考えてみると普段の生活で大声を出すことなどなく、日々の生活の中で押し殺されている自分に気付きました。
7人で声の出し合いをした。相手の目を見て声を出すことだけに没頭して、いい間違いなど気にならなかった。自分に声をかけて欲しくなった。
最初は「口だけで言っている」「声が届いていない」「私に向かって話しかけて」「あなたと稽古をしている気がしない」と言われ、どうしたら言えるだろう、とか、どういう聞き方をすればよいのだろうと頭で考えていた。
今振り返ると、頭だけだったのが分かる。円陣になったときは、もう余計なことは忘れていた。私にぶつけてみろ、と思っていた。人ときちんとコミュニケートできるってすごい気持ちの良いことなんだ。
なんだか、つまった煙突の掃除をしたみたいだ。今まで、自分のエネルギーに蓋をしたりフィルターをかけていた気がします。
人が本気で伝えようとすると、ここまで変わるのかと、実感しました。同じグループの女性は、最初蚊のなくような声で、全く自分に話しかけていなかったのに、何かがはじけ本気になったとたんに、その気持ちに圧倒される程になっていた。
本気にならなくてはいけない事、またまた思い知らされました。
伝えることの難しさを思い知った。そして自分に腹が立った。自分に対してのことを世の中のせいとしてとらえていた(実は知っていたけど見てみぬふりをしていた)。今日、真正面からその事実が体当たりしてきた。
痛かった。かなり痛かった。山を降りれば日常の生活がまた続くけど、今、動かないとまた簡単に元に戻る弱さも知っているので、とにかくやるだけだ。
それも一個一個焦らずに、頂点ばかりを意識するのではなく。
必死の思い、そんなこと、今までになかった。
そして、人に届いたとき、ほんとに心の中から良かったと思うし、相手のエネルギーも感じた。無意味な言葉ですら届けば嬉しいのに、こんにちは、ありがとう、この言葉がほんとに届け合えた嬉しさ。
ということは、他にもっとほんとに伝えたいこと、伝えなければならないことだったら。私は日常の中で、まず「挨拶」を届けることから始めます。
今日家に帰ったら「お母さんただいま」と、母の目を見て届けます。
今回の合宿もなんとなく来ることが嬉しくもあり、怖くもあった。けれど来てみるとやっぱり良かったです。
けいこの終わりが近づくにつれて、皆の顔が変わってくる。昨日一緒に稽古をしてあんなに引いて人が見違えるくらいになっている。
最後の「こんにちは」は、皆すごく嬉しそうだった。このままのテンションを維持し続けるようにがんばろう。