セクション1

その後、「相手と向かい合う」を他の人と行ったときも、自分が全くといって良いほど相手のことが見えていない。そして、どうしていいのかも分からないことに気づいたて、何故か笑いがこみ上げてきた。本当に面白かった。自分はただ頭の中でゴチャゴチャ考えているだけだ。そんな思いとか観念は、相手との関係では意味がない。

2人で刀を持って向き合ったとき、傍で観ている人に「人形」とか「ただいるだけ」といわれて呆然としました。自分ではものすごく向き合って、相手に迫っているつもりだったのに、本当につもりなんだとショックでした。私は、今までどうやって人とかかわってきたんだろか…、と不安しきり。そして、本当に人とかかわってきたことはあったのだろうかと。普段の生活の中でも、本当に向き合うことをやっていきたい。どうしてもそうできるようになりたい。ただ、今この場所でまず、少しでも。

セクション2

先生の助言のおかげで「形」をおぼえれば変わるし楽しくなることを学んだ。他の人の形をしっかり見て覚えないと、良いか悪いかの目ももてない。出来ないなりに形を覚えて、多少はましになったとき、楽しくなることを知った。一寸でも出来るようになるとうれしいな、と思った。


セクション3

大声を出すことがこんなに気持ち良いことだとは思わなかった。会社でも友達と一緒のときも、いつも声が聞こえないと言われ声質の問題だと思っていた。声を喉で止めている感じがすると言われたこともあります。大声をだしたつもりでも、何時も相手に届かなくて、その時、人に聞かれるのが恥ずかしい、間違っていたらどうしようという不安、周りの人に聞かれることを恐れていました。今日、生まれて初めて、あんなに大声を出しました。こんなに声が出る事に驚きました。声が出なかったときは、人が怖く自分を出すのも怖く、とても不安な気持ちでしたが、伝えようとすれば相手にも伝わり、相手も言いたいことが言えるようになることが分かりました。声を出して胸のつかえがとれた気がします。

真剣向かい合いとの時は、相手と向き合っていないということが、その次の中心線合わせで少し感じ取れたと思いました。相手と向き合っていないというよりも、向き合う精神状態でなかったのでは、と今まだ考えている状態です。向き合って来る相手に対して逃げていて、そんな状態ではコミュニケーションがとれる訳もない。





輪になって、さらに早口言葉を言い続けるうちに、真剣にやっていない人、何も伝えてくれない人に何かを言われることが、モーレツに頭にきた。半分笑ったような死んだような目で、早口言葉よりも無意味な大声にブチ切れた。何度も何度も言い返し、このヤロー何言ってんだ、と思ったら、涙が出てきた。感情がふきだして、私のことをぶつけたい気持ちが、相手に伝えたい気持ちが止まらなくなって、伝えても伝えても…、そのうち色々な人の事が見えて、それぞれに伝えたくなった。ろれつも声も何も考えず、ただ相手にぶつかっていく自分がいた。今日、初めて頭でなくて行動、感覚、感情…として、何かを乗り越えることが出来た。自分が真剣に相手に集中して、相手を感じることが出来たら、そうでない人のことがすごくよく見えた。ぶつかっていって「なんでそうなの?」とつっかかっていきたい。そして、伝えたい。そう行動したら自然に出来た。

考えてみると普段の生活で大声を出すことなどなく、日々の生活の中で押し殺されている自分に気付きました。


7人で声の出し合いをした。相手の目を見て声を出すことだけに没頭して、いい間違いなど気にならなかった。自分に声をかけて欲しくなった。


最初は「口だけで言っている」「声が届いていない」「私に向かって話しかけて」「あなたと稽古をしている気がしない」と言われ、どうしたら言えるだろう、とか、どういう聞き方をすればよいのだろうと頭で考えていた。
今振り返ると、頭だけだったのが分かる。円陣になったときは、もう余計なことは忘れていた。私にぶつけてみろ、と思っていた。人ときちんとコミュニケートできるってすごい気持ちの良いことなんだ。
なんだか、つまった煙突の掃除をしたみたいだ。今まで、自分のエネルギーに蓋をしたりフィルターをかけていた気がします。


人が本気で伝えようとすると、ここまで変わるのかと、実感しました。同じグループの女性は、最初蚊のなくような声で、全く自分に話しかけていなかったのに、何かがはじけ本気になったとたんに、その気持ちに圧倒される程になっていた。
本気にならなくてはいけない事、またまた思い知らされました。


伝えることの難しさを思い知った。そして自分に腹が立った。自分に対してのことを世の中のせいとしてとらえていた(実は知っていたけど見てみぬふりをしていた)。今日、真正面からその事実が体当たりしてきた。
痛かった。かなり痛かった。山を降りれば日常の生活がまた続くけど、今、動かないとまた簡単に元に戻る弱さも知っているので、とにかくやるだけだ。
それも一個一個焦らずに、頂点ばかりを意識するのではなく。


必死の思い、そんなこと、今までになかった。
そして、人に届いたとき、ほんとに心の中から良かったと思うし、相手のエネルギーも感じた。無意味な言葉ですら届けば嬉しいのに、こんにちは、ありがとう、この言葉がほんとに届け合えた嬉しさ。
ということは、他にもっとほんとに伝えたいこと、伝えなければならないことだったら。私は日常の中で、まず「挨拶」を届けることから始めます。
今日家に帰ったら「お母さんただいま」と、母の目を見て届けます。

今回の合宿もなんとなく来ることが嬉しくもあり、怖くもあった。けれど来てみるとやっぱり良かったです。

けいこの終わりが近づくにつれて、皆の顔が変わってくる。昨日一緒に稽古をしてあんなに引いて人が見違えるくらいになっている。
最後の「こんにちは」は、皆すごく嬉しそうだった。このままのテンションを維持し続けるようにがんばろう。

 



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