目次
一ページ 二ページ 三ページ 四ページ
道場建築開始 現地乗り込み
地鎮祭1984-5-20  
材料の買い付け
材料が搬入された
本格作業へ
上棟式
屋根材を決める

初めての運動会
垂木の釘打ちと武道の奥義
電柱搬入
三階の屋根から

 

7月26日、いよいよ材木の加工が始まった。地元の大工さん4人に指導してもらいながらの作業。栗栖川の作業現場
大工さんは、我々の不器用さにぶち切れの連続。
「しやないやん、俺等全員素人やで」
本格的な作業が始まり、我々だけではどうにも人数が足らないので情報誌に求人広告を出した。ベースの吉沢さんは時々演奏旅行に出かけるので、二人は抜けてしまう。もちろん、私もお金を稼ぎに出ていく。そこで当時の日刊アルバイト情報に、
「給料無し、三食付き。ログハウス建設に興味ある若い人求む」
と出して見た。誰もボランティアで来るわけ無い、と思っていたら、何の何の、高校生から元暴走族まで7,8人がやってきた。「おもろいやんけ」ついでに、そこの記者が俺たちの計画が面白い、という事で、翌年には情報誌で特集まで組んでくれた。

本格的な作業に入る少し前の7月14日には、設立メンバーであり発起人第一号のIさんが自分の仕事に戻っていった。Iさんが残した土産は、私の身体に溶解するまでには相当の時間が必要だった。
ここに珍客が舞い込んだ。話せば長くなるので書かないが、ある高名な宗教家が家を売り払い私を追って来たのだ。
7月31日、ボランティアの第一号は若い夫婦だ。
続いて8月1日、元暴走族が3人。取りあえず、これで作業のピッチは上がる。
丸太に墨付け、ノミでほぞ切り、電気カンナで丸太の表面仕上げ、チェーンソーで継ぎ手をアールにカット。大工さんの指導は的確だ。何をすればよいのか、どの程度の仕上がりでよいのか、頭の中に建物が描けているからだ。我々は何も分からない。分からないから聞けばよいのだが、聞いている間に作業をした方が効率がよいので、流れを止めるような事はできない。
炎天下、作業が続く。メンバーに女性も加わって来たので、本格的に農作業も開始する。道場建設に当たって、内弟子夫婦に四国に住む福岡正信さん(自然農法の生みの親)に指示を仰ぐが、
「日本人には教えない」
と断られる。今まで福岡さんを訪ねてきた日本人には、よほど落胆したのだろう。この頃は自然農法や、作物栽培の為のユニークな取り組みを探した時期だ。しかし、一口に野菜といっても、おいしいものを作ろうとすると、並々ならぬ手間がいる事を知り諦める。
その頃から、近所に住む、といってもバイクで10分程の距離にある小さな集落の人が、旬の野菜やお米を差し入れてくれるようになった。これは、集落に住む年寄りの人達の腰痛や膝関節痛などの治療を、現物引き替えで行ったからだ。思い出せば、集落の殆どの人達を診たのではないかと思う。
とにかくお金を全部建築費に回さなければならないから、切りつめられるものは全て切りつめた。例えば、主食はほとんどがパンのミミだ。油で揚げたり、焼いたり、乾燥させたり、と様々な工夫で毎食パンの炎天下の作業ミミだった。
子供を連れてパン屋へ「すみません、パンのミミありませんか」これは、子供の教育上非常に効果がある。お金の値打ちも、人の人情も体験できるからだ。あるパン屋さんは、一斗袋に一杯くれて10円だったり、ただで沢山もらったり、何のこっちゃ、ただで暮らす事が出来るやんけ。
水道代はただ(山の谷からパイプで引っ張ってきている)、風呂代はただ(間伐材を薪にする)、さすがに電話代や電気代はどうにもならないが。まあ、それにしても例えば9人で生活しても、5万円もあれば充分だ。
作業場での材料加工が終わりいよいよ現場での組み立てだ。
(丸太の上に立っている人が指導する大工さん)     

 


8月19日午前8時30分
。指導してくれている大工さんが、助っ人5人を連れて現場に到着した。5トンク2本と梁レーン車2台チャーターし、10メートルの大黒柱6本を道場中央部に運び込む。まず、その大黒柱を2本つり上げ、別のクレーンでその梁を吊る。2本の大黒柱を基礎に据え付け、梁を渡しボルトで締め込む。その作業の繰り返しだが、あまりの長さと重さのため以外と作業が難航する。
こればかりは、人数がいくらいてもどうにもならない。何しろ、足場丸太も何一つ組まずに、いきなり柱を立てるという無謀な事をしているのだから機械に頼るほかはない。クレーンを誘導する人、柱に捕まりクレーンに引き上げて貰いながら、梁を引き寄せる人、それ以外には全く必要がない。皆は高見の見物を決め込むしかない。
その昔、奈良の五重の塔や大仏殿など、驚異的な木造建築はどれほどの人数で、どんな仕掛けを作って作り上げたのか、想像した時、余りにも壮大な時間と手間3本建てるには驚くほかはない。
もちろん、今建てている道場など、そこから比べれば何十分の一なのだが、護摩壇山から切り出してきた一抱えもある杉を見ていると時間がタイムスリップする。
夕方5時30分、やっと大黒柱3本目を立て作業終了。
8月20日午前8時30分、ばかでかい20トンクレーン車が到着、これがないと棟を上げる事は出来ない。大黒柱が10メートルで、その上に小屋組みを乗せたら12メートル50にもなるからだ。大黒柱と梁を接続するボルトは、鉄工所の人がその場で別注でこしらえる。何と贅沢な事。しかし、大黒柱の直径50センチを貫くボルトは既製品ではないので仕方がない。
大黒柱は六角形に6本立ち、梁が2本ずつ通った。その一番上の梁に電柱材を乗せ足場を作り、上棟式に備えた。しかし、いくら六角形でも不安定なので、ワイヤーで仮止めをする。
この調子で行けば、明日には上棟式だったのだが、天は気まぐれだ。21,22日と雨が降り上棟式は23日に六角形に組み上がる伸びてしまった。上棟式で準備するものを大工さんに教えて貰い、この雨の間に買いに行く。上棟式に出席して貰う人達の人選、お酒の用意。もちろん、このお酒は樽だ。
8月23日棟上げは夕方の4時30分までかかった。西側の山の尾根が夕日で輝いていた。地主さん、大工さん、基礎工事をしてくれた業者の人達、仮住まいを提供してくれている家主さん、何故か町会議員さん、総勢19名の上棟式が始まったのは7時からだ。飲めや歌えやのドンチャン騒ぎで、とにかくお開きは9時。我々はそのまま何時まで飲んだのかまるっきり覚えていないほど飲んで騒いだ。
上棟式の準備当然、明くる日は二日酔いで作業中止。
棟上げが終わったが、ここからが10年の悪戦苦闘の始まりである。
ここまでは、何とか大工さんの指導でこぎ着けたが、この先は「暗闇を手探りで歩くようなもの、誰にも分かりはしないさ ケサラ ケサラ ケサラ」だ。
「木造建築の建て方」「ログハウスの作り方」「ウッディライフ」等々とにかく本を集めた。しかし、しかし、根本的には、ここから先の材料も建て方も何一つ決まっていないのだ。
さあ、どうするんや!日野晃

 

屋根材を決める

8月25日10トントラックで満杯垂木が搬入された。カンナで仕上げなあかんけど、能率があがらん。
当初、間伐材を使って建てようと思っていたが、その間伐材というものを初めてみて「こらあかんわ」と思った。間伐材は、大きくなる木を育てるために間引くきだから当然細い、だから、間伐材で板を作ったり柱に使うのは無理なのだ。間伐材の利用は、下見にきた時地元の人たちから聞いた話で、もしも本当にこちらにきて住むのなら皆手伝ってくれるとのことだったから、材料として考えていたものだ。
しかし、その間伐材を切り出したり、買ったとしても一本千円もしたら、この道場を建てるのにどれほどの金額がいるのか見当がつかない。しかし、建設をここで止めるわけにはいかない。ここで止めたら、折角上棟した大きな木を腐らせてしまう。
とにかく屋根だけでも仕上げてしまう、その他のことはそれから考える。方針は決まった。では、屋根材や。瓦で葺くと一坪一万円だそうだ。とすると、単純に床面積は百坪だから百万円以上する。「あかん、何で屋根にそんなようけお金をかけなあかんねん、やめややめや」
屋根を葺こうと思ったら、梁に垂木を乗せる、その上に野地板、防水材、その上に屋根材が普通や。ということは、垂木や野地板、防水材が要る。そやから、ここで屋根だけにお金を使うわけにはいかない。
ここからが本当の意味での独力での建設になる。建築や建築材料に関して右も左も分からないんやから。まずは、建材屋探しや。右も左も分からないから岸和田の材木屋さんに紹介してもらうことにした。屋根材屋さんで紹介してもらった商社は今でも付き合いがある。商社に出向いて、お金のないこと、自分たちで建てていることを説明し、出来るだけ安価な材料を探してもらった。もちろん、建てる人間が素人ばかりやから、施工のしやすいものでなければいけない。見つけてもらったのが「アスファルトシングル」という材料で、カッターナイフで簡単に加工できるものだった。喫茶店の屋根や、店の屋根によく使われている色々な色があるものや。
9センチ角で4メートルの長さの材料を垂木に使うことにした。野地板は間伐材を加工して180センチの30センチの板に仕上げたものがあった。
「9-10 垂木を搬入、カンナで仕上げる」
ここで、大工さんが提案してきた。ここまで立派なものを建てるんやから、六角の隅に使う垂木はお寺や神社のように、少し上にそりが入っているのがよいと。そらそうや、しかしそんな垂木はどこにもない。適度にそりの入った木を探さなあかん、ということや。この隅木が見つかるまで屋根は完成しないということになってしまった。
「ええい、とことん贅沢してしまえ!」岸和田の材木屋さんにその旨を告げ、時間がかかってもよいから適度なそりの入った木を探してもらうことにした。
1984-9-30村の運動会 子供は小学一年生。都会の人間のパワーを一丁見せつけてやろうやないか。

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初めての運動会

9月30日
子供の通う小学校は中学校とくっついている。運動会も一緒にする。もっと驚いたのは、地区の運動会も兼ねていることだ。
私が小学生の時は、一クラス64〜8人位で10クラスあった。その私の学年が六年生になったとき、五年生も四年生も同じくらいの人数がいたから、近くにあった分校に分かれて授業をした。 それでも休み時間のチャイムが鳴ると、校舎からまるで蟻の子が這い出してきたように運動場は一杯になり、地面が見えなくなるほどだった。当然、運動会は学校の校庭では出来ないから、近くのグランドですることになる。当時は、かなり荒っぽいプログラムもあり、子供心の闘争心に火をつけられた。
それに比べると、今の運動会はお遊戯会の様相を呈している。「競争」「競技」という競い合いそのものが磨りガラスのようにボケてしまって、まるで大人のためのペット品評会だ。

運動会のプログラムを見ると一般参加の競争がやたらとあり、それこそ地区対抗の様相を呈していた。我々は人数が揃っていたので日野武道研究所チームだ。本来は野中上地地区なのだそうだが、中辺路町も都会と変わらず高齢化、過疎化が進んでいるのでお年寄りが多い。特に上地地区は若い者が数えるほどしかいない。でも、賑やかしの為に単独チームが良いとの裁量で、急遽独立チームになった。
ということは、全種目出場しなければならない。「やったろやんけ!」 何でもやるんやったら一番を目指す、それがうちのポリシーや。

まずは、障害物リレーだ、はしごをくぐり、投網の端々を押さえられている中くぐり、平均台、タイや抜け、跳び箱等々だ。5人で一チームなので、順番を考えた。同時に攻略法を考える。はしごは足から飛び込む方が早いだろうし、跳び箱は跳ぶより走る勢いで駆け抜ける方が有利だ。一番手は内弟子の中で若くて一番すばしっこいマッシュだ。俺は、単独の走りは大の苦手だが、こういった障害物が途中にあるのは得意だ。
中学の頃新聞配達をしていたから、運動会で400メートル競走に出された事がある。何とかなるだろうと思っていたが、結局はケツ2だった。なん

手前の力走が兄ちゃん

とかビリは逃れたものの、出場した選手の殆どが陸上部の連中だったため、どうにもこうにもならなかった。という経験から「走りは駄目」と自分の中で決定している。
案の定一番手のマッシュがリードを広げて二番手にバトンを渡した。二番手は走りの得意な女性だったが、障害物に対するセンスが悪く並ばれてし

まったところで、俺にタッチ。俺ははしごを一瞬でクリアし、跳び箱へ。跳び箱は元体操の選手やから、かっこよく前転をして余裕を見せ大受け。次は平均台、というところで一番だ。最後の投網へトップで飛び込んだのに、上から普通以上に押さえ込まれた。アホか、ここでもヨソ者は差別を受ける。それでも頭が地面にこすれながらトップで躍り出てバトンタッチ。4番手もそのままトップをキープ。ラストは通称兄ちゃんだ。
兄ちゃんは鈍くさいのかすばしこいのか、一寸分からなかったからラストに回したのが間違いだった。どんどん追いつかれ、ゴール間近まで接戦になってしまった。「こらー、負けたら飯抜きや!」とエールを送ったが大阪の人間だけに落ちが付いた。ゴールの寸前で転倒、結局2位になってしまった。

大人達は全員熱くなって本気で走り転び笑った。文句なく楽しい。にもかかわらず、どうしてこのエネルギーの源を子供達に伝えないのか。どうして、もぎ取る側に進んでいくのか。矯正された犬や猫のような子供を作って何がうれしいのか。
運動会は滞りなく終わり、我々日野武道研究所チームは堂々の総合2位の座を獲得した。

野地板の材料を検討したが、間伐材を利用した集成材が良いという事になった。早く屋根を仕上げないと、垂木や大黒柱が腐ってしまう。冬が来るまでに屋根だけはふきあげよう。

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垂木の釘打ちと武道の奥義

10月3日集成材が4トン車に満載で現場に着いた。
ここからは一気に防水材(ルーフィング)まで張り終わらなければならない。でないと、折角の野地板が雨でわやくちゃになる。が、が、が、しかし、隅木がまだ見つかっていない。ということは、野地板は部分的にしか張れない。現場というものはこんなものや。

しかし、垂木を打ち付ける作業にはまいった。12メートル50の屋根に、9センチ角4メートルの松や米とがの木を30センチ幅に打ち付けるんや。もちろん、命綱なんかなし。直径30センチくらいの丸太の上を歩くしかない。まるで宮本武蔵の畳の上なら一尺幅でもあるけるだろうが、千尋の谷にかかる一尺幅の板の上を歩けるのか、だ。
垂木を途中の9メートルの処まで滑車を使って上げる。これも一苦労や。滑車を3個組み合わせ、片方のロープの端を軽トラックにくくり、もう片側を垂木を束ねてくくる。合図で軽トラを動かし9メートルのところに設置した足場に垂木を乗せる。この繰り返しや。
12メートルの高さの丸太に乗った時、ほんまに足がすくんで動かない。多分下がハッキリ見えるからや。しばらく、丸太の上に座ったままや。目線を水平以上にしたら気持ちが落ち着いてきた。それを見計らって、気合い一発、よっしゃいこか!垂木を綱渡りのバランス棒のように横に持ち、丸太の上を歩く。風邪が強く、バランスを崩されるが無視。ただ水平以上を見ながらさっさと歩く。
傾斜のきつい屋根の骨組みの上に垂木を乗せ、寸法を測り切断、釘打ち。ここでの釘打ちは、突きや刀の振り下ろしの重要なヒントを体得した。五寸釘(15センチ)の釘を垂木の上から丸太に打ち込むのはことのほか難しい。手に力が入っていたら釘は曲がり垂木に入っていかない。最初は力が弱いのでは、と力任せに打ち付けていたが、釘は思うように打ち込めないばかりか、腕が疲れるだけだった。よく考えてみると、そんな不合理なことを大工さんがしているはずもない。
そこで、手の力を抜き、金槌を落とすとうことを心がけた。金槌の頭の重さだけで、その頭を釘の頭に乗せるようにするのだ。すると面白いように釘は垂木に吸い込まれる。
何でも一緒や。力任せ、こちらの気持ち任せは釘にも通用しない。200本ほど垂木を打ち込んだら、その要領が染みついた。やっぱりポイントは「体重の移動」や。金槌の頭の重さの移動だけや。するとポイントはその運動線がまっすぐかどうかにかかる。しかし、その運動線の正確さは、金槌の頭の重さに任せれば絶対に垂直に落ちる。簡単な理屈や。この通り身体を動かせばいい。すると、力は相手に伝わるんや。かくて、五寸釘打ちで会得した「体重の移動」武道の奥義や。
結果、手先の力の抜けは「肘の抜け」。ほんまに何でも同じや、つまり、いつでもどこでも稽古は出来るいうこっちゃ。
野地板張りは続く。しかし、垂木の上を歩くのは、丸太の上を歩くのとは違い楽勝や。しかし、面積が広いのでどうしようもなく時間がかかる。ただひたすら並べて打つ、その繰り返し。修行修行。

10月24日待望の隅木にする木が見つかり搬入されてきた。総出で皮をむき大工さんが製材所へ。大工さんの仕事の都合で、隅木の取り付けは12月位になるとのこと。
この時点でまだ外壁材が決まっていない。「なんとかなるで」と俺のおきまりのセリフ。何の根拠もないけどなんとかなると思えるのは何でや??皆は、俺の自信に満ちた「なんとかなる」を信じるしかない。そんなとき、外壁材に適当な材料があると材木屋から電話が来た。中国電力に使い古された電柱材がある、ということやった。その知らせを聞いてすぐさま中国電力に電話。「もしもし、電柱の古材があると聞いたのですが」「はい沢山ありますよ」「それを分けて頂きたいのですが」「そうですね、一本あたり千円くらいでいかがでしょうか」「えっ、千円もするんですか……、一寸どれだけの数がいるのか検討がつかないので……、それならいりませんわ」「えっ、いらないのですか?」「はい、結構です、それではどうも」ガチャン。
何を考えとるんや、廃材に金を取る、舐めとんで。
と、中国電力にある廃材を断ってしまった。「まあ、なんとかなるで」

11月27日軽自動車が崖から転落。俺が仕事で家を空けている時、私の子供のバス停まで送迎をしてくれていた青年が、居眠り運転でガードレールを突き抜けて30メートルの崖下に転落してしまった。子供は落ちる途中で、フロントガラスを突き破り外に投げ出された。運転手はそのまま崖下まで。救急車が来て大騒ぎだったそうだ。しかも、運転手は仮免中。
仕事場に電話があったが抜けることが出来なかった。しかし事故は奇跡的に運転手の肩関節脱臼と、子供は打撲と額を少し切っただけに終わった。人生色々なことが起こるで。
そういえば、こちらに越してきてまもなくの頃、正月料理の時料理を盛りつけるお皿代わりに竹を使おうと、竹を切りに山に入った。足場がもろくて結構危険な斜面というか崖を降りていた。その崖の中腹にある木を切っていた時、俺は足に力が入りすぎ、崖を滑り落ちた。同時に、崖の上から「あかん!!」と声がしたかと思うと、子供が悲鳴を上げながら頭から下に落ちてきた。おれは滑り落ちながら子供を見上げ、手を伸ばして抱きかかえた。そうしながら、どの体勢をとったら転落せずにしかも子供に怪我をさせないかを考えた。俺は崖を背に滑り落ち、子供を片手で腹の上に抱え、もう片方の手で崖に生えている木を手当たり次第に掴み、落ちる速度を落とした。崖の下には大きな岩が見えていたので、それに衝突したら大けがや。
この間わずか数秒。間一髪!崖下の岩の手前で止まって、擦り傷だけで終わった事があった。
子供は泣き叫びそうになっていたので、俺は大笑いし、崖の上の仲間も大笑い、それにつられて子供も大笑い。これは面白いことやったんや。

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