体操では意識の変化があれほど肉体に影響を及ぼすのを知り、自分も色々と考えさせられた。肉体は意識が一点に集中するだけでも変化する。日常生活の自分がどれ程ブレた生き方をしているのか、ということがよく見えてくる。毎日向かう目的は持っている。ただそれは、何となくの目的で、何かやっているように満足する為の、仮の目的かもしれない。だからしょっちゅうブレる。すぐ他のことに手を出す。さらにそれも急に思ったことだったりするから、中途半端に終わる。
一番最初に刀を持って相手と正対したときは、ただがむしゃらに力が入っている感じがした。ところが相手と自分との正中線を合わせて立つ、ということをやった後に刀を持って正対すると、なぜかとても心地良く、相対しているにもかかわらず、形状しがたい爽快感があった。相手との一体感を感じつつ、真剣に向かい合うことがこんなに気持ちがいいことだとは、今まで全く気付かなかった。相手と深く向き合えるようになれば、さらにどういう感覚が湧き上がってくるのか、それを味わえるようになりたいと思う。
過去を振り返ってみて、自分の心に入ってくるような言葉をかけてくれた人たちは、皆自然と私の中心線に入ってきて語り掛けてくれたように思う。頭だけで考えた言葉の内容よりも、相手と向き合う姿勢がどれだけ大事かがよく分かった。これまで自分が大切に思っている人たちに対してすら、このような姿勢で言葉を投げかけてはいなかった。ということは、相手には伝わっていると自分では思っていたことも、実は伝わっていなかったということだ。これからは、どのような相手と話すときも、相手の中心線に入れるように意識していきたい。また、先生がおっしゃったように、他の人が中心線に入って来てくれる自分になれるような姿勢を努力して身に付けたい。
セクションの最初で、自分は精一杯声を出しているつもりだったし、相手の方の声も自分に届いていると信じきっていたが、最後の「なまむぎ〜」の声の掛け合いを経て、最初に自分が届いていると思っていたことが思い込みだったことが凄く良く判り、ある意味ショックだったが、ほんの少しのレベルだが相手に声が届くようになったことが、凄く嬉しかった。
しかも、最初やった時は一生懸命、何とか相手に届くようにと思っていても全く出来ていなかったのが、最後には自然と出来るようになったことが、とても嬉しかった。他の方達も、セクションの始の時とは、全く別人のようになっていたことにも驚いた。
今朝は朝が早くて睡眠も3時間程度で、普段なら疲れる一日を送ってしまうのが、11時を過ぎてた今もとても元気な自分に自分でもびっくりです。
自分は今まで相手の中心線に入って話したことはなかったし、また、入らないように随分と自分を誤魔化していたように思うし、ある意味都合のいい逃げの場所に自分を持っていったように思う。中心線は自分の本当の姿を写し出す鏡のようなものだと思う。
だから先生が中心線に立たれる時、逃げも隠れも出来ない状態で、自分の弱さを全て見透かされているような気がした。これからは、中心線をどの人に合わせても、入られても堂々と合わせられるような中身をもった人間になりたい。
嘘のない自分、妥協のない自分となれるよう中心線を磨いていきたい。
最後の「声で人を振り向かせる」では、自分が精一杯やっているつもりのレベルでも、実はその人には届いていないことがよく分かった。精一杯のレベルを、今までの自分は間違えていた。