|
セクション3
相手を見ていなくても「誰に」という対象がちゃんとあれば声が届くのを実感した。先生が自分に紙を見ながら読んでくださった声がめちゃめちゃこころに響いた。相手の目を見て声を出しても、その人に「誰に」がなかったらただの独り言になってしまう。先生は普通話しても声が届くが、気持ちの出ていない自分たちは、もっと思い切り出さなくては気持ちが出てこない。声無しで思い切りだしたら、それまで変わらなかったS君の目に表情が出て前に出てきた。嬉しくなって、「よっしゃーもっと、もっと」という気持ちになった。
30代 男性 会社役員 25回参加
平家物語を読んで相手に声を届かす。これはパニック!自分では届けているつもりなのに届かない…。ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる、一枚壁があると言われ、自分でも何となく分かる。声を出さないで届けるバージョンなど難しすぎる…。でも、先生0の声を聞いた人皆が顔を赤くするような感じ?嬉はずかしみたいで、胸が熱いってのになってびっくりした。ただ純粋に届ける。俺は色々考えて壁一枚ある。自分でもそれは感じる(今までの人生においても)。『素直』と『目的』がキーワードの様な気がする。
20代 男性 教師 初参加
|

鶏手羽元とこんにゃく大豆の柔らか煮、ごま風味のあんかけ冷やし茶碗蒸し、茄子・トマト・おくらの南蛮漬け、平天・鶏挽肉・タマネギのさっと煮、豆腐とネギのみそ汁、自家製ぬか漬け |
|
セクション3
向かい合い、声を出し、言葉を伝える。始め、恥ずかしさと緊張で分からなかった。全くピンと来ない。何をどのようにすればよいのか?対面した時、ただ声を音に出すのではなく、気持ちに音をのせるだけでよい、気持ちをだすと言うことを今まで考えたことがなかった。ただ言っている、出来事を話しているだけだった。赤ちゃんが、言葉になっていない言葉でお母さんに要求をした時、その言葉がお母さんに分かるようなものと同じなのか?気持ちという、目に見えないものなので、まだやり方が分からないが、もしかしたら自然に出来ていることで(何も考えず、必死になった時)考えない方が良いような気もする。考えること、言葉、気持ちを伝えようとすると、何かがシャットアウトされた感じもする。
先生が、自分に声無しで言った時、声が届くという感じより、聞きたい、聞こうという感じが強かった。吸い込まれる感じがした。あのようなこと、まだまだ出来ません。
20代 男性 スポーツインストラクター 初参加
|
|
|
セクション3
初参加のKさんは、セクション1でも感じたが「分かりたい人」で「出来るようになりたい人」ではないと感じた。稽古中「どう見えたか」と質問しても、見えたことを言わずに状況を説明するだけだ。Kさんが読んだのを受けて、とても押しつけがましいと伝えると「まだ文を読むことに注意がいっている」と自分のことをいう。私も最初はそうだったと思う。大差なかったのでは。言い訳だらけと言われていることが自分とくっつかない。
しかし今回「人に対して、あなたは押しつけている、それがとても不快だ」と言われているのに、出来る出来ないと問題を転化するのをKさんを通して見せられびっくりした。先生がいつも言われている「そんな自分でいいのか、嫌いじゃないのか」。自分に対して「これは嫌だ」がないとそうなるのかと思う。しかし、別に生きるのに困らない。人から言われたことに関係するもしないも自分次第だ。ということも、Kさんとの稽古を通して知った。
20代 女性 学童職員 23回参加
|
|
|
セクション3
相手に気持ちを伝える、声を出すことが全然出来なかった。とにかく、自分が声を出すと言うこと、内容とかばかりに意識が向いてしまい、相手を無視した感じになっていた。人に指摘されることで、初めて自分がおかしいと認識でき、修正する方向に向かえることが実感できた。まず「誰にむかって言っているのか」を日常生活で意識していこうと思う
このセクション全体から感じたのは、自分の日常の会話というのは、どれだけひどいものになっているのだろうか?ということである。
20代 男性 フリーター 3回参加
声を届けるでは、先生に平家物語を声無しで読んで頂いた時、体が熱くなり、声が自分の中から出てくるような感じがした。
相手の目を見て読むと「ただ目を広げているだけで、しかも押しつけているような感じ」と指摘された。普段、話す感じで読むと「まだまし」とのことだった。稽古中、AさんがKさんに「壁になっている」と言い、それは実際にどんな感じなのかやって見せて、壁は不快だとはっきりと伝えると、Kさんの感じが変わってきた。相手にありのままを伝えることで、人が変わる、それを見ました。
20代 男性 公務員 4回参加
|
|
セクション3
「こんにちは」相手に触れる、吸い込む、伝える。「こんにちは」を言う。話す。どれもとにかく、その人に「誰に」がなければ独り言だ。Fさんと稽古をしていて、目がお皿のようになって表情がない。先生が「やってくれるのに慣れている。甘やかされて育った」とおっしゃているのを聞いて、自分にドカンと当てはまる。特に武禅に参加し始めた頃の私、何か新しいことを始める時の自分。
「何で、こんなにも壁なんだ」と受けていて感じていたが、自分から積極的に行くことをしてこないとそうなんだ。ジュースをこぼしてもそのままで、ふいてくれるのを待っている子供の目、顔と同じ。それが、先生が何時も言う「幼稚な目」ということなんだ。
20代 女性 学童職員 23回参加 |
自分の思っている「自分」と、人から見えている「自分」は全く違います。
自分の「〜つもり」は誰にも届かないし、通用しません。
しかし、社会では人はそれを口に出して教えてもくれません。
それを知らなければ、人を誤解したまま、そして自分を誤解したまま人生を過ごす事になるのです。
また、「〜つもり」のあなたを誰も分かってくれないのですよ。
「武禅」はその誤解を知る場であり、そこから新たな自分への一歩を踏み出す場です。
|
|
|
セクション1 真剣向かい合いー
まっすぐ見つめていますか?
セクション2 からだにこころでふれるー
あなたの手は気持ちに触れているのですよ
セクション3 こころに響かせるー
相手に真剣に話していますか?
セクション4 からだを意識するー
自分の身体だから、より自由を与えましょう
セクション5 気持ちが相手に伝わる
|