最後に先生が言われた「自分を知るために他人がいる」は、言葉としては知ったような気になっていましたが、他人をきちんと知ることも触れることさえ出来ない自分が、こうだと考える自分を安易に口にして、分かってもらおうとするクセを自覚した今、何が分かっていたのだろう、と恥ずかしく思っています。
遠く離れた相手に、しかも邪魔な人が前にいる状態での「コンニチハ」。最初は届かなかったのですが、その内気持ちの中で「届けたい・なにくそ」という感情が多くなって、そのエネルギーを吐き出すと、不思議と相手に届きました。
どの状態の時も共通して言えるのが、当たり前ですが、いいかげんに、バラバラに適当にやった時は絶対にうまくいかなくて、やるべきことをやった時のみ、必然的に出来るということです。何度も書きますが、凄い事だと感動しました。
何でもこれからきっちりと目標を持って、やるべきことをやって目標に向っていきたい、向います。
最後のテストで和子先生に届いたときは、メチャメチャ嬉しかったです。
最後に先生がおっしゃったことが、社会生活のあらゆる真理を表していると思います。
私自身幸い大きな不幸に見舞われたことはありませんが、随分長い間「自分の生き方は、何かが間違っている」と悩み続けていました。
何が足りないのか、何をすべきなのか自分で考え出さねばならないことを、日野先生に出会ったおかげで「問題の本質」と「具体的な解決策」の両方が得られたのは、大げさではなく人生最大の収穫でした。
手の感覚が鈍い。相手の両肩を掴んだら「気持ち悪い」「しっかり掴め」「手の指の感覚しか伝わってこない」と意見を貰ったのもショックです。
相手と真剣に取り組む、向き合う、ということの深さに恐れさえ抱きました。
そもそも、なぜ人と会話をするのか?そして会話の目的、目標は?と、今まで私の中でくすぶり続けてきた疑問を解決するヒントが、このセクションで見つけることが出来ました。
結果ではなくプロセスにこそ価値があり、そのプロセスを互いに共感しあう、または引き出す行為が会話をする、ということだと思いました。
今まで、一方的に喋ることに価値を感じていた、自分の浅はかさに言葉もありません。人と向かい合い、会話し、共感する、という今日一日の内容に、自分の今まで 31 年間、何もして来なかったんだと、思い知らされました。