「守ろうとしている」と先生に言われた時、核心をつかれたと感じました。「もっと入っていくような感覚で」と言われた後は、さっきまでの頑張ろうとしていた力がとれ、肩の力がふっと楽になりました。握手をしているように感じました。
普段でも、何か必死に守ろうとしているところがあり、そしてそのせいで「頑な」と言われ、無意味に何かを守ろうとしているのだろうと、どこかで感じていながらも、どうにかしようとしていませんでした。自分で自分を変えようとすることから逃げていました。もっと余計な力を抜けるようになりたいです。正面向かい合いは、実際に握手をしていなくても、まるでしっかりと握手をしているように感じられ、全身が暖かくなりました。
目の前の人と向かい合いながらも、他の二人の視線を感じるという稽古でしたが、目の前の人すら向かい合えない自分がいた。前の人に集中すると他が見えなくなり、他の二人を感じようとすると目の前の人に集中出来ない。物凄く難しく最後まで出来なかった。
その後、一人と向かい合いをすると、午前中合わすことすら時間がかかっていた人と、数秒でピタッと来るものを感じた。物凄く気持ちが良く、ズーッと永遠にこのまま時間が過ぎてもかまわないと思える程だった。
相手の人とピタッとなる向かい合いは、一本の線のようなものがお互いに繋がっているように感じた。心がとても落ち着いている。自分がそう感じている時には、相手の人も同じように気持ちが良いと言ってくれた。物凄くうれしくなった!
ここのこの関係も今回限り、次に会う時にはそれぞれが変わっているし、同じメンバーが揃うこともない。「同じ事をしたってしゃぁないやん」と先生の声が聞こえてきそうです。それが寂しいのでもなく、ただ、会えて良かった。同じ時間を過ごせて良かったと思ったら涙が出てきた。卒業式で泣けない私の初めての体験…、とここまで書いて、何時でも何でも初めての出会いと別れなんだと気付いた。
“ナマムギ”のリレーゲームは私の苦手な事なので、出来るかと正直ドキドキだったのだが、何時の間にか慣れていて落ち着いている自分に驚いた。
次は何を言う、誰に当てる等を何も考えなくても動けるのは、多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが、そうできないと自分で決めていた私には、そういうトロくささが嫌いなところだった。
今「なーんだ」という気分。先生との雑談の中でもあったが、持っていても仕方のないものを大事にしがみついていて、今やるべき事に目が向いていないのがありありと出てきた。だから、これからどうするかははっきりとした。
「声を届ける」というセクションだったけれど、声ではない別の何か、それはエネルギーとか、思いとかという言葉を使っている何かを届けている感覚だった。
輪になってのゲームでは、正直負けまいと意地になった部分もあるが、「もっと私にちゃんと言え!!」と感じ、言い返した。
受ける方の稽古をやった時は、最初にきっかけを出す側でないとしても、準備が出来ていなかったり、きちんと向き合っていなかったりすると違和感を感じた。
一方的なものではなく双方向なのだと感じた。これがコミュニケーションなのだと実感している。
「こんにちは」を2人向かい合わせでする受けの練習。いかに相手にとって話しやすい自分でいるか、最初にすごく言いにくくて壁があるように感じると言われる。
何度やっても受け取ってくれないと言われ、先生に見てもらうと「眺めている・観察している目になっている」と言われた。「こいつはどんな奴だ」と見ている目。
自分ではそんなつもりはないのに!壁を作っているのは自分だった。
人と目を合わせて向き合うことが気持ちよく感じられたのは初めてでした。その時は、頭の中で相手の考えやこころを探ったりしないし、自分の邪念もなく、ただ相手と通じた感じがしました。