目次
一ページ 二ページ 三ページ 四ページ
道場建築開始 現地乗り込み
地鎮祭1984-5-20  
材料の買い付け
材料が搬入された
本格作業へ
上棟式
屋根材を決める
初めての運動会
垂木の釘打ちと武道の奥義
電柱搬入
三階の屋根から
天窓作り
二階の屋根

12月2日 大工さんが来て隅木取り付けの打ち合わせ。
ここまで、構造材は出来上がってきたが、外壁になる材料も工法も決まっていなかった。以前、中国電力に電柱の古材が余っているとの情報を受け、連絡を取ったが1本数千円ということだったので見送った。
とにかく待つ。情報を発信して待つ。これに徹した。林野庁から全国の森林組合、材木屋、紹介の紹介で片っ端から材料探しを発信した。但し金はない、ここが一番重要や。
12月23日、和歌山に越してきて初めてのクリスマス。パーティや。大阪から友人など13人が集まった。初雪
外は雪、猛烈な雪だ。子供の頃、大阪でも雪が降り大はしゃぎしたものだが、何時の頃からか雪の記憶はない。
今日は、こちらも初雪だ。子供も初めての雪にどうしていいのか分からない風だ。
12月26日電話が鳴った。なんと中国電力からだった。無料でよいから貰って欲しいとのことだ。やっぱり待つものだ。絶対にこちらから動いてはいけない。「分かりました、明日広島へ伺います」俺は、早速その晩大阪に向かった。
初めての広島。市電が走りこじんまりとした良い街だ。中国電力で、電話の主の役員の方と会い貰う量を決める。
会社の敷地内には古電柱が山のように積まれ、その山が二つも三つもある。電柱に打ち付けられた広告のプレートを見ると、岡山や島根などの地名がある。日本地図が頭の中に映し出され、地名の辺りにフォーカスされる。
何だか不思議な感じになった。
膨大な量の電柱を目の前にしているのだが、道場を建てるのに実際どれくらいの量がいるのか見当が付かない。
「ええい、しやない」この山と、この山、それとこの山も貰いましょう。丈夫そうな電柱が含まれている山を選んだ。結果11トンロングボディで12台分無料や!運賃やクレーン車をチャーターしても安いものや。
「よっしゃ、これで全部決まりや」


1985年1月6日ドーンという強烈な音とともに揺れが襲った。「地震や!」震源地は奈良と和歌山の県境やった。「あかん、倒れたんと違うか」骨組みだけの建物。しかも、自分たちで建てたものだ。絶対に信用は出来ない。皆で、軽トラックを飛ばし現場に向かった。
「あった」建物は倒れてなかった。「凄い、大したものやで」骨組みを総点検したが、異常はなかった。もちろん、見た目にはやけどな。俺等がプロと違うから分からないだけや。多分、建物は六角やからどちらかにねじれていた筈や。
「何やこれ」目に見える異常は基礎コンクリートにあった。基礎コンクリートに亀裂が入り、いわゆる縁切れを起こしていた。「大丈夫かな」早速、基礎を作ってくれた土建屋さんに電話を入れた。
1月20日広島から古電柱の第一陣(11トン4台)が到着。よう広島から来たもんや。
広島から搬入当時は、現在のように二車線道路はなく、紀伊田辺から国道311号で快適な道をしばらく走ると、いきなり山の中に入る。ヘアピンだらけの道を果てしなく上り、峠を越えて来なければならなかったんや。
峠の頂上は手堀のトンネルで、トンネル内には灯りは一つもない。水滴がしたたり何が出てきても不思議ではない、不気味なトンネルや。しかも、すれ違い出来る場所はトンネル内に一つ。トンネルに入り、対抗の車のヘッドライトが見えたら最悪や。とっさの判断で車の大きさ、入り口からの距離を割り出し、そのままトンネル中央まで行くかバックするかを決めなければならない。
もちろん、トンネルの外の山道も同じ。一日3本のバスに変なところで出合ったら、ずっとバックしなければならない。「どこが国道や」という道や。少し民家があれば、家の庭を通っているんと違うんか、という国道や。
手堀のトンネルを通るたびに、「しかし、よくこんなトンネルを人力で掘ったものや」と人の力に感心した。というより、手堀のトンネルが残っているのに驚いたものだ。
「ご苦労さんでした」広島の運送屋さんの労をねぎらった。広島の運送屋さんは、名産の牡蠣を一斗缶2杯もお土産で持ってきてくれた。食べきれないので、近所におすそわけをした。
「びっくりしましたで、この道で大丈夫なのか思いましたよ」「そうでしょう、しかし、またこの道を帰らなあきまへんねんで」「ぞっとしますわ」
古電柱の積み降ろしは午前中に完了した。
ほんまにおつかれさまや。

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三階の屋根から

2月13日 広島から二回に分けて運ばれてきた古電柱の釘抜き、看板外し、その他諸々の付属品を外す作業を始めた。冬、凍てついた場所での動かない作業はかなりきつい。この間に、野地板打ちや広小舞、隅木の取り付け作業は順調に進んでいた。
広小舞というのは、垂木と垂木の間を埋める為のもので、鳥の進入を防ぐ役割がある。
2月25日 電柱の作業はなかなかはかどらない。ようやく40本。屋根材をそろそろ決めなければならない。
野地板直し外野席は瓦が良いという。瓦屋は、一坪一万円で良いと。しかし、百坪以上ある屋根だから、百万円以上ということになる。スレートがよい、トタンがよい、いや杉皮がよい、竹がよい、「じゃかましいわい!そんなええんやったらお前らがやれ!」
ここでまた、情報収集だ。材木屋さんから、商社を紹介して貰う。色々なところを訪ね歩き、お金がないこと、施工は素人がするということ、この2点に叶う材料を探し求めた。
大阪の摂津市に事務所を持つ屋根材専門の商社に、我々に適した材料があった。「アスファルト・シングル」だ。施工は、カッターナイフと専用ノリ、専用釘止めで出来るという。その材料を百五十坪分購入。それに付随する材料も買い、屋根の完成は見えてきた。
自慢の4トン車で買い付けに行くが、自慢なだけにバッテリーは上がるしオーバーヒートするしで散々。
3月5日 「ドムター・シングル」屋根材で唯一十年保証が付いていた。その屋根材が揃ったところで、屋根の断熱を考えなければ。野地板を垂木の上に張り、その上からサンを打ち付け又野地板を張る、という屋根の二重化が一番最適だろうと考えた。断熱材は予算の関係でグラスウールに決定。
3月9日 グラスウールも到着。これからが大変や。グラスウールは水に弱い、だから、屋根の一面は絶対に一日で仕上げなあかん。それも防水シートを貼り終わるまでや。天候をにらみながら、工事の段取りを考える。段取りを決めるまでは、野地板張りの駄目だし箇所を念入りに点検。
雨は降ることはないが雪は降る。家に引いてあるホースが完全凍結を繰り返す。その度に、水源地まで山登りだ。しかし、いくら水源地まで行っても水量が少ないからどうにもならない。ホースを振り回し、凍った氷を出す。
3月13日 朝八時、三階部の屋根を仕上げることに決める。サンを打ち、断熱材を引き野地板を打ち付ける。無茶苦茶寒い、というより痛い。手がかじかんで思うように仕事がはかどらない。とにかく進めなければ。山の天候は何時どうなるのか見当が付かない。急勾配の屋根の上、北風に飛ばされそうになりながらの作業は、足腰に思わぬ負担をかける。変に腰やふくらはぎがだるい。吉沢さんも奮闘した。魔法瓶から注がれたコーヒーの温かさに我にかえる。「俺等は何をしているんやろね、吉沢さん。まさかフリージャズのドラマーとベーシストがこんな山の中で屋根張っているとは誰も思えへんで。というより、屋根をはれるなんて誰も想像でけへんよ」
何かしている時、ふと我にかえる。バーテンをしている時も、ドラムを叩いている時も、「ふと我にかえる」。それは決まって「何でこんな事が出来るようになったんやろ」と我にかえる。何故出来るようになったのか。それは自分が行動しているからなのだが、その最中の時は、「我」ではないのだろうか。我にかえった時、本当に不思議な気持ちになる。

子供も動員し7人がかりで。それでも作業終了は夜中の2時30分。身体は完全に冷え切っていた。
しかし、どういうわけか、俺の一発の集中力は凄い。徹夜でもやると言ったらやる。やれるまでやる。完成するまでやる。ペース配分もへったくれもない。今、やれるのならやる。やり残しはうっとおしいのだ。

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3月15日 アスファルト・ルーフィングという防水紙を張り、屋根材を貼り付けていく。作業はカッターナイフやハケを使うだけなのでさほど難しいものではない。しかし、何分屋根の勾配がきついのが足に負担を掛ける。滑り落ちたら骨折はするだろう。なにしろ、十二メートル以上のところでの作業だからだ。
この時期の風はおそろしく強い。山では台風よりも冬から春にかけての風の方が強い。屋根の上での作業は、その風にも注意しておかなければ、本当に突風で飛ばされそうになる。屋根に貼り付けたルーフィングも、風にあおられて破れたり、飛んでしまったりする。
防水紙がはがれたら野地板の下にある断熱材が、夜露や雨で使い物にならなくなる。防水紙の修理と屋根材の貼り付けを同時に行っていかなければならない。
3月21日 屋根材の貼り付け作業中閃く!「そうや、天窓を作ったら中は明るいやんけ、よっしゃ天窓を作ろう。コンパネ一枚分の窓を二つや、絶対に明るいで」どこに天窓を付けるのが効果的か。太陽の運行と屋根の面を検討する。昼を過ぎ夕方になれば、陽が西側に沈む。西側には二階のリビングを大きく開放しているので、そこから日差しを取り入れることが出来る。となると、朝から昼までだ。
ということで、南東側と南側の屋根に天窓を作ることにした。ここは朝が遅い。というのも、東側に山がありそれが影になって、朝日が遅いのだ。まあ、その分西側が開けているので、夜になるのが遅いということだが。
3月28日 なんだかんだで、苦労して張った野地板をチエンソーで切り取ることとなった。天窓の大きさを白墨で書き込み、チエンソーで切る。真っ直ぐに、そして直角に。これがなかなか難しいのだ。少しでも手に力が入っていると、チエンソーはブレてしまう。しかし、緩めすぎると木の目に負けてしまう。作業は簡単に終わった。しかし、ここからが大問題だ。家にとって一番大事な問題を作り出したからだ。
多分、普通の人は気付かないだろうが、水の始末をどうつけるかが、家にとっては一番大切なことなのだ。天窓の周りをどういう風に処理するか。頭を悩ました。ここで絶対に確かなことがある。それは「絶対に水は上から下に流れる」ということ、もう一つは「水は回り込む」という絶対確かな二点だ。この二点をどうクリアするのか。
どんな立派な家でも、どれだけマニュアルが行き届いていても、水は生き物だから予期せぬ処から雨が漏れるのだ。これさえクリアしたら本当にプロだと言えるだろう。この天窓を作るという閃きは、とんでもないリスクを背負う閃きだったのだ。しかし、とんでもないリスクを背負うから考えるのが「面白い」のであって、誰にでも出来るようなことを、また自分の身の丈にあったことしか思いつかない人は絶対に面白い人生は歩けないし、成長などあるはずもないのだ。
この水回りのことは、色々な本を参考にした。しかし、それを本当に作るとなれば、マニュアルには書かれていない部分がでてくる。もちろん、この道場の作り方では参考にならないものもある。それらを選択し、オリジナルなものを考え出していくのだ。この試行錯誤が面白くてたまらない。
「よっしゃ、これで絶対に大丈夫や、絶対に水は回らない」そう確信を持てる設計が出来上がるまで一週間かかった。設計図を持って田辺の板金屋さんに飛び込みで発注しにいった。設計図を見て「何の事やら分からないから、現場へ見に行くわ」と言ってくれた。そうか、この設計図では分からないのか。よくよくその理由を聞くと、設計図は分かるけども、本当にこれで水回りが処理できるのかどうかが分からないから、実際に現場へ行って確かめたい、ということだった。この板金屋さんは、その後も私達に本当に良くしてくれ、今も付き合いが続いている。
4月1日 待望の天窓の枠が搬入された。まだまだ作業が続くので、ガラスを入れるのは危険だから保管しておくことに決定。
天窓の枠を取り付ける下地を作り、防水紙で入念に補強する。
4月5日 三階の屋根が完了。よっしゃ、二階の野地板張りに全員総掛かりや!!

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4月8日 子供の始業式があった。
水源地現場に道場を建てているのだが、ここで生活する上の実際問題としてあるのが水の確保だ。大阪に生まれ育った我々には、もう一つピンと来ないところだが、山で生活するには何は無くても「水」が第一だ。
今では国道から格下げされた道の向かいにそびえる山を探検することにした。山だからどこにでも水が沸いているのではない。沢がなければ水など無い。もちろん地下水脈があり、そこから湧き出ている場合も有るが、百パーセントと言っても良いくらい植林された山には無いといっても良い。
それくらい水を吸い上げてしまうのだ。そして、それに輪をかけているのが、欲に流され無計画に何も考えず木を密集させていることだ。それにより、太陽は山肌に届かない。だから山は死ぬ。それが先日の中越大地震や、台風による地すべりや崖崩れの元々の原因なのだ。
吉沢さん達数人と子供を連れて道なき道を入っていく。どれくらい山を登ったか定かではないが、水源に出来るカッコウの水源を発見した。水の流れが一寸した滝になり、その下には加工が可能なくらいの小さな滝つぼがあった。その滝つぼにホースを差込、水が溜まるように囲いを作る。それで充分だ。
その滝つぼの辺りをよく見回ると、小動物の糞が落ちている。鹿やイノシシ、きつねや狸の水のみ場なのかもしれない。まあ、動物が飲んでいるのから毒は入っていないということだ。次にここへ来る時は、ホースを担いで登ってこなければならない。

4月9日 グラスウールを滑車で二階の屋根部迄引き上げ、いよいよ二階の屋根の完成を目指す。野字板の上からまずサン木を均等に打ち付け、その間にグラスウールを詰め込んでいく。この作業は意外と手間取る。グラスウールが作業着の隙間から入ってチクチクするのが気になって仕方が無いのだ。
グラスウールを詰め込んだら、すぐにその上に野字板、その上に防水シートを張る。ここまで一挙に進めなければ、雨でも降ればグラスウールは一巻の終わりだ。だから、天候の見込みが間違うと大変なのだ。ただ三階の屋根と違い、屋根の勾配は少ないが面積が広い。

4月12日屋根材の不足に気づき、大阪の商社までトラックを飛ばして貰いに行く。 一面仕上がったら、そこから屋根材を張っていく。この場所は風が無茶苦茶強い。しかし、面白いのは台風の直撃よりも、冬から春にかけての風の方が強いことだ。春の風はいくらタッカー(ホッチキスの大きいもの)で、防水シートを止めていても吹き飛ばしてしまう位の力がある。だから、タッカーで止めガムテープで風の入る隙間を塞いでしまうのだ。それでも飛ばされる。だから、工事は難航する。
この日も、防水シートが風にあおられ、それを押さえようとした俺まで飛ばされそうになった。この屋根は地上九メートルから勾配分の一メートル五十基に上がっている。だから、もし風で飛ばされたら骨折は免れない。冷や汗が脇の下から噴出した。

4月20日 雷とともに強烈な突風が防水シートを飛ばしてしまった。あわてて防水シートを押

さえ、これでもかというくらいタッカーを打ち込む。 とにかく早く防水シートを張り終わり、屋根材を張らなければ。

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