体験しなければ何も分からないものだ。

人間国宝トリオは、舞台にはいなかった。
と言えば訳が分からないだろう。
つまり、人形が主役になって国宝トリオの姿は消えてしまっているという事だ。
未熟な人達の場合は、舞台中が人形遣いで一杯になり人形が見えてこない。
そればかりか、黒子といって観客から見えない、という前提で存在するものまで表面に出てきて邪魔で仕方がないのだ。
三人で人形を遣う場合、主遣いは顔を出す。
最初は、人形遣いという主役だから顔を出しているものだ、と思って見ていたのだが、時間が経つに連れてそうではないという事が見えてきた。主遣いも人形の黒子の一人である事には違いない。
あくまでも人形が主役なのだから。
この国宝の主遣いはその黒子としての集大成であり、名人というレベル迄芸を究めた人達だ。

それは、黒子の装束を着け観客との間にある暗黙の了解、「黒子は見えていない」を、実際として見えないというレベルに迄到達しているから、黒子の装束はいらない、という事だ。
つまり、人形遣いの意識は全て人形にあり、「人形を遣っている」という意識、「人形を遣っているのは私だ」という自己顕示欲がまるで見えない、という事だ。
がしかし、それは、何かの作業に熟練していった時、無意識的に作業が出きるようになっている、というものではない。
この無意識的に作業ができるというのは、あくまでも作業をする本人だけの問題であって、作業を「見る」人、つまり、第三者から見て、ということではない。
ここで問題にしているのは、第三者という観客が見て、という問題であり、人形遣いの人がいくら頭の中で「私は見えない・人形が主役」等と思ってみたところで、それは観客にとっては「臭い芝居」を見せられているようなもので、違和感以外の何ものでもない。
つまり、人形遣いの「意識が見えている」であり、「人形遣いだけが見えてくる」なのだ。
それが、未熟な人形遣いの人達だ。だから、舞台中が人形遣いだらけに見えて、人形が見えてこないのである。

いくら顔を出していても、観客からはまるで見えない、だから黒子の装束はいらない。
この関係、そして、主遣いの芸のレベルには圧倒された。
そこには、武術での意識操作そのものが見えたからだ。
相対するものから、こちらの刀がクローズアップされたり、あるいは身体だけがクローズアップされたり、という意識操作と同じだということであり、虚実の使い分けという事だ。
また、役者が「役を演じる」と「演じられている」のか、と同じ事だ。

という発見から改めて人形と人形遣いを見ていると、人の内部意識と現れとしての行動との関係が、非常に分かり易い形で見えている、という事になる。
これは、実際に第三者からどう見えていなければならないのか、という現れと、それを現すための身体意識、そして、その身体意識を操作する為の意識のありよう、という関係を稽古する為の材料として最良のものなのかもしれないという気がした。
現在では「文楽」は国立文楽劇場で催される。
しかし、「文楽」そのものは大上段に構えた芸術ではなく、大衆芸能であり庶民のものだった。
その大衆芸能が、西洋や東洋にも数多くあるマリオネットをはじめとする、人形を遣った芸能とは質を異にする水準まで押し上げたのは、やはり日本人という民族の持つ特殊性だと言わざるを得ない。


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文楽「吉田玉男」に見る芸の伝承

 

人間国宝の吉田玉男さんの公演を見に行った。
吉田玉男さんもご高齢なので、何時見れなくなるか分からないので、出来るだけ目に焼き付けておこう、体験しておこうと思ったからだ。
その時代時代に存在している、様々な分野での名人や人間国宝を体験しておかなければ、もったいない以外のなにものでもない。
時代の人間国宝や、その道の名人と同じ空間を共有できるのはこの上ない贅沢だが、その贅沢が出来るという時代でもあるのだから、その時代を精一杯活用し生きなければ一生の不覚だ。

今回の文楽鑑賞で特に面白かったのは、高齢の吉田玉男さんに配慮して、一体の人形(斉藤実盛)を玉男さんと一番弟子の玉女さんが遣った事だ。
それぞれの使い方で、人形の大きさや存在感、もっといえば人形の性格までが、完全に違ったものに見えてしまうから不思議だ。
まるで、違う人形を遣っているようなのだ。
「影になって」消えてしまっている玉男さんと、「人形を遣っている」という事が見えてしまう玉女さん。
それは、決して技量的に格段の差があるのではない。
何か、何か一寸した事が違うだけだ。いや、そのはずだ。
これら師と弟子の関係は、芸術全般・表現全般、表現されたもの全般に共通する実力差だ。
また、一流と二流との差もこれに匹敵する。

それは例えば、楽器の音、舞の姿、踊りの所作……、カンナの削り跡、のこぎりの切断面、組細工……。
とにかくあらゆるものに質的な差が歴然とある。
その歴然とある差を発見できる事が「弟子」という才能なのだろう。
つまり、その歴然とあるものを発見できているからこそ弟子入りするのだ。
だからこそ、切磋琢磨し差を埋めようと努力出来るのであり、弟子としての実力がついていくのだ。
当然、玉女さんは、私以上にリアルに玉男さんとの差を見ているだろうし、肌から感じ取っている事だろう。
そして、リアルに見えるが故に「絶対に届かない」という事も心血で感じている事だろう。
逆にいえば、弟子入りした時点で、もしくは、歴然とした差を発見した時点で、自分自身の行き着く先は明確ではなくても見えているはずだ。
だからこそ、その行き着く先迄精一杯もがく事が出来るのだ。
しかし、同時に自分は人形遣いとして一生を全うしなければならない。
この、背負ったものの重さが「芸」を作る。
玉男さんに届く事のないところで、諦めるのではなく、投げやりになるのではなく、人形遣いとしての役目を全うしようとする意志、人生。
そこで初めて、自分の存在意味が見えてくるのであり、存在価値を自身に与えられるのだ。

では、この実力差は、格段の技量の差ではないとすれば何なのか?
それは「理想の違い」だろうし「見た夢の違い」だろう。
自分自身が行き着くべき着地点である、遙か彼方にある「理想星」との距離を、月に設定しているのか冥王星に設定しているのか、はたまた、全く見えていないところに設定しているのか、というセンスの違いが全ての扉の入り口なのだ。
つまり、どの入り口からはいるのか、で、その理想星との距離は決定され、その入り口を選ぶのはその人のセンスであり、それぞれの個体の違いだ。
したがって、月や冥王星という選び方は、「差」ではなく「違い」だという事になる。

だれもが、吉田玉男さんになれるはずもない。しかし、それでよいのだ。
玉男さんを目指し突き進んでいった時、自分自身と玉男さんの「差」ではなく「違い」を発見するに至る。
その時、初めて吉田玉男さんがリアルに自分自身の目の前に現れたという事であり、それが個人の違いであり、個人の存在意味なのだ。
吉田玉男さんは文楽に何を見たのか、修業時代に何を掴んだのか?
そして、玉女さんは玉男さんを通して何を見ようとしているのか、はたまた、何を見ているのか?
武道家日野晃として言えば、吉田玉男さんを通して文楽の歴史が、文化の歴史が見えた人は、そして、「人形を遣っているのは自分である」事を、つまり、その関係性を自分自身の問題とした人は、きっと第二の吉田玉男さんになると断言する。
但し、スタイルは全く違っているかもしれないが。
しかし、それこそが、文化の伝承なのだから。

 

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名人とは「普通」という事だった

竹本住太夫さんのインタビューを見た。

つい先日、新聞で住太夫さんの記事を読んだばかりなので、どんな表情をしてどんな話をするのか興味しんしんだった。
「私は下手ですから稽古せなどうにもならんのですわ、そうかというて稽古したからというてどないかなるもんでもおまへんけどな。死ぬまで稽古だすわ」さすが深いところを飄々と語る太夫。
そのお弟子さんに稽古を付けている画面がでた。
「何をしとるんじゃ、お前は何を盗んだんや、誰がそんなことをせえいうた!」
膝付き(師匠と膝を付き合わせて一対一の稽古)で、遠慮会釈なく叱りとばす。
本当に頭から湯気が出そうだった。
「やっぱり本気やで、このおっさんわ」どこが80才なんやろ。
「やっぱり叱られなあきまへんな、私も叱られっぱなしでしたんや、ありがたいこってすで叱られるというのは、目にかけてもうてるからでっしゃろ、何にも言われへんようになったら見込みがないということですわ」
すると司会者が
「じゃあ、太夫が叱っておられるお弟子さんは見込みがある、ということになりますか」
「まあ、そうでんな」
苦笑いのようでもありテレでもあるような太夫の顔。
その心の内の天秤が揺れた一瞬だ。
太夫のリズミカルな上方弁が心地良い。

「誇りをもたなあきまへん、文楽は上方の文化でっさかいな」
と語る竹本住太夫さんを先日文楽劇場で聞いてきた。
近松門左衛門の「お染め久松生魂の段」だ。
私は何を聞こうしていたのか、どういう先入観を持っていたのか分からないが、最初は直球では聞けなかった。
しかし、次の太夫に変わると人間国宝の国宝たる所以が明確に見えた。

太夫は「普通」だったのである、余りにも普通だった。
普通に話すように、普通なのだ。
いや、そうとしか言葉が見あたらない。
だから「えっどうして」と気抜けしたのかもしれない。
しかしそれを武道的に言えば「自然体」だ。
つまり、身に付いている事をこなしているだけという事だ。

普通や自然体というのは何度も止揚されて到達した姿であって、初めからある姿なのではない。
当たり前の事だが、初めは素人で何も知らないし出来ない。
だから巷でいう「自然体=そのままでよい」は大きな間違いなのだ。
そのままでよいのなら、素人のままということだ。
稽古が何十年もし熟練してきて、この場合なら口をどう開けよう、どう聞かそう、声をどうだそう、うまくやろう等々の方法や自意識が沸き上がり、その方法にこだわり取り組む。
その結果、「違うぞ方法ではたどり着けない」と自分で気付いたところから、その方法を捨てていく作業に入るのだ。
そして、それを捨てられた人だけが「普通」であり「自然体」にたどり着ける、という止揚なのだ。

だから他の太夫はというと、語りを「意識している」のだ。
口をどう開けよう、どう聞かそう、声をどうだそう、うまくやろう等々、つまり、語りそのものから見た時には、雑念が一杯で語りそのものではないのだ。
しかし、太夫は皆ベテランだし一様にうまく何の遜色もない。
にもかかわらず「身に付いていない」、また「意識している」が見えてしまう。
住太夫さんは「楽しんでいた・語っていた」それが見える。

そういえば、住太夫さんは「十の力でやったらあきまへん」といっていた。
そうなんだ。他の太夫は「一生懸命」だけが際だつ。
一見迫力があり真に迫っているようでもある。
がしかしそれは、「自分が一生懸命」なのであり、語りを際だたせる事ではない。
芸事の奥の深さというか、人間の持つ欲の深さというか、目指すものの違いにより現れる人間の果てしのない進化や方向性の違い。
それが十人十色ということなのだろう。
十人十色になるのも難しいものである。

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WILLIAM  FORSYTHEーウイリアム・フォーサイス

WILLIAM FORSYTHEーウイリアム・フォーサイス率いるフランクフルト・バレエ団を観た。
初日と言う事もあって、野田秀樹氏を初め坂本龍一氏や浅田彰氏等、有名人著名人の顔がたくさん並んでいた。
フォーサイスの人気もさることながら、安藤洋子さんが注目されているという事だ。
先日、情熱大陸という番組でも東洋人で初めてフォーサイスに抜躍された、という事で安藤洋子さんを特集されていた。

私は、フォーサイスの作品を見るのは初めてだと思っていたのだが、QUIINTETTという作品を見て、以前テレビで観た記憶がよみがえった。
フォーサイスが何をしたいのか、がこの作品と(N.N.N.N)と題された作品を観て理解できた。
もちろん、これは私の理解であって、フォーサイスがそう言ったのではないし、事前の情報によって理解したのではない。
日本のフォーサイスファンの方から言わせればそうではない、と異論がでるかもしれないが、武道家日野晃から観ればこう理解した、という事である。

多分彼は、「ダンス」からダンサーを解放したいのではないか、作品の熟成度ではなく、舞台上で起こる「何か」、もしくは、舞台上でダンサー達のインスピレーションにより、想像を超えた動きが生まれる事を期待しているのではないか、という二点が明確に理解できた。
がしかし、問題なのはその意図は余りにも高級すぎる事だ。
アカデミックなクラシック畑だけで育ったであろうダンサー達には殆ど不可能だ、つまり、画一的レッスンと与えられた振り付けのみで育ったダンサーにとって、即興というのは、「英語で育った人に対して、いきなり日本語を話せ」と言うのと同じで限りなく不可能に近い事なのだ。
日本語を話すためには、日本語を学ばなければ出来ないのだ。
フォーサイスの意図を、ダンサー達は頭で理解する事は出来ているだろうが、実際に舞台上で展開される彼らの「動き」は、個別のダンサーのダンスの歴史でしかなかったということである。
個別のダンサーのダンスの記憶が現れたにすぎない。

これは、ジャズの演奏形態と同じだ。
モチーフがありそのモチーフを題材にして即興で演奏が展開される事で音楽が成立するのと同じである。
そこでは、ソリストの力量だけが作品の成否の鍵を握る。
ジャズの場合でも、優れたソリストでない限り、記憶の引き出しから一つ一つ出して来ているに過ぎない、つまり、その場での即興ではなく自分の記憶をなぞっているという事である。
それを打破しようと、フォーサイスは仕掛けを散りばめた。
それは、かつてマイルス・ディビスグループに、ハービー・ハンコックやトニー・ウイリアムス等NewJazz思考の若手が参加した60年代後半頃から試みていた方法と同じである。
また、マイルスがエレクトリックサウンドを積極的に導入したグループでは、その仕掛けを自らのトランペットに絞り、その変化からどうグループが発展するのかを試行した。

というような、事がこの舞台で展開されていた。
フォーサイスはダンサー同士の創造的触発を意図しているはずだ。
しかし、触発の為の仕掛け、つまり、複数のダンサーの動きがコンタクトする、あるいはしない、が有効に働いていない。
コンタクトそのものは具体なのだが、コンタクトによって創造されるであろうはずの動きがそのコンタクトがなくても動ける動きにしかならないのだ。

(N.N.N.N)の場合は、モチーフは「腕」だ。
だから、まだダンサー達は腕を「遊ぶ」事は出来ていた。
その「だから」、というのは、腕は自分自身の視野の外に確認できるから、である。
したがって、ダンサー達はある水準までは腕に客観性を持ち得た。
結果、その作品の成立度が高いし、この舞台も成立していた。
がしかし、QUIINTETTの場合は、まず身体全体に対して客観性を持たなければ成立しない。
だから難しい、それが最初に書いた高級すぎるという事である。

ダンサー達は、自分の動きに対しての客観性を持たず、自分の動きを追っていた。自分の動きの中で試行錯誤していた。
それが舞台に見えた時、フォーサイスの意図は実現されていない、と見えたのである。
もちろん、フォーサイスに言わせれば、「これでよいのだ」と言うかも知れないし、思っているかも知れない。
これは、あくまでも私の見方である。
しかし、フォーサイスの手法から見れば、もっと奥行きを出せる手法である。ここに抜け落ちているのは、そのモチーフとしてのコンタクトから発展へのメソッドがない事だ。
このメソッドに気が付き、それを徹底的に掘り下げた時、この手法は本当の意味での、アカデミックなクラシックダンスの世界からダンサーを解き放つだろう。

舞台が終わり、安藤さんと僅かだが話をする時間を持つ事が出来た。
今回のフォーサイスの日本公演は、安藤さんがどうしてもフォーサイスを日本に招聘したいという希望から実現したそうだ。
その安藤さんのソロが新作として公演のプログラムに並んだ。
暗転の中でノイズや音声が断片的に鳴る始まりは、70年代のアンダーグランドの舞踏(ぶどう)や実験演劇等で使い古されたスタイルだ。
ブラックライト効果も同じだから、思わず「ここからどこへ行きたいのか」「どこかへ行く事が出来るのか?」と思った。
安藤さんを含んだ3人の動き、もしくはダンスは、やはり、その時代の舞踏を思わせた。
コスチュームも音も振り付けも何もかもがだ。
もちろん、フォーサイスにはそのような記憶も意図もないのかもしれない。
がしかし、舞台という空間に並べられた瞬間、舞台上はフォーサイスからダンサーから自立して観客のモノとなる。
その観客である私の中では、70年代と重なってしまったというだけのものだ。
動きが突然止まる、突然動く、そこにどんな仕掛けがあるのかは問題ではないが、その仕掛けに縛られているダンサーが見えてしまっているのだから頂けない。
舞台上の動きに対する意識ではない、いわば雑念が動きの中に見えるという事だ。
「不安」が動きに迷いを出させ、動きにキレが欠けていた。

3年前にスペイン王立芸術学校の学生達のダンスを観る機会があったが、ここでいう70年代の舞踏そのものだった。
それを見た時、我が目を疑った。
どうして、今頃舞踏を持ち出すのか?しかも、スペインでだ。
ヨーロッパにとっては、未だに舞踏が新鮮なのだろうか、不思議でならなかった。
しかし、どう考えても舞踏のような動きのどこに必然性を持たせられるのか不思議でならない。
舞踏という道具を、自らが手に入れた土方巽ではないのに。
あるいは、バッハが五線譜におたまじゃくしを並べた必然や、マイルス・デイビスがフィルモアで吠えたロングトーンの必然がどこにあるというのか。
スペイン王立芸術学校のそれは、単純に、アンチクラシックバレエなのかもしれないが。
だとしたら、それは舞踏的でなくても良いはずだ。
しかし、実際に私の目の前で舞踏的動きが行われた。その私の目の前で行われた舞踏もどきを、舞踏いう視点から眺めれば、それは山海塾の方が遙かに洗練されていたと記憶する。

この振り付けが(N.N.N.N)やQUIINTETTと同じ振り付け師からでたものだとは思えない。
WILLIAM FORSYTHEーウイリアム・フォーサイスは、どこへ行こうとしているのか?そして、わざわざ抜躍した日本人安藤洋子という素材をどう活かそうとしているのか?それこそ、新作Wearそのものではないのか、今後が色々な意味で楽しみである。

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シルビー・ギエムという身体

天才シルビー・ギエムのダンスを初めて目にした時から、バレエを支えてきた過去の天才達と、シルビー・ギエムは何が違うのかの解明が私のテーマになった。
もちろん、初めて目にした時にはその違いは直感的には掴んでいた。
ただ、明確な言語には出来なかったので、時間を必要としただけである。
何故、シルビー・ギエムを解明しなければならないのか。
それは私自身が身に付けているもの、身に付けてきたもの、その中の武道としての重要な要素と、シルビー・ギエムのダンスには同種の表現があったからだ。
つまり、シルビー・ギエムを解明することが、私自身を再認識することであり、再認識できれば、そこから具体的トレーニング方法を編み出せ、多くの人に還元できるからだ。
特に「表現」に関わる人たちには重要なメソッドになるからだ。

私が日本の武道史に残る達人の動きの解明と実現を探求している中で、「意識や意思」もしくは「実感と認識、そして意識の運動と身体運動」という、運動以前の内的運動が重要な鍵だと発見した。
その過程で、肉体運動の効率化を挙げる為の「胸骨トレーニング」を発見し、シルビー・ギエムその事が身体運動全体の根幹であることも確信した。
しかし、「胸骨トレーニング」だけでは武道史に残る達人に辿り着くことなど出来ない。
つまり、「武道は肉体運動ではない」ということだ。
結果として、現象としての肉体運動は、自己発現的自己優先的運動ではない。
簡単に言えば、自分勝手で自己完結型運動では駄目だということである。
武道としての動きは、相手もしくは敵主導型運動である。
相手からこちらに対する働きかけに応じて、動きは作られていくということだ。
だから難しい。そして、バレエやダンスとは根本的に異なるところでもある。
しかし、ある意味では「コンタクト・インプロビゼーション」という方式を用いるコンテンポラリー・ダンスには、この方法は有効である。
もっと、もっと厳密な意味ではバレエのデュオや、振り付けられた動きの表現、その表現を表出させる為の内面作りには有効だ。

ここで言う武道の難しさは、単独の運動トレーニングだけでは、絶対に辿り着かないと言う難しさである。
いくら個人的に、それこそシルビー・ギエムのように自由自在に動けても、即興的に動けても、武道としての動きは出来ないという難しさなのだ。
このことは別として、「身体そのものの実感と認識、そして意識の運動と身体運動の関連」からシルビー・ギエムのダンスを見れば、武道と同種の表現があるということだ。

先日シルビー・ギエムの「evidentia-エヴィダンシア」というDVDを見つけた。
このDVDは大当たりだった。
そこにはニクラス・エックとのデュオも収められていた。
つまり、ギエムに対しての比較対象があったということだ。
これは有り難い。デュオをしているニクラス・エックのダンスと、シルビー・ギエムのダンスの決定的で端的な違いを一言で言い表せば「イメージがあるのか無いのか」だ。
「運動をしているのか、芸術をしているのか」の違いだ。
つまり、ギエムの場合は、動きの端々まで三つの認知が行き届いているということだ。
その一つは、自分自身の動きの端々まで「何を見せるか」を認知している。
その一つは、自分自身の動きを、身体で刺激という実感を通して認知しながら動いている。
その一つは、その二つの認知を際だたせる為に、自分自身の意識を停止させてしまう。
その意識を停止させているという事を認知しているという三点である。
そして、何よりもこれらの三点がギエムそのものであり、自我がこれらをコントロールしているのではない、という武道の達人レベルの境地にあるということだ。
意識を停止させている、というのは、いわゆる自分自身に雑念を起こさせない、という積極的な意識運動のことだ。
また、(これらは武道の動きの基本でもあるのだ。だからこそギエムを理解できるのだ。)これらのことを同時に行っているのがシルビー・ギエムである。
結果としてそこに現れてくる表現は、腕の独立した動き、足の独立した動き、手の独立した動きというように、それぞれが独立した人格をもったものの様に見えるのだ。
つまり、別々の人間があたかも一つの身体を借りて動いているように見えてしまうのである。
ここがギエムの真骨頂だ。そして、未だかつてバレエの歴史、ダンス歴史の中には存在していない能力なのである。
しかし、ギエムの全ての動きがこうなっているのか、といえばそうではない。
ある一定のスピードの時、そして、ギエムの得意な動きの時に、この天才的な能力が発揮されている。
したがって、ギエムの得意な動きの時とそうではない動きとの違い、ここに偶然的に表現に落差が生まれる。
その落差がまた表現全体を際立たせているのだ。
むろん、ここでいうギエムの得意としない動き、というのは、苦手とか下手ということではない。
この認識の運動を活用できないスピードや動き、ということである。

このシルビー・ギエムの身体に辿り着いたダンサーは、バレエやダンスの歴史の中では未だかつていない。
もちろん、ニジンスキーにしても、ヌレエフでも熊川哲也でもこの身体ではない。
おそらく、西洋的発想の中にはないのだろう。
しかし、彼らは、バレエという表現世界では群を抜いていたのだからそれで良いし、それがバレエという身体運動価値観であり、芸術性なのだ。
極端に言えば、バレエという世界ではシルビー・ギエムのような、繊細かつ高度な身体は必要ではないということだ。
それは、「スモーク」でデュオをしているニクラス・エックの身体、また、熊川哲也の身体で十分だということが証明している。
なぜなら、現に彼はシルビー・ギエムと踊っているという事実、ロイヤルバレエ団のプリンシパルだった事実があるからだ。
だから「スモーク」を見ていたら非常に奇異だ。
全く次元の違う動きが同時にそこにある。
シルビー・ギエムのダンスにCGを合成しているかの、また逆にニクラス・エックのダンスにシルビーのCGを合成しているかのように見える。
ダンスファンやダンサー、評論家諸氏にはここが見えているのだろうか?
ここが見えなければ、単なる体操の類と、芸術的身体表現との見分けがつかないはずなのだ。
舞台装置があり、物語的流れがあったり、流れが無かったり、バックに音楽が流れ、それに沿っているように、あるいは、対立して、あるいは伴奏としてもちいているように、そしてそこに動きがあるからといって、それは芸術的表現ではない。

では、シルビー・ギエムはなぜこういった要素を持てる身体になったのか。
それはシルビー・ギエムが バレエやダンスを抽象化したからに他ならない。
つまり、クラシックバレエであれコンテンポラリーダンスであれ、それらは「具体的身体運動」に他ならないと捉えたということだ。
腕の動きを抽象化し、足の動きを抽象化し全身の動きを抽象化したとき、その動きはあらゆるジャンルの垣根を越えたのだ。
抽象化するのは意識ではない。
意識は「捕らえた」だけだ。
抽象化は身体のレベル、実際の運動のレベルで行われるものだ。
その作業は、単純に振り付けに従うのではなく、振付けられた運動を行う際に生じる、自らの身体内部で起こる微細な刺激の認識、身体運動で感じる外的な刺激の認識を通して、振り付けを身体運動として構築させていくその過程の事だ。
そのことに自らが向かうことで、自分自身の雑念や、意識の散漫さが気になってくる。
実は、ギエムはそことの葛藤を徹底的に行ったのだ。そのことによって、無意識のレベルに自分自身が入ることが出来るようになったのである。
これが武道の本質と共通する点だ。
つまり、ギエムの動きや姿から、このギエムが見えているのだ。
シルビー・ギエムの何が天才か、といえば、この「身体の抽象化」である。

シルビー・ギエムの持つ身体運動に対する要素があり、そのことによって見る側の感性の奥深く眠る本能の歓喜を呼び起こしてくれるから、そして、こちらの全ての雑念や感情を消し去り、真の静寂を身体に与えてくれるから芸術なのである。
決してクラシックの作品だから、あるいは現代の抽象化された振り付けがあるから、芸術なのではないし身体表現でもなんでもないのだ。

「運動をしている」とは、自分自身の運動のみに意識が働いている、向いているということだ。そして、二重の思い込みによって成り立っているという事だ。
つまり、自分はダンサーだという思い込み。その思い込みの中で、ダンスの妄想に浸る、という思い込みだ。
したがってそこには、結果として雑念のみが現れ、ギエムのように身体や運動が際だって来るということはない。
つまり、バレエやダンスは身体表現であるにも関わらず、身体表現を表現していない、と言うことだ。
身体表現という名を借りて、幼い自意識を表出させているに過ぎない。
単に自分が独りよがりで行っている運動(振付けられた動きや、即興と称する動きの癖)を、たまたま舞台という場で、観客がいるという場でやっているから、「表現」とか「芸術」と呼ばれているに過ぎないのだ。
また、バレエやダンスという形式があるから、「表現」とか「芸術」と呼ばれているに過ぎないのだ。

大方のダンサーの場合、作品や形式におんぶに抱っこ状態だ。
それは、日本にある多くの伝統芸能の世界にも同じ事が言える。
本来、形式は個人の持つ内容や、個人の欲求から作り出されるものである。
その内容や欲求を持たない人間が形式を隠れ蓑にし、あるいは形式だけに価値を見出し、個人の存在価値を作り出しているだけなのがこれらの世界だ。
つまり、本末転倒しているのだ。
極論をいえば、形式があるから個人が存在しているだけだ。
内容を持つ人間、つまり、ここでいえばシルビー・ギエムのレベルがあって、初めて古典も、現代という形式も意味を持つのであって、形式が保身的役割を負っているということの認識がなされない人間が、表現という世界に参加することは、逆に古典も現代をもぶっ壊しているに等しいのだ。
それは、作品を踊る様々なダンサーたちから、何一つ必然が見えてこない、つまり、踊る理由が見えてこない、舞台に上がり観客に何を見せたいのかが見えてこない、という踊りなのだから、誰の目にも分かるはずなのだが。

しかし、何を踊ってもシルビー・ギエムの動きには身体的必然がある。
だから、観客を無条件で説得できるのだ。
そしてシルビー・ギエムという芸術は、間違いなく形式を欲求する。
そして、その形式をことごとく自らの欲求で制覇してしまう。まさに何世紀に一人の天才なのである。

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産経新聞に「文楽ざんまい」と題したコラムがある。

今回は人間国宝、太夫の竹本住太夫さんだ。
コラムの中で目が止まった一節が【取材中、突然、同行していたカメラマンに向き直った。
「きみ、この仕事好きか。どの仕事でも好きやないとあかんな」と厳しい表情を見せたあと、いたずらっぽい笑顔で「こんな僕やけど、きれいに撮ってや」。】だ。
ここに見えるのは、住太夫さんが記者に取材され、その写真を撮っているカメラマンがおり、そのカメラマンが切るシャッターの音や、ファインダーから覗いている視線に不快感を感じ続けた。
そこでたまらず「この仕事好きか」と言ったのだろう。
それは「俺と勝負していないのか」だ。
俺と向き合っていないのか?だ。
住太夫さんの語る浄瑠璃に負けない写真を撮れなければ負け、という勝負だ。
インタビューに真剣に答えている「真剣」に負けない写真を撮らなければ負け、という勝負だ。
このコラムの冒頭に【文楽は命がけの芸といわれる。
かつてある太夫は浄瑠璃を語ることの大変さ、苦しさを「マラソンを全速力で走るようなもの」といった。】とある。
つまり、太夫は命がけの生き方を選んだ人であり、その過ごす全ての時間は真剣だということだ。

カメラマンは、ただ住太夫さんの写真を撮ればよいと思っていたに違いない。
いや、写真を撮るというより、シャッターを押せば写真が撮れていると思っていたに違いない。
お地蔵さんのようにそこにいただけに違いない。
住太夫さんの「言葉面」から、語呂合わせの如く知っている言葉に頷いていたに違いない。
そして、その事が相手に対して大変失礼なことだとは知らないに違いない。
その事が相手に不快感を与えているとは知らないに違いない。

しかし、少なくとも、このコラムを書いている女性は住太夫さんと勝負をした。
だからこそ、この一節が生まれた。
つまり、何時間かのインタビューの中から住太夫さんの生の声を引き出した、そして、この一節が住太夫さんの人となりの象徴だと感じたから書いたという事だ。
このコラムを書いた女性は、こういった事を感じて欲しいと思って書いたのかどうかは知らないが、私には引っかかった。

「勝負をする」とは、試合や競技に限ったことではない。
目の前のまな板にのっている生きの良い魚、例えばイワシの生きの良さそのものに負けない料理を作ろう。
自分が感動した舞台や映画、それに負けない脚本を作ろう、映画を撮ろう、舞台を作ろう、役者になろう。
それらも勝負だ。
目の前の素晴らしい風景に負けない写真を撮る、この美しさに負けない絵を描く、今目の前に座っている人の迫力に負けない質問をする。
つまり、ここでいう勝負は、誰かに設定されて存在するものではなく、ごく自分勝手に自分が決断し、自分自身に宣言したことを言う。
ただし、「誰か」という具体であり「どれ」という具体でなければならない。
つまるところ、勝負をするとは、自分自身の生きるべきステージを舞台を決定するという事である。
この勝負を自分自身が作ることが出来るからこそ、自分自身の可能性が生まれ育つのである。
そして、最も大切な素晴らしい人との価値の共有ができるのだ。
当然そこには10年20年単位の勝負の歴史が必要だが。

ジャズピアニスト秋吉敏子さんが、先日テレビでインタビューに答えて、素晴らしい言葉を語っていた。
インタビュアーが、毎日毎日ピアノの前で練習する秋吉さんに「ご自分に厳しいのですね」と投げかかけた。
すると「いいえ、私は厳しくなんかありませんよ、ただ『
自分自身に親切であれ』と思っているだけです」と。
それは「自分に対して挑戦するチャンスをどんどん与えなさい、という意味なのですよ、私は73才になって、今までオーケストラの作品作りに追われピアノの練習がおろそかになっていた。
だから、オーケストラを解散し、ソロピアニストとして再挑戦しようとしているのです」この「自分自身に親切であれ」という言葉を聞いて驚いた。
私が確か22才くらいの時、ジャズ仲間に「お前等なあ、自分に親切にせなあかんで、何でも自分にさせたらなあかん」と語っていたのを思い出したからだ。
これは「自分を大切に」という言葉を、十代の時に読んだ本に書いてあった言葉が熟成されたものだと思う。
「自分に何でもやらしたれよ」それが私の基本的スタンスだ。

 

フジ子・ヘミング


「武禅」が終わりほっとする間もなく、東京・池袋の東京芸術劇場に来た。
ピアニスト、フジ子・ヘミングを聴くためだ。
前回、神戸で弦楽四重奏との共演を聴いたが、今一つピンと来なかったので、そのリベンジのために、ソロでする東京へ足を運んだ。
「音楽とは何か?」と、答えの不明瞭な問題を持ち越し、武道という世界に迷い込んで何十年になるのか……。

フジ子・ヘミングのピアノを初めて聴いたとき、他の世界的なピアニストの演奏や、ジャズピアニストの演奏は全てが装飾音で、「何を、どの音を弾きたいのか」が無いということに気がついた。
逆に彼女の音には、全て意志があったからだ。
つまり、それまでに私が体験したピアニストは、ピアノ弾きでは無かった、と知らされたのだ。
では、同じ土俵にいる世界のピアニストはどうするのだろう?などと思いを巡らしたりもした。
私なら、即刻ピアノを辞めるだろうが。

開演が告げられ、フジ子・ヘミングは唐突に、本当に道を歩いているように出てきた。
フジ子・ヘミングは、今日私の身体にピアノ曲の意味やシューマン、ショパン、ドビュッシーといった人達を教えてくれた。
これほど明確に、彼らの「こころのひだ」が見えてくるとは思っていなかったし、そういう形でクラシック音楽を捉えたことが無かった。
これらが見えたとき、ピアニストという存在がどういった意味を持つのかが浮き彫りになった。
ピアニストは「ピアノを弾くために存在するもの」だという事、そして、ピアノ曲は「ピアノという楽器のためにあるもの」という二点は、ごくごく当たり前のこととして誰もが知っていることだが、今日初めて私は知った。
生まれた初めて知らされた。

フジ子・ヘミングは、ピアノを弾いていた
楽譜を弾いていた。
作曲家の意図が目の前に現れていた。
紛れもなく「音楽」がそこに見えていたのだ。
フジ子・ヘミングはそこにはいなかった。
つまり、「彼女が」弾いているのではなく、彼女がという主語を越えてそこにいた。
彼女の思いは何一つ見えなかった。
チリ一つもなかった。

しかしどの曲も、彼女が「今、即興演奏している」が如く、有機的に全てが連なってあった。
彼女が作曲した作品のように今あった。
ドビュッシーの不自然きわまりない音列も、お互いがまるで小河を流れるせせらぎのように流れていた。
しかし、それらはまぎれもなくシューマンでありリストそのものだ。
「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス」は、ピアニシモの連続でありながらその音全てがフォルテに聞こえ、しかし、ピアノのアクションの音が精密機械の時を刻む音のごとく均一に、ピアニシモの音に覆いかぶさっていた。
思わず妻と顔を見合わせてしまった。

唐突に舞台に登場し、唐突に退場するその様は、観客など目には入っていないかのようだ。
唐突にピアノが鳴りだす、そして唐突に終わる。
つまり、ピアノを弾いているだけなのだ。
演奏が終わって拍手が鳴りやまない中、私と妻は立ち上がって「ありがとう」と叫んだ。
フジ子・ヘミングは初めて観客を意識した。
にっこりと私に微笑んだ。

取り急ぎ、感動をまとめてみました。


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