昔からの自分を考えてみると、あいてに興味があっても好奇心のある目でみているだけで、その人に話しかけることが出来ませんでした。
「変なことを聞いてしまうのでは」「嫌がられたらどうしよう」と勝手に思ってしまって恐がり、前に進めませんでした。
今は、人に何か興味をもって聞いてみたいと思ったり、知りたいと思ったらすぐに言葉を出してみようと思います。
視線を感じることをやっていない、という駄目だし。舞台役者なのにそんなこともやれていない自分に驚くというより、笑いがこみ上げてくる。言われたことは凄くよく分かった。
つまり、普段舞台でやっているつもりだった。でも、こんな稽古としてやってみると何も出来ていないことが明白。視線を捉えようとすると、正面の相手との関係は薄くなる。
一度ビタッと相手とコネクトしてしまうと、本当に自然に「好き」という感情が湧いてくる。
一生懸命すればする程、相手を感じるほど、自分はなくなっていく、という事を身体で感じましたが、すごく不思議な感覚でした。
今まで、力むことが一生懸命していることだと思っていましたが、それは違うんだと気付きました。
握手をする、では自分なりに発見があった。相手と自分との関係でごまかしか?これでOK?とやっている間に鈍っていた感覚に、先生の自然さと、他の人との異和感、不自然さの違いに気付いたことだ。
そして、それは先生はただ握手をしようとしている。
他の人は握手をするとは何ぞや?手を出すタイミング?相手に入り込む?正面に立つetc.と色んな手段を使っていて、結局何がしたいのかがストレートに伝わってこないのだ!何で?課題は握手をするなのに、握手しようと相手に手を出していないなんて……。
それでも気付いたのは、そうやって色々な手段を使ったから分かったことで、そんな過程があったから、そういうものはいらないのだと知ることが出来た。
そのための「武禅」だった。
意識を動かしていくことこの稽古、このことをダンスに繋げたい。東京武禅ですでに経験していた刀との向かい合い。なぜこの稽古をもっと早くからダンスに、表現につなげなかったのか。本当に恐竜だ。和歌山に来て良かった!頭で分かったような気になってしまうことの恐ろしさも感じる。
とにかく私に足りないのは、感じたことを相手に伝える言葉で話すこと。32年も使ってきた日本語がおぼつかない。それはもしかしたら本当には感じていないということなのか?
相手の声がこちらに届いた時の気分の良さは、言葉にならないくらいワクワクと楽しい。