自己化された身体が「表現を生み出す」
例えば「手」、「手のひらを上向ける」、と指示された時、「手」を動かすことは出来ます。
そして、色々に指示された動きも動かす人の身体能力に応じて消化できるでしょう。
しかし、それ等の「動き」は、自分自身の「肉体の実感」を伴っているものでは有りません。
ここでいう「身体の動き」とは、例えば先程の「手のひらを上向ける」は、「手のひらを上向ける」という言葉を「自分自身にはもちろん、誰の目にもその動きだと理解できるように具体化出来ていること」です。
とした時、「言葉という抽象」と「動きという具体」との接点に「自己」が介在しなければならないという事が見えてきます。
それは「イメージという抽象・思いという抽象」と「具体」との関係まで広がります。
その間に入るのが、ここでいう「肉体の実感」であり、「肉体に起こる刺激を知覚化する」事です。
ですから、ここでいう「身体の動き」とは、この知覚化されたものを基本として動きを作り上げることをさします。
それらの具体的作業を行うことで、自己の意志が伴った動き、もしくは意識された動きになるのです。
何だか難しいでしょう。
でも、色々な身体表現(スポーツ・芸術・芸能・武術他)での一流といわれている人達は、こういった事が基本的なものとしてできているから、それぞれの個別ジャンルのトレーニングが身に付き一流だと呼ばれ世界で活躍しているのです。
単純に○○の為のトレーニングをしたからといって、そのトレーニングが役に立たないのは、この部分が抜け落ちているからなのです。
まず「身体運動を『自己化』する」、そこが入り口だと見えるでしょう?
身体運動を自己化出来ないということは、「自分自身が『何を表出させているのか、表現しているのかが分からない』」という事なのです。それではどんなジャンルでも、一流どころか二流にもなれないという事が分かるでしょうか?肉体を自分のものにし、世界を目指して下さい。 |
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