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こころが向き会う (視線はこころの窓) |
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日常生活を送っている時、ごくごく当たり前のこととして、人は人と向き合います。
両親と子供と、友人と、恋人と、夫婦で、部下と上司と、書き出せば切りがないくらい、社会的立場によって様々な人が様々な人と向き合っています。
でも、本当に自分のこころも向き合っているのでしょうか?
こころが向き合えば、こころの共鳴が起こり、そこにある種の感動が生まれ、全ての人間関係がよくなるはずなのですが……。
ここでは、その「こころが向き合う」という基本的なことから入っていきます。
あなたが、刀を構えている相手の前に立ちます。
ただそれだけですが、その事で、自分のこころがざわついていたり、雑念が頭をかすめているのに気が付きます。
つまり、こころが向き合っていない、という事に気が付くのです。
逆にあなたが刀を持った時、目の前にいるはずの人が「なんだか遠いなあ、私を見てくれていないなあ」という、相手のこころが自分に向き合っていないことを実感します。
それが大切な第一段階です。
それを実感できるだけで、日常で自分に向き合ってくれているはずの人が向き合っていないことに気が付くでしょう。
しかし、あなたは誰とでも向き合えるようにならなければなりません。
そうする事が、誰でもあなたの事を信頼しこころを開いてくれる事、そして、誰からも受け入れられる事なのですから。 |

心の歪みは身体に現れます。姿勢を修正する事も見詰め合う手段の一つです。何故なら身体は精巧なレーダーですから、姿勢の善し悪しが受信発信力と関わっているのです。
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こころに「声」でふれる(気持ちの受け渡し)
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誰でも、とにかく自分が話をしようとする相手が、全員自分にこころを開いてくれたらどんなに嬉しいでしょうか。
一生懸命話をしても、繰り返し同じ事を言って…、どうしても分かってもらえない。
それは、相手のこころを開く姿勢が出来ていないからです。
ということは、説得力や信頼関係・恋愛関係他という人間関係が築き難いという事になります。
それは、あなたが、「会話」を誤解しているだけです。
「会話」とは、「言葉の意味を理解することではない」と分かって下さい。
もちろん、言葉を理解することは大切なことなのですが、その前にもっと大切なことがあるのです。
自分の「こころ」が相手に向っているのかどうかなのです。
こころが相手に向っていない言葉は「音」でしかありません。
ですから、やかましく聞えてしまうのです。
こころの上に乗った“伝えたいこと”は、「言葉」として相手のこころに届きます。
すると、相手はあなたに対して強い印象を持ち「存在感のある人」だと捉えます。
話術が巧みであったとしても、相手が「存在感の無い人」だととらえた時、「自分の意見を押し付けてくる人」だと感じた時、あなたの言葉は空に消え、あなたの事は印象に残りません。
逆に「嫌な人」という印象を植え付けてしまうのです。
つまり、「人と人のつながり」は色々な手法や手段、マニュアルが作り出すものでは無いという事です。
「こころの共鳴」が作り出すものなのです。
ここでは、まず「こんにちは」と相手に伝えることからはじめます。
そして、その「こんにちは」を受け取ってみます。
すると不思議なことに、こころが伝わったとき「からだが反応」するのです。
その反応は感動として、自分のこころがふるえます。
そこが、このカリキュラムの入り口です。
あなたとの会話で、誰もが感動するっていうのは素晴らしいことでしょう。 |
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こころに「からだ」でふれる(握手で気持ちは伝わる)
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誰であっても、人のこころに直接ふれる事は出来ません。
しかし、「声」のセクションのように、何かを介在させればこころにふれることが出きるのです。
その一つがここでは「からだ」です。
相手の両腕を後からふれます。あるいは手を握ります。
その時、からだは相手のこころに対して「快」を感じたり「不快」を感じたりという反応をします。
と同時にふれている相手も同じように快や不快を感じます。
それが「こころ」の反応です。
その不快を快に変えるのがここでの目的の一つです。
あなたが握手をしたり、部下の肩をたたいたり、恋人の、子供の、友人のどこかにふれた時、相手が心地よく思えば、相手はあなたに自然にこころを開きます。
もう一つの重要な目的は、後の人があなたの両腕をさわって、あなたを動かします。
その時、相手の指示する通り動く、という作業です。
これは、「人の意見を聞き入れられる、豊かな自分を作る」事を目的としたものです。よく考えてみましょう。
あなたは、あなたの言葉や意見を受け入れてくれる相手を好きになるでしょう。
そして、信頼するでしょう。
つまり、それの逆で、あなた自身が誰からも好かれ信頼してもらえる人になるのが目的なのです。
まず、イスに座って、後の人の指示に従うところからが入り口です。
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