人間関係が得意になる

 

秋の武禅一の行行会は10月29,30,31日です

 

参加者の声

 「達人入門2」で「武禅」は取り上げられています  ●禅について  

第102回「武禅一の行行会」レポートより(2021年5月1日〜3日)

 

初めて、このページを見る方達へ
ここに掲載されている短いコメントは、受講者のレポートからの抜粋です。
どれもこれも、当人のナマの声です。


今回の受講者の年齢幅は、下は20代前半の大学生から78歳の女性まで、職業もバラバラです。
つまり、「武禅」の場は、すでに社会だということです。
ここで、自分自身が相手に確かに話しているのか?を問うのです。


「関係」というのは、社会的役目のことではありません。
あなた個人、あなた個人が、関わるということです。
そして、その関わるのは、外的な仕事や言葉ではなく、気持ちや精神に働きかける、反応しているという、極めて内的なものです。


気持ちがなければ言葉は届かない、そんなことを体感しながら、「武禅」は進みます。
では、今までどんな人生だったのか?
そんなことを自問自答する場です。
相手への意志が、あるいは気持ちが強くなると、お互いの反応、つまり、関係が言葉ではなく通じ会えることを実感し涙します。


そんな人生を歩きたくありませんか?

人と向かい合う

自分の姿を動画で見る


集団で歌った時は、途中で相手の声を見失ったが、声を目で聴く事に集中する事で、また聞こえるようになった。
最後の合唱では、何故か涙が止まらなくなり、号泣しながら歌っていました。
今までに経験したことの無い、不思議な感覚でした。

 

皆さんのやる気と変化していく様を目の当たりにし、とても大切な事、とても貴重な事、そしてまた次への刺激と課題を頂きました。
最後には一人一人がキラキラと輝き、素晴らしい表情をしてました。

 

声が重なり合う瞬間を初めて体験したかもしれません。
相手と自分の事が溶け込むと、こんなに気持ちが良いのだと実感する事ができました。
皆んなの表情が凄く楽しそうで、私自身も楽しい瞬間でした。
「関係を作る」という事の意味が、少し分かった気がしました。

 

関係が出来た時の気持ち良さ。これを求めてこの先も進む。
関係性は一瞬で生まれ一瞬で終わる。人生と一緒。
私への深いところまで問いかけを出来る様にする。

 

同時に違う歌を歌って合唱するという、初めての体験。
とにかく楽しく感激しました。
これが関係なのだと思う。

 

1対17のピラミッドで、声が届いた時は「パチン」とはまった感じがあり、届いていない時は、声も散漫になり両端の方が手を上げていました。
これが届いていないという事だとわかりました。
しっかり届いて、手を上げて貰った時は、凄く嬉しかったです。
「相手に伝わる・声が届く」という事が、こんなに嬉しい事だったんだと気づく事が出来ました。

 

皆さんが初日より変化しているのを感じました。
これだけ濃い時間を過ごしてきたのだから、当たり前と言えば当たり前ですが、最後の歌の時、それぞれの色んな雑念がなくなり、「今・歌う」一つの事に集中して、歌がハーモニーになっていく過程は、感動の一言で、生命!生きている!と思える瞬間でした。
この為に生きているというか、この一瞬の関係の上に生きている!言葉にすると陳腐になってしまう感動でした。

 

最後、輪になって皆で歌った時は、「8人で歌っている感」を凄く感じて何故か泣けて来た。
メンバー一人一人が凄く大切な存在に思えた。
人に伝わること、関係というものはこんなに素晴らしい事かとまた泣けた。


講座後のレポートを仕上げる

自分の気持を相手に届ける

相手に話しているようには見えない

自分に話してくれていない事を告げる


「セクション1で言われた事」人形みたい、もっと意識が向かってくる筈、弱い感じ、立っているだけ、見ているだけ、ボ〜としている。
今までも、こうやって何も見ていなかったんやなぁと思った。
目的という事が自分にはなかった。

 

2人組での「こんにちは」の時、自分自身がどのようにやっているか、全く他人からどう見えているのか分かりませんでしたが、写真を撮ってみると、どれだけマヌケ顔でやっているかが分かり、客観的に見ることはとても重要だと感じた。
先生から「喉の詰まりをなくすように」とアドバイスを頂いた時は、自分自身が喉に力を入れて声を出しているとは思ってもいなかったので、いかに知らず知らずのうちに見栄や体裁を身に付けてしまっているかを感じ、ハッとしました。

 

方法論よありも、強い気持ち情熱が相手を動かすということが分かりました。
方法論だけに頼ってやって来てしまったので、ここに来て強い気持ちをもって相手に向かうことの大切さを感じます。

 

日野先生の前に立つ。
一回目は静かな感じがした。
その後先生が「相手に向かおうと思うではなく、向かうだけや」とお話して下さって、2回目、怖さを感じた。
自分の中の意識に変化があったのを感じられて、身が引き締まる緊張感が身体を駆け巡った。
私が木刀を持つ側になると、本当に様々な人それぞれの立ち方があり、ほぼ側で見ている印象と同じでした。
スマホで撮って貰った自分の写真を見ると、身が引き締まった緊張感のある身体などそこにはなく、マヌケな姿が写っているだけで「まだ、ここかよ!」と突っ込みを入れたくなった。
でも、これを次へのモチベーションになっている自分がいました。

 

「正面向い合い」自分が思っている感覚と相手に伝える感覚がこんなにも違うんだとビックリしました。
「こっちを見ていない、遠くにいる感じがする」この2つを沢山言われました。
私は見ているのに!と思っても、しっかり見ていないだなぁ〜と、よく分からなくなる瞬間もありました。
頭で色々考えずにフィルターを取っ払って稽古に挑みます。

 

日常会話で、今までどれだけ自分勝手に話、他人の話を聞けていなかったのかと思うとショックだった。課題を一つ発見できた。

 

3人組「こんにちは」では写真を撮って貰った。関係が成り立っていない場や、自分の姿の醜さに悔しくてたまらない!
そんな姿を周りの人は見ているのかと思うと、恥ずかしく思うが、どこかに皆んなと同じじゃ無いかと、逃げ道を探している自分もいる。

 

相手に「声を届ける」この単純な事が出来ない。
このセクションを振り返ってみると、独りよがりになって、相手が不在だったような気がする。

夕食はチキンの梅ソース

相手と気持ちを合わせる

相手を呼んでも振り向かない

感情を爆発させてみると


普段どれだけ、ただ言葉を喋っているだけなんだろうと思いました。
本当にコミュニケーションが取れていないんだろうと痛感しています。

 

目的が何なのか分からなくなり、執着してしまう。
執着しているのが何なのか分からない。
冗談のような今日の状態です。
恥ずかしさと照れが交錯するもどかしさが有る。

 

最後まで「オイ」という声を相手に届かせる事は出来なかった。
人を呼ぶというシンプルな事の筈が、自分が頭でクサクサ考えたり、先入観などがあったりで、こんなにできなくなっているのかと衝撃だった。
シンプルな事を、特別な条件の中(例えばじゃんけん)で出来るのではなく、何時でも出来るようにするには、物凄い集中力が必要だと思った。

 

相手に伝え難く、不快感を抱えたまま続けてしまいました。
最終的に、それを相手に伝えましたが、不快感を感じたその時点で、伝えるべきだったと思います。
「言いづらい・自分が出来ていないから悪いんだ」と、普段から正直に自分の気持を伝えないままいることが多いです。
そうやって自己完結させてしまうことが、関係性を築けない原因だと思います。

 

今まで一番苦労し、長時間かかった。途中「もう無理」という気になったが、とにかく必死にやったら、Nさんが手を上げてくれた。
嬉しさと、終わった安堵で、涙が出そうだった。
何か大きな経験になったと思う。

 

口じゃんけんのように、相手と感情を動かしつつ遊んだ後では「こんにちは」や「おい」が驚くほど伝わりやすくなった。
温かい無邪気な人との交わりが大事だと改めて感じた。

 

色んな人と組んでもブレない自分と、相手に合わせる包容力を身に付けたいと思いました。

 

先生が「自分が」やらないといけない、とおっしゃっていたのを聞いて、仕事も普段も「じぶんが」やってないシーンが多々あるのを感じた。
そういう時は、ボーッとしていてやる気がどんどん奪われもどかしい感じがする。
自分が無い時と同時にある時の事も思い出したが、その時はやる気が湧いて凄く積極的になれる。

 

撮って貰った自分の写真の顔をみたら凄く怖くて、こんな顔で見られたくないと思ったし、組んだ相手の人からも怖いと言われた。
自分にとっての「距離を近づける・伝える」が、他の人からみて「怖い」と思われるものになっている。
このズレが大変な事だと思い、他人から見た自分と、自分が思っている自分は、こんなに差があるものかと痛感した。このズレが普段、人に不快感を与えて居ることは分かった。

 

最初のワークで「遠い、ただ立っている、睨んでいる」等、私の考え感じているものとは、正反対の事を言われる。
これが頭で考えている事の体の緊張だと知った。
要するに、考えすぎてもいけない、でも考えないのも違うという、また難しい事を知った。
何事も何が正しいのかを探しているが、これもまた違うのだと感じた。
「こんちくしょう」の気持ちを忘れずに取り組んでいきたいと思う。

 

「正面向い合い」という事を、ワークで何度もやっている筈ですが、場所を変えると場の空気への動揺や、刀が一振り存在する事で自分自身が大きく変化(悪い方に)するのだという事に気付いた。
やってやろうという気が先走り空回りしてしまった。
自分で木刀を持つと、また感覚が違いさらに人のやりとりを見ると、自分が同じようにやっている事が分かりました。
正面に向かい合う事で、一気に人と人との距離が近づく事を感じたのは一瞬で、何時までも距離が遠いように感じた。
この3日間で、死んでる感覚を少しでも目覚めさせたい、全身で立ちたい!

 

人の仕草はすぐ分かるが、自分のは分からない。
自分の心がバラバラなのに気付く、強さが無い。

 

ピラミッド型に後ろ向きで座って、任意の人に「オイ」を届けるは大変だった。
ずっと座っていると、だんだんと右から聞こえているのか、左から聞こえているのかさえ分からなくなってしまう。
自分自身が声を発する側の時は、点に集中する事をやっているようで、全然やっていない事が分かり、とても凄い体験だった。

真剣だから笑いが出る

生まれて初めての大爆笑


じゃんけんする時の相手は、何をだすのだろう?というワクワク感があるが、会話する時も、本来あるものかもしれないと思った。

 

相手に話す、伝えるとは、私が思っているより遥かに難しく思った。
私の中で伝えるとは、相手を見て言葉を発する事で、響いていると今まで感じていた。
だが振り返ると、伝わらない事が多く有ることを思い出す。
それは、言葉を発する事が目的になっていたからだと気付いた。

 

ナマムギの時、相手がグワっと向かって来てくれると「おっさんやるやん!」と嬉しくて、自分も負けずにブチのめそうと力を出せました。
相手が向かって来てくれるのが本当に原動力になっているのを感じました。

 

細道のワークの時、明確に自分が自分の頭の中に入っていくのを感じる時があった。
相手の方のワークをそのせいで台無しにしている。
もっと真剣にしないと相手の時間を奪ってしまう。
もっと出したい、もっと自分を壊して、もっと食らいつきたい。
誰も自分を追い込んでくれない。
自分で追い込むしかない。

 

流れに乗るのは苦手だ。
私はいつの頃からか、流れに乗るのは良くないと考えていた。
「流されまい」と。人と違う事を個性だと思い込んできた。
スイング運動のワークをやっていて、それが飛んだ見当違いである事を改めて実感した。
自分のやっている事は、場の流れを無視し、人に違和感を与え、自分のどうしようもない思考で頭を一杯にしているだけで、現実の社会の中では、ただ迷惑な存在だ。

 

自分がやっていることと、相手から見えている事に、自分が思っていた以上に大きな隔たりがある事が分かりました。相手と向き合うという、とてもシンプルな事なのに、それさえも出来ていない。
じゃあ普段自分は社会の中で、一体何をしているんだろうと思いました。

 

自然と込み上げる涙、ジーンと来ます。
冒険しないと、新しいことは始まらない。
未経験の出来事がとても楽しく嬉しく思う。

 

ワークの人への感想の伝え方もそうだが、人に話す時は、まずその人に集中する必要があるのと、加えて伝える相手に伝わる言葉で話さなければ伝わらないと分かった。
昔、塾の講師をバイトでやっていたが、人にものを教える時、特に大事だと思った。
後輩を指導する時、必ず注意しようと思う。

 

「その人に届ける」というのが、とても難しかったです。
他の誰もなく「その人に」というのが、自分が普段から知っていて感情が起こる相手に対しては「その人」という対象とまだ絞りやすいのですが、あまり知らない人に対しては余計に難しいと感じました。

 

「ボーッとしている」とか「立っているだけ」というのが多かった。
自分が他人から、こういう風に見えている事に驚いた。
でも、スマホで撮って貰った画像で確認すると、自分でもそう見えた。
自分としては、向かって行ってるつもりだが、相手からはそう見えない。
子供の頃から「何を考えているか分からないと、よく言われていた事を思い出した。

 

自分自身の意識が散漫過ぎて話にならない。
近くにいても遠くにいても同じと言われた。
私がここにいない?そうか頭の中が目の前の人には向いていない雑念だらけだからか。

 

木刀を持った人の前に立った時「自分の世界にいるように感じる、全く別の世界にいる」と言われたように、自分は自分が思っていたよりも、妄想の世界にいるのかもしれません。
写真を撮り自分を見た時、やはり言われたように自分の中だけで完結しているように見えました。
ですが、やっぱり、何をどうしたら出るのか分かりませんでした。


笑う

笑う、それがこころを開く

改めて相手に話しかけるとバツが出た

複数の人に話をすると


自分だけ自分勝手に頑張るのではなく、相手そのもの、現実の相手に向かって集中するようにしなければいけない。

 

「遠くにいる」「人形」「歌う側がかわいそう」と見ている側にいた人に言われました。
自分では、しっかり聞いているつもりでも、相手や見ている人からは、そんな風に見えているのだと反省しました。

 

雑談をしている人を呼ぶ時、全然届かずに蚊帳の外という感じで寂しかった。
普段は普通に会話で来ているけど、本当にあの状態だと思うと生物として問題だと思った。
日常でも、自分のやる事、自分の話す人にギュッと絞り込真なければと思った。

 

人と向き合って立つという事は、日常どんな時にもあり、何も意識したことは無かった。
このワークで本当の向き合いの場に立った。
その時私の頭の中では「どのように立つ?何をしたらいい?何が正しい?」等々で、沢山の思考が頭の中に出てきた。これが相手に嫌な感覚を与える。
そして、フィードバックを貰うと「遠い・ただ立っているだけ・睨んでいるだけ」等、私の考え感じているものとは正反対の事を言われる。
これが頭で考えているから起こる体の緊張だと知った。

 

初めは相手の目を見ることも余り出来ず、すぐに逸らしてしまっていたのに、2日目、3日目は目を見るというよりは、その人をしっかり見るという意識に変わり、そうするとその人(相手)を見ている為、逸らすことも無くなりました。もっともっと、目の前にいる相手を見たいです。

 

自分が相手の前に立つをやった時、刀を持っている側の人から、言い方は違ど「距離が遠い、こちらに何も働きかけて来ない」というような事を皆んなから言われた。
それは普段の私そのもので、人との距離が遠くて傍観している感じが、仕事でも初対面の人との会話でも有ると思った。
相手にとりあえず向かおうと思い臨んだら、おっかなびっくりではあるが、こちらに来ているのは分かるとコメントを貰えた。
自分の写真を見てみたら、頭だけ前に出て行っている感じだが、腰が引けていて気持ち悪かった。
自分の頭でっかちさがここまでとは思っていなかった。

 

「おい!」の声掛けでは、全然相手に届かず、「なまむぎ」の3人でやった後でも、まだまだ声が届かず、自分自身いかに省エネで生きているのかが感じさせられた。
人それぞれ組替えてやる事で、人によっては私の化けの皮を剥がされたり、皮を剥いでいく姿を見る事は最高に面白かった。
バレエでは、こんな稽古をやらないので、とても重要な事だから生徒達に人と組む稽古を取り入れたいと改めて思いました。

 

組んだ人からのコメントは「遠い感じ、いないような感じ、覗いているような感じ、強張りすぎ」等々だった。
言われた度に違う工夫をしようとしたが、かえって変になって、向かい合っていない方向に行っている気がした。組んだ人から、私と向かい合うと笑ってしまうとも言われた。
「しようとしているから、全然的外れな事をやっているから」では無いかと話になったが、問題はハッキリしない。

 

1対1で、こんなにも相手に自分の声が届いていないことにビックリしました。
普段のコミュニケーションがどれだけ薄っぺらいコミュニケーションだったんだと感じました。
「オイ」と2言、こんな短い単語が伝わらないんだと、必死に呼んだつもりが、呼べてなかったのかとなりました。

 

昨日懇親会で先生に「この人にアドバイスを」と言われた時に、振り返ると自分は全然その人に話していなかったと思った。
ただ自分の解釈を言った(出した)だけで、その人に話すにはなっていなかった。
普段の会話も、これだけの集中力やエネルギーで話さないと人に伝わらないのかと思ったのと、凄く私は自分勝手だと思い恥ずかしくなった。

 

場の流れに乗ると万事うまく運ぶという話を聞いたが、自分は、自分がしたい、して欲しいというように、物事や他人を解釈したり、動かそうとしている事に気付いた。
相手や他人、物事の流れに身を置くということを、もっと意識しなければならない。

 

3人で組んで歌う・聴くジャッジを繰り返していると、最初は新鮮に取り組めていた事が、だんだんと記憶のルーティンになっていって、3人の暗黙の了解になってしまっている事に気付かないといけないと感じた。
歌を届ける人数が増えていく、そして、それを出来るのかと迷いが先に来た。
だけど、一緒にやってくれる皆んなが集中してくれたので、最後まで歌う事ができた。

 

17人の前に立っただけで緊張している自分がいた。
でもここでそれに挑戦できたおかげで、多人数の前に立った時「やったろう」という度胸を持てそうである。
「よろしくお願いします」に「よろしくお願いします」を返してくれた、それだけで嬉しかった。

 

自分は目の前にいる人、空間全て人ごとのように捉えている。
このボケさ加減は、いい加減にやばい。
もっとやばいのは、「やばい」という感じも、どこか人ごと、他人事に思っている事だ。
芯のボケを何とかしたい。

 

目の前の事に囚われて、本当の目的を見失っていた気がする。
全く出来ない自分が情けない。
必死になればなるほどドツボにハマる感じがする。


複数に飽きられないのは難しい

複数の数がドンドン増える

全員に話す

全員に話す2

任意の人が手を上げてくれたら交代

特製カレーライス
スイーツはみつ豆


●武禅レポート1(48〜52回)

●武禅レポート2(53〜61回)

●武禅レポート3(62〜66回)

●武禅レポート4(67〜73回)

●武禅レポート5(74〜79回)

●武禅レポート6(80〜89回)

●武禅レポート7(90〜100回)

●武禅レポート8(101〜 )




●お問い合わせ

●日野武道研究所サイトマップ/English

武禅一の行
・ 武禅で何をするの
・ 行会案内
・ 参加者のレポートから
・ 武禅の一日

武道塾
・ 武の存在意味
・ 武道に極意なし
・ 武道的対人論
・ 合宿レポート
・ 教室 
・合気道研究

●海外での指導

身体塾
・ 骨格で考えよう
・ 身体を連動させる
・ 身体の法則性
・ 身体の学び方
・ 表現者へ
●海外での指導

●武道を学校に導入?
●稽古と意識
●ギエムという芸術
●文楽は武道だ
●胸骨トレーニング
●メンタルトレーニング?
●トレーニングとは?
●稽古と学ぶ
●故伊藤先生のこと
フォーサイスカンパニーでの一週間

●練習の仕方

●過去のワークショップ一覧


・日野晃の著作物/DVD他

・メディアでの紹介

・予定表

・ブログ(毎日更新)

・グッズ・本やDVD・Tシャツ販売

・リンク

・過去の更新履歴

・お問い合わせ

 

アクセスカウンター