ここ数年、参加者に一つの特徴が見える。というよりも、年々増加傾向にあることが、今回は如実に現れたというだけだ。
それは、一つのテーマに取り組んで、成功しても成功させた自分に感動しないことだ。
自分自身に対して何とも無味乾燥なことか。
かなり難しいハードルなのに、そして、難しいハードルだから苦心したり、恥ずかしいと思ったり、情けないと思ったり、ナニクソ!と思ったりしているはずなのに、それをクリアした喜びがまるでない。
これは、本当に理解できない。言葉としては、自分をどうにかしたい、とか、成長させたいとか発している人たちなのだが、実際にそういう要素を含んだテーマ、つまり、今までの自分では、そう易々とクリアできないテーマをクリアしても、感動がない。
それは、本当に信じがたいことだ。しかし、実際に今回参加した 13 人の人たちには、それが無かった。もちろん、本当は少しはあった筈なのだが、そのことよりももっと他のことに注意が向き、自分自身が自力でクリアしたことには、関心が薄いのだろう。
つまり、実際の作業、実際の行動よりも、頭の中の作業の方を優先しているということだ。
頭の作業は、実際の作業や行動によって作られたり、それらを整理するためにある。
それの逆転現象を起こしているとも言えるし、実際と頭の中とが遊離しているとも言える。
この奇妙な現実を引き摺って生きているのだから、血の通わない自分が出来上がっても無理は無い。
つまり、目の前にいる人に対して働きかけたり、働きかけられたりが出来るはずもないということだ。
それは、セクションの途中で行うゲームによく現れている。ゲームに熱中できないのだ。
子供のような必死さ、無邪気さは見当たらない。
「大人だから」という言い訳の言葉は持っているだろう。
しかし、現実は全てこのゲームの複雑系なだけだ。
つまり、本気で向かわなければ、何一つ自分の血や肉にならないのだ。
その一端でも掴んでくれたかな、と思ったのが、今回の「武禅」だった。
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私が木刀を持ったときは、相手がただ見ているだけ、遠い感じと言われたことが良く分かった。私も相手から見たとき、こんな感じにしか見えないと考えたら、さびしい気持ちになりました。
真ん中で感じる向かい合いでは、相手を正面に向かい会えて気持ちがよく、嬉しい感じがしました。日常であのような向かい合いはしたことがなかったのですが、「これって当たり前のこと」で、それが全く出来ていないと感じました。
何度か「武禅」に来ている人は、初めての人と全く違う。
深く関係してないとか、弱いとかはあっても、少なくとも関わっていこうとする姿勢がある。
しかし、初めての人は、ただ一人で立っている、眺めている。
こんなにもはっきり違うんだと改めて感じましたが、はたして私はどうなのだろうと考えたとき、恥ずかしいきもちになりました。
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S さんのグループで、 F さんが全員のサポートを受けて歌っていた姿には感動した。
あの「ナマムギ」の時にも出なかった声が前に出て、本当に一生懸命歌っていた。
その姿を見て私のグループ全員感動に涙していた。
木刀と向き合ったとき、私は「ここ」に居るのに、いないいないと言われ続けたのが、無茶苦茶に悔しかった。
私はここに居るのに(いると思っているのに)、相手にその存在が伝わらない、こんなに悔しいことは無いと思った。
私はなぜ悔しいのかと言うと、私の考えていることが、相手に否定されたり、認めて貰えなかったりしたからだと思う。
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聞いているような人、話しているような人、「〜のような」が、普段の生活には溢れていると思った。
IT が進むことで「会話のような」ことをメールや電話やチャットなどで出来るようになった。
便利な反面、文字という表面のものでしかなく、それは本当に相手が読んでいるのかも、読んで貰う為に書いたものなのかも定かではない。
便利なもののせいで、一人は一人になる時間が減ってしまい、一人ではないことの本当の意味さえも考えたり、気付くことも出来ない。
ケータイの電源も切って、一人の時間を持たなければと思った。
そうすれば、改めて相手のいる幸せ、伝える価値を知る事が出来ると思った。
日常こんなに相手の目をみることもなく、ただなんとなくそれっぽい言葉を発し、相手が聞いているのかいないのかも分からず、知ったような口を聞く自分に気持ち悪くなった。
しかも口だけで行動しない。
話す、聞くで「こんにちは」が伝わるところを横から見ているだけで、なぜか涙が出てきました。
なぜなのかは、あまり良く分からなかったのですが、感動したのだと思います。
正面が合っているかどうか以前に、受けようとしてくれる人の表情の気持ち良さと、受ける気の無い人の嫌な感じで、こちらの行動が変わってくるのはどうしても仕方がない事。
組んだ相手の言い訳を聞きながら自分の姿が見えてきて、いたたまれない気持ちでした。
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何かが少し出来たときに「出来たね」と判断してくれるのは相手であり、相手が「いいよ」と笑顔で言ってくれることが嬉しく感じる。
自分が「出来たでしょう」と感じたとき、たいがい相手の反応は「ダメ」でした。
相手が何なのか?というところが、少し分かってきているのかもしれません。
何よりも嬉しかったのは、朝、分厚いガラスの向こうで、いくら「こんにちは」を伝えても冷たい眼で、他人事のようにしか見ることの出来なかった人が、まっすぐな目でこちらを見て、満面の笑顔をしていたということ「他人と関係するとは、こういうことかと分かったような気がします」と言われて、とても嬉しくなった。
不快な人がいるのではなく、不快なことをする人がいるのだと、考え方を改めなければならないと思った。
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先生のお話を伺っている時に、泣きそうになったことが何度もあり、自分は一体何をやっているのか、見つめなおさなければいけないと感じた。
自分は通用しないという思いを忘れずに、今をもっと思い切って生きる。
自分が思っている自分と、他人が見ている自分は全然違うことがハッキリ分かった。
だから、自分を見つめなおさなければならない。
声を出し続けていた時、とても嬉しくて、思えば泣く寸前だった。
声が出たからか、繋がることを感じたからか、でも続けていたら確実に大泣きしていた。
しかし、今のスッキリ感は、泣いた後みたいだ。こんな風に言葉を交わすことが出来たら、さらに皆を大好きになりそうだ。
他人に、自分の気持ちを伝え、他人の気持ちをちゃんと受け止められるようになるには、日々の生活にかかっている。
他人への気配り、他人への感謝、姿勢、目、表情、これらが真剣に生きていくということに繋がっていくと感じた。
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まずは、気持ちよく挨拶、礼儀をもう一度徹底してやります。
もう少々の辛口なことなど言われても、全然平気になりました。
失敗は怖くない、どんどんしたほうが良いということがすごく良く分かりました。
正面向かい合いの時の感覚に戻って、互いに届くようになってきたと思っていたのに、他の人にジャッジをしてもらうと、全員に「届いていません」と言われたのはとても意外だった。
関係の中ででも、中に入り込むというのは、こんなにも客観的に見えなくなるものかと驚いた。
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愛想の良いだけの、調子のいい女性ではいけないと思った。
「本気で笑え」と言ってもらった。確かに私が笑うのは自己防衛なのだ。
全部見透かされる。
芯のある、芯から人と関われる女性になろうと思った。
本当に私と真正面から関わろうとしてくださっていた。
だからこそ、稽古でもそれ以外の場でも、私のダメなところをハッキリと指摘してくださった。
真剣に私と関わってくれる人と、もっと関わりたいと思った。
私自身もこれから沢山の人と会うが、「武禅」に参加していた皆さんのように、真剣に真正面から向き合い、関わっていかなければならないと思った。
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相手の身体を触っただけで、思ったことが伝わるんだと思いました。
不安な時は不安感、安心している時は安心感など。
身体は正直で繊細なセンサーが付いているので、ごまかしがきかない。
常に心に迷いがないように「ハッキリ」と決ることが重要ですし、大げさかもしれませんが、今まで生きてきた人生があらわれるようなものだと思いました。
素直に答えていけば自然と一緒に動くことが出来る。
素直に返して貰うために、より的確で迷いの無い、でも自己主張をしない指示が必要だと思う。
指示というよりも溶け合っていくチョコレートの様な、自分と影との関係のような一体感がある。
自分が受け取る側の時、受け取る準備が全く出来ていないのは、今までの人生がそういう姿勢だったからだと思います。
悪い意味での個人主義を押し通してきた結果だと思います。
そして、それを押し通せてきてしまえた今の時代。
まさに「自分の好きなことをやれ」といわれて育ってきた人間の見本ではないかと思います。
これからは「自分の嫌いなこと」を敢えてやってみようと思います。
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一人が全員の背後から誰かに向かって「おい!」と言うのは、円形以上に「自分かな?」と気を張って自分の後ろ側に気を配った。
向かい合いとは違い、何も見ずに相手の気持ち、声を感じ受け取るのはこんなに難しいとは知らなかった。
どれだけ「そんな格好」ばかりしてきたかと思うと、恥ずかしくてたまらない。
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届けようとしても、受け取ろうとしても、相手から何も感じられない時、どうすれば、どうしてあげれば良いのか分からない。
きっと人だと気付いていないと思う。
通じ合おうとしていない。
だんだん腹が立ってきて、「何も伝える気が無いんやったら、始めからこっち見んなー!」と思いました。
それでも、こっちが受け取ろうとしないと、すぐ諦めてしまうし、もっともっとという気になってほしい。
妄想によって人間関係を難しいものにしているのを分かっていても振り払えない。
身体も心も自分のものでありながら、思い通りに動かせないのがもどかしい。
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