バンドボーイ9
バンドボーイ10
バンドボーイ11

 

楽器屋のおばあちゃんが、楽屋に来た。今日の俺の注文は、スティックだけだ。
「アキラ君、どうやった?」
「あかん、大失敗したから」
「ほうか、そやけどアキラ君やったら、どこでも仕事あるから心配せんでええで」
楽器屋のおばあちゃんは、慰めてくれた。
もちろん、俺はもうそのことは頭になかった。

本当の意味でのオーディションを受けたのは、この 9 ピースが初めてだ。
ボーヤの時は、レギュラーのドラマーがいるので、何度か色々なバンドにトラに行かされたことがあるし、他のバンドの人に頼まれてトラで行ったこともある。
トラで貰うギャラが嬉しかった。
同じバンドにいたギターがナイトをしていた、堺の場末のキャバレー。
ここでは傑作な思い出がある。
どんな編成だったか忘れたが、やっていた曲はその頃の俺でも叩けるメモリー形式が多かった。
メモリー形式というのは、小節の数だけ書いてあって、全部アドリブでやるというもの、あるいは、リズムの形式だけあるから、例えばラテンのマンボやチャチャのように、それだけを叩いていればよいもの等だ。
店が終わり南海電車で堺市駅へ。
深夜 12 時からステージだ。
キャバレーの舞台では、ドラムが一段高いところにセッティングされていることが多い。
その店もそうだった。悲劇はそのセッティングで起こった。
1 ステージは気分よく叩いた。おかげでプレイは上々の受けだった。
バンマスがレギュラーで来て欲しいと言っていた。
「何で俺がこんな場末のキャバレーで叩かなあかんねん、あほか」
と内心思いながら、
「ありがとうございます」
とお得意の社交辞令。
俺のドラミングは、当時からとにかく身体を動かす。
揺れたり飛び上がったり、まるで多動児だ。
確かロックの曲になった時だった。
俺は身体を動かしながらリズムを刻んでいた。
その最中突然目の前が真っ暗になった。
「どうしてん?」
大きな音と共に、俺はステージの後ろに転落していたのだ。
大爆笑しかない。
バンドのメンバーは、びっくりして、しかし音は止められないので、演奏をしたまま後ろのステージを覗き込む。
バンマスは後ろに駆け寄り
「大丈夫か日野君」
と声をかけてくれた。
「大丈夫です」
俺はそう答えながら、ドラムの方へ上がっていった。
何事もなかったかのように、演奏を続けた。
俺の肩の震えは止まらない。
笑いが止まらなかった。
恥ずかしいやら、照れくさいやら。

数日後、オーディションを受けたバンドのバンマスから電話が入った。
「アキラ君、来月から来てくれるか」
「えっ、ほんまですか!ありがとうございます」
やったぁ!しかし、しかし、どうしてあんな失敗をした俺がオーディションに通ったのだ?
メインのショーは、京都の「ベラミ」と同じショーが入る。
つまり、一流のショーが入るのだ。
当然、譜面やショーの構成など、本当に難しい。
色々な経験を持っていなければ熟せるはずもない。
オーディションに受かりながら、そんな不安を持った。
しかし、次は 9 ピースに行くとなると、馴染んだこのバンドが去り難く感じる。
ピアノの Y 子や、ベース共別れがたい。
しかし、そんな感傷に浸っていても仕方がない。
9 ピースではギャラは E 万( 30,000 円)になる。
一挙に 3 倍だ。
1968 年の 3 万だから、まずまずだ。

「おはようございます」今日から新しい店だ。
バンマスに「どうして私が選ばれたのですか」
と聞いてみた。
「プレイはまだまだやけど、見込みがあるからや」
と答えてくれた。
とりあえずは、その言葉を真に受けることにした。
何しろ、選ばれた根拠が全く分らなかったからだ。
しかし、しかし、その 9 ピースのメンバーと打ち解けてくると、メンバーの年配の人達が教えてくれた。
種明かしは単純だった。
バンマスがどれほどピンはね出来るか、ただそれだけだ。
ピンはねする為には、若くて余り上手くない方が良い。
しかし、ビッグショーが入るので、そこそこ叩けなければ話しにならない。
そんな条件をピッタリ持っていたのが俺だったのだ。
しかし、俺にすれば給料が一挙に 3 倍だから文句はない。
そんな相互の利害が一致した、ということだ。

9 ピースに来て数日目、俺が危惧していたことが起こった。
とんでもないビッグショーが入ったのだ。
名前は忘れたが、世界中で引っ張りだこのフランスのサーカスグループのショーだ。
テレビの世界のビッグショーにも出演している、超有名なサーカスだった。
午後からリハーサルが始まった。
俺は譜面を見ながら、何とか誤魔化しつつもプログラムを進めた。
しかし、決定的な技術を要求される場面に来た。
譜面には「ドラムロール」としか書かれていない。
一本のロープの上でバランスし、色々な演技をするシーンだ。
その演技の緊張感に合わせてロールをするのだ。
ドラム一発で、そのショーの出来不出来は決まってしまう。
ところが、俺はまだロールは出来ない。
ロールの練習を多少はしたが、まだまだ出来ない。
それよりも、一つ打ちや三連、あるいは、リズムを正確に、あるいは、ややこしいシンコペーションのたたき方の方に力を入れていたからだ。
「どうしよう」
冷や汗はどんどん湧いてくる。
逃げるに逃げられない。
本当に、この場から飛び出して行きたかった。
本当に叩けないし、誤魔化しようもなかったからだ。
とうとう、そのシーンが来た。
リハーサルは止まらない。
演技をする人がロープに乗った。
俺はそれを見上げているだけで、何も出来ない。
音は無い。
リハーサルとはいえ、ステージは水をうったような静けさが重く圧し掛かってくる。
演技は、ロープの上でバランスを取り、椅子を乗せた。
次がロールだ。
通訳の人とマネージャーが、俺の横で説明してくれる。
「あかんて、いくら俺に説明しても俺は叩けないのだから」
内心祈るような気持ちだった。
何か突発的なことが起こって、ショーが中止にならないか。
そんなことも祈った。
いきなり火事にならないか。
演技者は椅子の上に立った。
両腕に輪をはめ、その輪を回す。
そこが一回目の見せ場だ。
輪をはめた。
「ロール!」
マネージャーが俺に叫んだ。
「ルルルルルル………!」
俺は思わず叫んだ。

 

バンドボーイ10

フランス人のスタッフ、マネージャー、通訳、みんな大喜びだ。
「素晴らしいジョークだ!」
アホか、冗談とちゃうで、ロールが出来ないだけやんけ、ほんまにどうしよう。
体中から冷や汗が噴出しているのが分った。
「 OK 分った、ではロールを」マネージャーが一頻り笑った後、真顔で俺に指図した。
冗談じゃない、俺は叩けないのだ。
とりあえず、ハイハットを半開きにし、誤魔化した。
「それよりも、スネアドラムの方が緊張感が出るから、スネアで」
あかん、どうしよう!!
俺の動揺に気付いたのはバンマスだ。
バンマスが何やらマネージャーと話た。
リハーサルは、俺がロールが出来ないまま進んだ。
「お疲れさまでした」
リハーサルは終わってしまった。
リハーサルは終わっても、俺がロールを叩けないのが叩けるようになるはずも無い。
中地下にある、独房のような音を出せる楽屋にスネアを持ち篭った。
さっきまで叩けなかったことが、今更練習したからといって突然叩けるようになるはずも無い。
色々工夫をするが、当たり前の結果が出る。
スネアを持って、逃げてやろうかと思った。
逃げる理由が頭を駆け回った。
正当な理由をだ。
演奏は誤魔化しようもないから、逃げるしかない。
バンドの連中は、年齢が離れているせいもあり、口をきかない。
誰かと気を紛らわすことも出来ない。
窒息しそうな時間がどんどん過ぎていった。
1 ステージが始まってしまった。
どの曲をやっていても、ほとんど上の空だ。
あっという間に、ショーの時間になった。
マネージャーやタレントさんが楽屋に来る。
楽屋がいきなり賑やかになった。
いや、賑やかになったように感じたのだ。
最終的な譜面合わせが始まった。
キッカケを確かめ、譜面に赤鉛筆で書き込んだことに間違いがないか確認する。
ここのキャバレーは、フロアーが二つある。
上のフロアーは、落ち着いたクラブ調なので、コンボが二つ入っている。
二つあるコンボの内のピアノトリオの方のドラムの人が打ち合わせにやってきた。
情けないのと恥ずかしいのとで、そこにいる気がしなかった。
これで二度目だ。
また、他のドラマーに頼らなければならないのだ。
最低!!

背伸びをする。
やれないことでもやれるという。
そこで負わなければならないのは、恥をかくことだ。
もちろん、俺も好き好んで恥をかこうとしているのではない。
一つ上のレベルに上がるとは、こういうことだ。
一つ上のレベルとは、今の自分の世界とは違う世界だ。
当然、何も出来ない、知らない。
だから、勉強になるし、精神も強くなっていくのだ。
何よりも、付き合う人間が変わる。
これが一番大きなことだ。
ということは、話題も変わる。
日常の過ごし方も変わるということだ。

自分の代わりに、そこのパートだけをやって貰う。
代わりに来てくれたドラムの人は、かなりのベテランで、打ち合わせなどどこ吹く風のようだ。
「アキラ君、練習したら叩けるようになるんやから、誰でもそんな時期があるからええんやで」
と、生きた心地のしなかった俺を慰めてくれた。
出来ない自分に腹も立つが、自分の決めた練習を止めないのが俺だ。
その技術の為の練習をするより、基本的な練習を沢山積めば自動的に出来るようになる筈だ。
というのが俺の持論だ。
だから、また恥をかくこともあるだろう。
そうも思っていた。
ショーはつつがなく終わり、何事もなかったように日常のスケジュールに戻る。
もちろん、その日常のスケジュールといっても、毎日ショーはある。
その意味では、毎日冷や汗のかきどおしだ。
ショーがあるから、本番が練習になる。
また、上のフロアーのどちらかのドラムが休んだ時は、俺が掛け持ちを頼まれることが多かった。
「アキラ君はフル向きじゃなくて、コンボ向きやな」
上のバンドの人達によく言われた。
この掛け持ちが、俺の人生に一つのレールをもたらした。
上のフロアーに掛け持ちで行き、この先で音楽を一緒に考える仲間になる滝口(仮)と出会ったのだ。
私より、一つ年上のアルトサックスだ。
これが無茶苦茶うまかったのだ。
チャーリー・パーカーの丸コピーを、音一つ間違わず、ノリも良く吹くのだ。
コルトレーンのコピーもしていた。
口数が少ない分、一寸厳しい奴に見えた。
そこのベースも若く一生懸命だ。
滝口とは、お互いに嗅覚が働き「一緒に練習しようや」どちらともなくジャズの話に花が咲いた。

俺は当時( 1968 〜)、 Charles Lloyd の [Forest Flower] を好んで聞いていた。
ドラマチックに展開される曲と、後半の明るいラテンの雰囲気でフリーに展開されるアドリブが良かった。
また、ドラムの、ジャック・デ・ジョネットの奏法が好きだったからだ。
年も俺より少し上で、フリーがかったアプローチが俺の何かに引っかかったのだ。
そのバンドのピアノは、キース・ジャレット。
このピアノもフリー系、ベースのセシル・マクビーも同じだ。
丁度、俺よりも少し年長の若者が実験を繰り返している、という感じだった。
ジャズ喫茶で見つけた音に、チック・コリアもあった。
当時はラテンバンドで演奏していた。
その演奏にも何か惹きつけられた。
きっと、世に出る若手だろうと思っていた。
当時ジャズ界は、新しい波が押し寄せていた。
オーネット・コールマンがニュージャズと呼ばれその代表のようなものだった。
それは、調性やスケール、コードからいかに解放されるか、の模索だ。
スタンダードなジャズを演奏している人達も、少なからずその影響を受けていた。
コルトレーンの死後、ポストコルトレーンを探し求めていたのだ。
しかしそれは、ジャズだけの世界の出来事ではなかった。
既成の価値観や、体制から押し付けられる様々なことに、俺と同年代の若者達は、全世界的に牙をむいた時代だった。
ヒッピーという文化もこの頃から全世界的に広まった。

俺は滝口と初めて一緒に演奏した。
まるでレコードと一緒にやっている感じだ。
クラブが営業に入る前、来る日も来る日も練習をした。
俺が好きな [Forest Flower] だ。
滝口は Charles Lloyd を丸コピーした。
俺はアドリブのポイントになる箇所の、ジョネットのコピーを徹底的にした。
このクラブでの練習が、フリージャズになる入り口になった。

 

バンドボーイ11

9 ピースを辞めた
東京で仕事がありそうだったからだ。
もちろん、オーディションがある。
新幹線に乗り東京へ向った。
まさか自分が選ばれる筈もない。
そんなことは百も承知だ。
小学生が大学を受験するくらいのレベルの差があった。
いや、俺は幼稚園くらいかもしれない。
しかし、レベルがそれほど上の人と、 1 曲でも一緒に演奏出来ることで、本当の差が分るのだ。
自分の実力がリアルに見える筈だからだ。
何が足りて何が足りないか。
それとも、全く向いていないか。
自分の中の何か一つでも、通用しないまでもカッコが付けばよい、と思っていた。
そう思うと、身体がもう動いていた。
切符を買って飛び乗った。
東京は、中学の時から家出をした時、必ず東京へ行っていたので、少しばかりは分る。
池袋の喫茶店、新橋の喫茶店、歌舞伎町の喫茶店、巣鴨の市場、荻窪で新聞配達。
それらをしながらウロウロしたからだ。

銀座のジャズハウスでオーディションは行われた。
20 人足らずだったと思う、ドラマーがそこにいた。
生まれて初めて自分よりも上手な人を、沢山見ることになった。
そうは思ってはいても、「いや、俺が通用する」とも思っていた。
その鼻っ柱の強さがなければ、わざわざ東京まで出向いてこないし、何も知らないドラムを選んでいるはずもない。
会場でフリージャズをしているというドラマーと会った。
フリージャズでも仕事になるんだ、やっぱり東京は凄い、と、まるでおのぼりさん感覚でそのドラマーの話に聞き入った。
話を聞きながら俺の頭の中は、大阪に帰ったら絶対にフリージャズをやっていってやろう、と決断していた。
オーディションが始まった。
次から次へとドラマーが変わっていく。
曲の途中で終わることもあった。

俺の番が回ってきた。
ピアノがリーダーだ。
バラードのような調子で曲が始まった。
何も分らない。
バラードなのか、それともイントロで、リズムが出てくるのか。
全身をセンサーにして、ピアノを聴いた。
何も分らないが、「ここ」という一瞬があった。
その「ここ」というところで、スティックはすでにシンバルで 4 ビートを刻んでいた。
同時にベースもリズムを刻んだ。「良かった!!!」内心、第一の関門はクリアしたことに安堵した。
ピアノの人が、チラッと俺を見て微笑んだように感じた。
ピアニストはニットの帽子を、目が隠れるほど深く被り直し、鍵盤に集中した。
曲の名前は忘れてしまったが、ミディアムテンポのスタンダードなものだった。
先ほどのフリージャズのドラマーも、これからオーディションを受けるドラマー達も見ている。
よっしゃー、ほんなら暴れてやろうか。
左手を未熟ななりに自在に遊ばそうと思った。
しかし、しかし、ここで金縛りにあった。
息も出来ないほどの金縛りだ。
ベースのリズム、ピアノのメロディ、アルトサックスのアドリブ。
それらに、身動き一つ出来なくなってしまったのだ。
右手でリズムをキープするのが精一杯だ。
左手はスネアドラムの上に置いたまま動かせなかった。
息をすれば、そのリズムが狂うと思った。
姿勢を変えれば、このドライブ感が崩れてしまうと感じた。
ああああー、このまま早く終わって欲しい!!!
無我夢中で叩いた。
これが世界のレベルか!
しかし、手は届く。
現に今、こうして皆でドライブ出来ているではないか。
よっしゃー!
俺はいけるで!
何だか分からない内に演奏が終わった。
「君の電話番号を教えて、日頃はどんなところで活動しているの」
「キャバレーやクラブです」
この一言でオーディションは終わったと感じた。

大阪に帰り返事を待ったが、案の定こなかった。
分ってはいたが、ショックというより寂しい気持ちになった。
仕方が無いのでトラの仕事を探した。
梅田曽根崎の方でトラの仕事があった。
店へ行って驚いた。
クラブで一緒に練習をしていた、アルトサックスの滝口がいたからだ。
「アキラ東京へ行っていたんやろ、どうやった?」
もう噂は流れていた。
「あかん、連絡けえへんわ」
そこのトラは半月だった。
この時期トラで食いつないだように記憶する。
主にフルバンドだ。
それこそ、譜面の良い勉強になったし、そこで出会ったバンドの人に、次のトラやレギュラーの仕事を貰ったりした。
新しくバンドを組む機会がもう直ぐあるから、その時は絶対に呼ぶから、と言ってくれたバンマスもいた。
そして、 1 年ほどしてそれは実際に実現した。
みんなに本当に可愛がってもらった。
色々な演奏スタイルを、一番吸収した時期ではなかったか、と思う。

大阪梅田にあった、ダンスホール「ワールド」。
そこに長期のトラにいった時、ドラム人生で一番頭に来た出来事があった。
もちろん、その頭にきたというのは、頭にきても何も出来ない自分という意味もある。
本当に、本当に悔しい思いをしたのだ。
ドラム人生ではなく、もしかしたら人生初の悔しい思いかもしれない。
その出会いによって、今まで以上、ドラム人生に猛ダッシュをかけたのだ。

フルバンドで気分良く演奏をしていた。
ステージが終わりバンド部屋に帰ると、見なれない顔の俺より若い奴がいた。
「おはようございます」
その若い奴に一応挨拶をした。
若い奴は
「おはようございます」
と返したが、何かスッキリした感じがなかった。
バンマスがそいつに
「おはようございます」
と丁寧に言った。
「えっ、こいつは何者やねん」
「遊んでいって下さいよ」
バンマスはえらい低姿勢だ。
「アキラ君、彼を遊ばしてあげて」
「いいですよ」
若い奴は、俺の顔を覗き込んで
「お願いします」
と言った。
そうか、ドラマーなんや、しかしバンマスがえらい低姿勢なのは、俺が知らないだけできっと名前の通ったドラマーなんやろ。
それにしても、幾つやろ?


ステージが始まった。
俺は、ドラムの前に据え付けてある、コンガのを演奏することにした。
曲が始まった。
右手のシンバル、そのビートが鋭く強い。
左手はトランペットセクションをアフルようにアクセントが付く。
愕然とした。
ほんまにうまい。
リズムも音も生きている。
ビートは 4 つしか刻まない。
そうか、それでもいいんや。
小気味良いドラミングは、バンドそのもののサウンドを底上げする。
無茶苦茶良いバンドに聞こえてしまうのだ。
「うまい!」
俺には絶対に届かない。
その 1 ステージは、本当に勉強になった。
ステージが終わった。
「お疲れ様でした」
俺は、俺よりも若い奴、というのを忘れて頭を下げた。
「お疲れ様でした」
とそいつはおでこの汗を拭きながら笑いよった。
何か質問すれば良かったのかも知れないが、そんな余裕はなかった。
ただ、頭の中は空っぽになっていただけだ。
次のステージも時間があるという。
もう 1 回遊んでくれないかな、と思った。
しかし、そいつは
「日野さんのプレーを聞かせてください」
ときた。
「はい」
とは言ったものの、冷や汗が脇の下から吹いていた。
そのステージは、空回りしていたかも知れない。
そいつのようなことは叩けない。
俺のやり方でフルバンドをドライブさせるだけだ。
汗びっしょりでステージは終わった。
「お疲れ様でした」
そいつは言った。
「お疲れ様でした、ありがとうございました。どうでしょう」
俺はたずねてみた。
ここでこいつが言った言葉に、なに〜!このボケ!!!

つづく

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